二人の部屋に神棚がある話

 岡田以蔵と立花葵の熱愛スクープと岡田以蔵と坂本龍馬の熱愛スクープがそれぞれ連続して雑誌の一面トップを飾って大騒ぎになった後のこと。
 それが以蔵と龍馬のちょっとした悪戯だったことが判明してからは、世論的にもあまりにも過熱する報道によるプライバシーの侵害は問題だ、という声が高まったこともあり、記者たちの張り込みはすっかり鳴りをひそめたようだった。
 これでようやく身辺が落ち着きましたとほっとしたように以蔵に話していた葵が、ふと、これ、ささやかなお礼なんですけどどうぞ、と差し出したのは一枚のDVDだった。
 このドラマの撮影が始まる前に、葵が主演を務めた作品であるらしい。
 ちょうどこのタイミングでDVDのパッケージが完成したらしく、これぐらいじゃお礼にもならないと思うんですけど、と言いながら差し出されたそれを、以蔵はありがたく頂戴して持ち帰ってきたのである。
 今回は『楢崎龍』役として凛としつつも楚々とした黒髪の大和撫子を演じている葵だが、そのパッケージでは今時の栗色の髪を巻いた女子大生スタイルだ。
 タイトルには、シンプルにおどろおどろしい三文字で『禍触れ』と刻まれている。
 どこからどう見てもホラーだし、どこにお出ししても恥ずかしくないホラーである。

「――……」

 貰ったからには、見たい。
 見て、お礼を伝えたい。
 だが、正直な話、以蔵はあまりホラーが得意ではない。
 だってそうだろう。
 こちらからは斬ることも殴ることもできない相手に一方的に嬲られる物語のどこが面白いというのか。
 だが、せっかくもらったのだ。
 ノーリアクションというわけには行かないというのはわかっている。

「………………」

 テーブルの上に乗せたDVDのパッケージと見つめ合うことしばし。
 ちょうどそこで、ガチャリと玄関の扉が開く音がした。
 同居人でもある龍馬が帰宅したものらしい。
 ぱたぱたと足音が近づいてきて、「ただいま~」と緩い声が響く。
 おうおかえり、と返したのちに、以蔵はDVDのパッケージを手に取るとひらりと龍馬に向けて揺らして見せた。

「にゃあ龍馬」
「なあに、以蔵さん」
「夕飯の後にこれ、見んか」
「いいけど……って以蔵さんがホラーなんて珍しいね。あ、もしかしてそれ、葵ちゃん?」
「おん。DVDになったき、良かったらどうぞ、ちくれゆう」
「へえ、それならぜひ見て感想とお礼を伝えないとね」

 よし、と静かに以蔵はガッツポーズをキメる。
 これで道連れは確保した。
 龍馬もそれほどホラーは得意ではない質だ。
 理知的に話せばわかるをモットーに、その弁舌でもって動乱の世を駆け抜けた男にとっても、理屈が通らず交渉の余地のない悪霊の類は持て余してしまうのだ。
 それでも、共演者である葵が主演を務めた作品であり、しかもそれを葵本人から貰ったともなれば見ないという選択肢はない。
 そんなわけなので、その日は夕食は簡単なものにし、つまみと酒を用意し、早々にテレビのあるリビングへと二人そろっていそいそと移動する。
 薄型の大画面テレビに、音の響き具合を計算し、吟味に吟味を重ねて設置されたスピーカーは龍馬の拘りである。
 ちょっとしたミニシアター気分を味わえるので、時間があえばこうして二人で映画を見るのも珍しくはない。
 普段はアクションものが多いのだが、本日はホラーである。
 いつものように明かりを落として、お互い定位置に収まる。
 テレビの向かいのソファに座るのが龍馬で、その足元のラグで胡坐をかいて座るのが以蔵だ。
 ローテーブルの上には缶ビールがいくつかと、つまみの乾きものが無造作に乗っている。
 とりあえず缶ビールを手に取り、かん、と軽く縁同士をぶつけて今日も一日お疲れさん、なんて挨拶を交わしてから龍馬が再生ボタンを押した。
 邦画ホラー特有の、カラーであるはずなのにどこかモノクロめいた黒の強い画面を眺めながら、二人ビールを啜る。
 最初は、良かった。

「あ、葵ちゃんだ」
「可愛いねえ」
「やめえや」
「え、何が」
「おっさんくさいちや」
「ひどい」

 なんてのんびりとした会話を交わす余裕もあった。
 が、物語は次第におどろおどろしい方向へと舵をきっていく。
 友人に誘われた葵演じる主役の女子大生が、足を踏み入れてはいけない廃墟へと歩を進めていく。

「いかん。それはいかん。やめえ、葵、やめちょけ!」
「あああそれ絶対祟るって駄目だって、ほら、もうすでに音楽怖いもん、それ絶対ダメなやつだってそっち行っちゃだめだよ! 葵ちゃん! 葵ちゃん!!!」

 もはや応援上映の態である。
 画面の外からビールの缶を片手にやいのやいの盛り上がっていたわけなのだが。
 物語が進んでいくにつれてそんな余裕は消えた。
 いつの間にか二人が手にしていた缶ビールはローテーブルの上に乗せられ、飲み干されることなく静かに汗をかいていたし、いつの間にか以蔵は胡坐をかいた足の上にクッションを抱えて防御態勢を取り始めている。
 時折ソファの上から聞こえる「ひ」と息を呑む龍馬の声を笑うことすらできない。
 画面の中ではおぞましい異形が縦横無尽に徘徊して視覚からの暴力で見る人を怯ませたかと思えば、じわじわと周囲の人間が静かに発狂していくような、それいて本当におかしいのは周囲ではなく主人公なのではないかと今見ているもの、画面に映されている主人公の目を通した世界を信じていいのかという猜疑心を植え付けてきたりと、やりたい放題だ。
 主人公がおかしくなって幻覚を見ているのか。
 本当に恐ろしいのは人間なのだという犯罪系サイコスリラーなのか。
 それとも本当に何か恐ろしい人外が暗躍しているのか。
 恐ろしさに目をそむけたくもなるものの、ストーリーに引き込まれてそれすら叶わない。
 そのうち、すッと動いたのは龍馬だった。
 無言で屈み、腕を伸ばし、ずぼりと以蔵の脇の下に腕を突っ込み、猫でも抱き上げるかのようにソファの上に引っ張り上げる。
 そのまま足の間に座らせて、すっぽりと懐へと抱え込んだ。
 以蔵がクッションでやっているのと同じ防御態勢である。
 普段であれば、なんじゃあこがな作りもんが怖いがか、だの、暑いだのなんだの揶揄ったり抵抗したりする以蔵であるのだが、今回はおとなしくされるがままだ。
 それだけ、怖いのである。
 ストーリーはもちろん、演出が上手い。
 そういう展開が来たら厭だ、という予感を上手に観客に抱かせた上で、その厭な予感を着実に一つ一つ実現させていくのだ。
 来るぞ来るぞ来るぞほら来た、という定番の流れを丁寧に行うとこんなにも恐ろしいものが仕上がるのか、というホラー映画の見本のような出来だった。
 やがて、余韻を残したまま物語は終わりを迎え、静かにエンドロールが流れ始める。
 結局、すべての謎は明かされることなく終わった。
 いろいろな推測が成立する、見た人の想像力にお任せするというジャパニーズホラーお得意のアレだ。
 それぞれ見た人間の想像力に任されるからこそより余韻が味わい深く、より恐ろしくなってしまう。
 エンディングのクレジットが終わり、トップ画面へと戻る。
 何も知らずに見ていた時と違い、オープニング画面にもストーリー上大きな意味を持つネタがちらほらとちりばめられているのがなんとも厭らしい。
 怖い想像がいくらでもはかどってしまう。
 もしかしてあの時すでに主人公は……
 いや、もしかするとあのタイミングであの人が……
 そんな怖い妄想ばかりが頭の中で勝手に浮かんできてしまうのである。
 そして、さんざんそんな厭な予感を作中で実現させられてきただけに、今頭の中で思い描いている恐ろしい想像が、ほんの数瞬先の未来で実際に起こってしまうのではないか、などとつい考えてしまうのだ。
 そんな豊かな想像を止めるべく、龍馬は、ぎくしゃくと腕を伸ばしてリモコンを手にとると、ぷちりと映像の再生をストップした。
 しん、と静けさが部屋に満ちる。

「………………」
「………………」

 腕の中を見下ろす。
 以蔵も、借りてきた猫のようにおとなしくしている。

「………い、以蔵さん」
「なんじゃあ」
「今日一緒に寝て」
「えいよ」

 即答だった。
 二人して、もそもそと片づけを始める。
 ぬるくなったビールはもう飲む気にもなれなくて、もったいないながら流しで処理してしまうことにする。
 ほとんど手をつけてないつまみは袋の口を丁寧に折りたたみ、洗濯ハサミで止めたのち湿気らないように冷蔵庫に収めた。
 それから二人して寝支度を整えて、いざ寝室へ、というところでぴたりと二人の動きが止まる。
 映画の中で、寝室にて怪現象が起きるシーンがあったのだ。
 主人公が不穏な出来事に振り回されながらも一日を終え、後はもう寝るだけ、と油断しきったところで安全圏だと思われていた自宅の寝室ですら怪奇現象に襲われるという絶望的な逃げ場のない展開である。

「…………」
「…………」

 ちらり、ちらりと視線を交わし合う。

「以蔵さん」
「なんじゃ」
「あのね」
「おん」
「ちょっとお願いがあるんだけど」
「なんじゃ」
「寝室におばけいないか確かめてきてくれないか」
「どいてわしが! おまんの部屋じゃろうが、おまんがやらんか!」
「それなら以蔵さんの部屋で寝よ!?」

 なんとなく、一緒に寝ようと誘ったのが龍馬だったこともあり、自然な流れで二人して龍馬の寝室に向かっていたわけなのだが。
 そういう理屈ならば別段以蔵の部屋でも構わないのだ。
 ベッドの大きさは変わらない。
 そいたら以蔵さんの部屋で!!! と龍馬は主張するわけだが、以蔵は頑として首を縦に振らない。
 寝室の手前にて、どちらがドアを開けて先に入るかで子どものようにわちゃわちゃ言い争った結果、結局最終的には二人で同時に飛び込むことになった。

「行けるがか、以蔵さん」
「まかせえ」

 バン、とドアを龍馬が開け放つよ同時に以蔵が寝室へと踏み込み素早く四方を確認するクリアリング。
 壁よし、床よし。
 ただし恐ろしいのでベッドの下は確認しない。
 うっかり覗いて、何か得体のしれないものと目があったら怖いからだ。
 大事なことなので二度言う。
 怖いのでベッドの下は見たくない。
 そうして部屋の中におばけがいないことを確認したのち、二人してほぼほぼ同時にベッドへと飛び込んだ。
 恐ろしいことが起きる前に、寝てしまうに限る。
 陽が昇り明るくなれば、ホラー映画の記憶も遠くなり、そのまま忘れることもできるだろう。寝て、起きれば朝だ。つまり、寝ることさえできればそれが二人の勝利である。
 龍馬は布団の中でしっかりと目をつぶる。
 寝付きはもとより良い方だ。
 目を閉じて、寝るぞ寝るぞと念じていればそのうち眠気も訪れるはずだ。
 と、そこで。

「にゃあ」

 至近距離から、ささやきかけるような以蔵の声がした。

「どういた、以蔵さん」
「あんな」
「おん」
「今な」
「おん」

 ふひ、と引き攣った笑いを零しながら、以蔵が口を開く。

「ひやい手に足首でも掴まれたら死ぬほど怖いと思わんか?」

 つッ、と。
 薄い夏布団の下で冷たい青白い指先を持つおどろどろしい異形の化け物が、今にも龍馬の足首をひっつかみ、布団の中へと引きずりこもうとしている―――なんて光景がありありと眼裏に浮かび上がってしまった。

「~~~~ッ!」

 思わずそんな想像ごと蹴り倒す勢いで布団を蹴り飛ばして龍馬はむくりと身体を起こす。

「なんで! そういうことを! 言いだすの!?」

 吠える。
 ちょっと以蔵さん正座して! とか言いだすわけだがそんな言葉におとなしく従う以蔵ではない。
 こちらも飛び起きると、きゃんきゃんと毛を逆立てたポメのように吠え返す。

「わし一人で怖い想像しゆうのはへこいじゃろうが、おすそ分けじゃ!」
「そういうおすそわけは誰も望んでないからね! 良くない、良くないよそういうの! そもそも以蔵さんは天才剣士でしょ!? お化けぐらいさっくり斬ってよ!」
「はぁぁぁああ??? なぁにを言いゆうがか、わしはアサシンがぞ!? おばけの類はキャスタークラスと相場が決まっちょるきにな、ライダークラスのおまんの出番じゃ!」
「そばえなや、悪霊の類はアサシンクラスじゃ!」

 英霊時代のことまでを持ち出して、悪霊退治を押し付け合う。
 エネミーなら良いのだ。
 斬って、殴って、撃って、ダメージが通る。
 だが、お化けは駄目だ。
 こちらの攻撃は通らないし、ただただひたすら理不尽な目に合わされる。
 葵が良い例だ。
 ただちょっと立ち入り禁止の廃墟に足を踏み入れただけであんなえげつない目に合わされたのだ。可哀そうが過ぎる。

「第一、ぼく今はお竜さんもおらんきにな!?」
「維新の英雄様ン癖にお竜がおらんとなんもできんがか……って」

 そうだ。
 お竜だ。
 口喧嘩の途中で二人ははッとしたように目を合わせた。
 それから、そろろっと二人同時にベッドを抜け出す。
 向かうのは居間だ。
 正確には、居間の片隅に設置された神棚である。
 龍馬がこの部屋にて一人暮らしを始めてすぐに用意したのだ。
 今生において、お竜は龍馬の傍にはいない。
 遠いいつか、お竜は龍馬に別れを告げて送り出した。
 『今度は楽しく生きろよ』なんてぶっきらぼうで、それでいて優しい言葉で。
 けれど、龍馬も以蔵も思うのだ。
 あのお竜が、本当に龍馬を一人にするだろうか。
 かつて龍馬が命を落とした後も、一人天に昇ることを良しとせず、海に沈んで眠った優しい神様だ。
 だから、きっと今も見守ってくれているのではないだろうか。
 神様というのは信仰を元に存在するものだと言う。
 ならば今はその声を聞くことも、姿を見ることも叶わないお竜も、龍馬と以蔵の二人が神様として祀っていけばそのうち姿を現すこともあるのではないだろうか。
 そんな思いで、二人は自分たちが暮らす家の片隅にお竜のための神棚を用意したのだ。
 神棚にはいつも酒が少しと、あとはカエルのぬいぐるみや、玩具が並べられている。
 最初のうちは本物の生きたカエルを虫かごに入れて供えたりもしていたのだが、どれだけきちんと蓋をしようとちょっと目を離したすきにカエルが消えるもので、イキモノはやめておこうと二人で決めた。
 お竜がぺろりと平らげているのならば良いが、万が一部屋のどこかで脱走カエルの王国でも出来ていたら怖すぎる。
 二人して真剣な面持ちで、神棚に向かってぱしりと手を合わせた。

「お竜、なんかちんなもんがおったら腹いっぱい食べてえいきな」
「うんうん、悪いお化けはお腹いっぱい食べちゃってね。任せたよ、お竜さん」

 念入りにお竜へと頼み込む。
 それから二人は視線をあわせると、ふ、と口元に柔い笑みを浮かべてあった。

「……坂本さんくの龍馬くんはいつまでたっても怖がりやのお」
「岡田さんくの以蔵くんも負けてないと思いますけど」

 なんだと、この、この、と二人肩をぶつけあいながら、へちゃもちゃと寝室へと戻る。
 お竜に神頼みをしたとはいえ、やっぱり一人で眠る気にはなれなかった二人である。
 蹴とばした布団をベッドへと引っ張りあげ、二人並んでごろりと横になった。
 狭い布団の中で、二人向かい合って、小さく笑みを交わす。

「……おやすみ、以蔵さん」
「……おん」

 二人、目を閉じる。
 静かな部屋に響くのは穏やかな呼吸の音だけだ。
 それが、少しずつ深く、間延びした寝息へと変わっていく。
 すぅ、すぅ、と健やかな寝息が重なって響く部屋のベッドの上に、夢が現かふわりと黒く艶やかな帯上のものが天蓋めいて広がったようだった。

『まったくオマエたちは仕方がないな』

 そんな懐かしくも凛とした声は誰にも聞かれることなく静かに寝息に蕩けた。

■□■

 翌日。
 撮影に顔を出した龍馬は、スタジオの片隅で台本をめくる葵の姿を見つけると、お礼を言うべくそちらへと距離を削った。

「やあ、今ちょっと良いかい?」
「あ、坂本さん。どうかしたんですか?」
「いや、昨日以蔵さんに誘われて一緒にあの映画見たものだから」
「ああ、坂本さんも見てくださったんですね」

 龍馬の言葉に、葵がはにかむように微笑む。
 そんな姿に、当たり前ではあるものの無事で本当に良かったなあ、なんてしみじみ思ってしまう龍馬である。
 演技だとわかってはいても、見知った少女が理不尽な理由で酷い目に合い、ボロボロにされていく姿を見るのは酷く心が痛んだのだ。

「すごく良かったよ。いや、良かったっていうか怖かったっていうか。怖いのに続きが気になって目が離せなくってね。昨日はもう一人じゃ眠れなくなっちゃった。以蔵さんもね、滅茶苦茶怖がってたよ」
「――――」

 にこにこと語られる龍馬の言葉に、「怖がってもらえたなら本望です。ありがとうございます」なんてきちんと対ビジネス用スマイルで返す葵ではあるのだけれども。
 一緒に見た上で一人では眠れなくなったということは昨日は岡田さんと一緒に寝たということなのでは?????
 などとクエスチョンマークが凄い勢いで脳内乱舞していたのは言うまでもない。
 それでも、そんな疑問を態度に出すことなく、にこやかにお礼を言えた自分は本当に偉いのではないだろうかと、誰にも言えないからこそひっそりと自画自賛する葵だった。

 

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