彼女目線が楽しめる写真集が発売される話

 深夜、0時前。
 ああそろそろか、とラジオをつけた。
 周波数は合わせっぱなしにしているので、スイッチを入れるだけで良い。
 最初のうちはスマホのアプリで聞いていたラジオなのだけれども、なんとなく「ラジオ」というものが欲しくなり、買ってみた。
 掌に収まるほどの大きさで、ころりとしたフォルムが可愛い小型のラジオだ。
 玩具のようにしか見えないのに、スイッチを入れるとしっかり音を拾うのだからなんだか不思議な気がしてくる。
 その小さなラジオを枕元に転がして、私はそっとベッドに横になる。
 いくつかの宣伝を終えて、目当ての番組が始まった。

『今晩は、坂本龍馬の夜明け前まであと少し、今晩もお付き合いしてね』

 低く柔らかな声音が番組のスタートを宣言する。
 この声の主は、タイトルで名乗っていた通り坂本龍馬という俳優だ。
 トレンディドラマを中心に活躍する甘ったるい優男で、実は私はそれほど興味を持ってはいなかった。
 そのはず、だったのだけれども。

『今日はねえ、ふふふ、良いものを持ってきたんだ。ほら、明日はね、以蔵さんの写真集の発売日だから。献本で貰ったのを、持ってきちゃった』

 くふふ、と子どものように笑う、本当に嬉しそうな声。
 この声を、好きだと思う。
 世間一般では、どちらかというと坂本龍馬という俳優の外見や、演じている役から興味を持ち、好きになり、こうしたラジオを聞くようになるファンが多いのだろう。
 けれど、私は逆だった。
 最初に聞いたのがこのラジオだった。
 深夜、たまたま暇つぶしにダウンロードしたラジオアプリで、適当に周波数を弄っているときに流れ始めたのがこの優しい声だったのだ。
 低く、穏やかな、耳に心地良い声音。
 少し鼻にかかったような、眠たげな印象もある。
 寄せては返す波のような抑揚で、さらさらと語る声が気持ち良くて聞くようになった。
 後から、その番組のパーソナリティを務めるのが世間的にも有名なイケメン俳優なのだと知ってとても驚いたものだ。
 もっと地味な人だと思っていた。
 それぐらい彼のラジオは素朴で、優しかった。
 内容も特に派手なところはない。
 リスナーから送られてくる手紙やメールをぽつぽつと読み上げ、それに対する返事のようなもの語り、近況を語り、音楽を流す。
 特に目新しいことのない、極々普通のラジオ番組だ。
 ただ一つ特別なことがあるとしたら、彼の話にちょくちょく登場する「岡田以蔵」だろうか。
 岡田以蔵というのは彼の幼馴染であり、大河ドラマにおいて共演を果たした役者仲間であり、現在は一つ屋根の下で暮らす同居人でもあるらしい。
 私は普段あまりテレビを見ないのでよくわからなかったのだけれども、彼が岡田以蔵と同居しているということをうっかりバラエティ番組で暴露してしまった後は結構な騒ぎにもなったようだ。
 ラジオでも、「いやあアレはね、本当。後から以蔵さんにしこたま怒られたんだけど……でもあれ悪いの僕だけじゃなくない……? 売り言葉に買い言葉で、以蔵さんも結構口を滑らせてたと思うんだけどなあ」なんてぼやいていた。
 その、岡田以蔵が。
 此度、満を持して写真集の発売に至ったらしい。
 少し前から、以蔵さんに写真集の話が来ていてね、と我がことのように楽しそうに話していたのを聞いていたものだから、なんだかこちらまでついに発売日なのかとおかしな感慨に襲われてしまう。
 岡田以蔵は、もともとは舞台を中心に活躍していた役者であり、テレビに出る機会にはそれほど恵まれてはいなかったのだそうだ。
 その岡田以蔵が、坂本龍馬との共演を通してファンを増やし、ファン層を拡大させ、ついには女性ファンの獲得を見込んでの写真集の発売にまで至ったのが坂本龍馬的にはとてもとても嬉しくて仕方がないらしく、発売が決まって以来ずっと愉しみにしていたのである。
 私は、岡田以蔵のことをよく知らない。
 けれど、それでも彼が岡田以蔵についてを語るのを聞くのが好きだ。
 本当に好きで好きで仕方ないのだろう、という愛しさがその声音からはいつだって溢れている。
 たまに遭遇してげんなりするような、「いかに自分が幸せでいかに自分が愛されているかを語る惚気」と違って、坂本龍馬の語る言葉にこめられた愛情は、本当に好きなものを語るときにのみ込められる尊敬と愛情がたっぷりと詰まっている。
 情報番組に呼ばれた専門家が、生き生きと自分の研究分野について語る様子にも似たそれは、自分の好きなものを人にも知ってほしいという純粋な好意なのだろう。
 言い方を変えると、我が子やペットの可愛らしさについてを語る人に似ている。

『んふふ、僕ね、これ、帯書かせてもらったんだよね』

 知っている。
 書かせてもらったと前にもウキウキと話していた。
 あんまりにも嬉しそうに言うものだから、つい書影を検索してしまった。
 書影には、「僕は三冊予約しました」なる帯がついていた。
 何故三冊予約してしまったのか。

『一冊はねえ、純粋に僕が楽しむためのもの。で、もう一冊は保存用。いつも見てる方が汚れちゃったりとか、くたびれてきちゃっても大丈夫なようにやっぱりバックアップは大事だからね。で、三冊目が布教用かな。人に見せる用もあった方が良いもんねえ』

 大真面目である。

『早速中を見ていこうか』

 ぱらり、ぱらりとページを捲る音がする。
 途中何か、ぐぅ、とかふぐぅ、とか呻くような声がちらほらと漏れたような気がする。

『……あー……以蔵さん、本当恰好良いな……えええ、いや、本当恰好良い。なんかね、今まで以蔵さんって知る人ぞ知るって感じだったんだよね。舞台を中心に活躍してたってこともあるんだと思うんだけど。だから、僕としてはこの写真集をきっかけにもっと以蔵さんの良さをしる人が増えたら良いなあって思ってて……あ、やばいなこれ恰好良い』

 良いことを言いかけていたはずなのに、最後の最後で本能に負けた感。
 今この短い時間の間で何度「恰好良い」と口にしたのかカウントしてみたくなる。
 ちなみにこのラジオのファンの間では、一回の番組の中で坂本龍馬が何度「以蔵さん」と口にしたのかをカウントするサイトを運営しているものもいる。
 今日の放送はもしかしたらこれまでの最高記録を塗り替えるかもしれない。

『あ、これ。いいな。ぼく、好きだなあ。以蔵さんがね、剣の稽古をしているところを見守るカノジョの目線、って感じの写真なんだけどね。袴姿がやっぱり似合うなあ。このねえ、背中の凛とした感じがすごく良いんだよね。男として筋が一本通っているのが伝わってくる背中、というか。剣に対するひたむきさ、真面目さが滲む横顔も良いなあ。以蔵さんってね、横顔のラインがすごくきれいなんだよ』

 滔々と語りながら、ぱらりとページを捲る音が入って、

『うぇッ』

 坂本龍馬が絶句した。

『え、嘘、え、えええ、えええええ?』

 語彙を失ったオタクのような呻きがポロポロと落ちる。
 それからしばらくの沈黙。
 これは下手したら放送事故なのでは、というような間沈黙が続くものの、微かにすーはーすーはー、と呼吸を整える音がするので音響に問題が発生したわけではないらしい。
 どちらかというと坂本龍馬の情緒に問題が生じている。

『……これ、ずるくない? いやね、次のページめくったらね、以蔵さんがこっちに目線くれてるの。ずるくない? そんな贅沢が許されていいの? なに、このカノジョに見られていることに気づいてちょっと照れたみたいな顔。すごくかわいい。とてもかわいい。え、いいな。ぼくこんな顔見せてもらったことないよ。大概以蔵さんぼくに気づくと何見とんじゃワレみたいな顔しかしないんだけど……えっ、…えっ、ありがとう、これもう一冊予約しとくね』

 思わず、笑ってしまった。
 くすくすという小さな笑い声が、静かな夜の部屋に零れる。
 既に三冊予約して、一冊献本でもらって、合計四冊手元に揃うことになっているはずなのにさらに追加でもう一冊買ってしまうのか。

『いやあ、すごいなこの本……って、あれ? なに? え? 電話? 僕に?』

 少し、ラジオから流れ出す声のトーンが変わった。
 このまま今日はフルスロットルに『以蔵さん』の写真集についてをひたすら語り倒すのかと思っていたのだが。
 ガタタ、と立ち上がるような音がする。
 物音がしばらく続いて、少しマイクから遠い位置で電話を受け取る坂本龍馬の声が響く。
 この番組ではたまにリスナーとの電話をつなぐことがあるので、もしかしたら今回もその類なのだろうか。
 それにしては、相手の声が聞こえてくる気配がないな、と思ったところで。
 
『ひえ、え、だって以蔵さん、あの写真集すごい出来が良いから宣伝したくて……せっかく献本ももらったし……あっ、やだだめ閉め出さないでチェーンかけないで!』

 などという悲鳴めいた声が聞こえてきた。
 あ、これ岡田以蔵から電話かかってきたな、と察する。
 基本的にこの番組は坂本龍馬の裁量で好きにやっているらしく、話す内容も自由で、特に台本などもないし、何を話しても上から叱られるということもないから気楽にやらせてもらってるんだ、とは何度か言っていたことがあるのだが。
 上からは叱られなくとも、岡田以蔵からはこうして度々苦情がねじこまれる。
 面白がってスタッフが毎度電話をつなぐのである。
 ある意味この番組の名物イベントだ。
 叱られているのか、しゅんとした声で「ごめんね」とか、「おねがい鍵あけといて」とか切実な訴えを漏らしていた坂本龍馬だったわけなのだけれども。

『でもね、ぼくね、あの6ページ目の写真とか本当良いなって思って。すきだなあ。よく撮れてて、恰好良いよ』

 などと、本人相手に褒め始めたのだからっょぃ。
 結局、いくら言っても効果はないと悟ったのかその後すぐに電話は切られてしまったものらしい。
 
『あはは、以蔵さん怒っちゃった。これ、今日家に入れてもらえるかなあ……』

 すん、と哀れっぽくボヤいたものの。

『まあ、どうせ怒らせたなら最後までやっても同じなので、今日はこのまま以蔵さんの写真集についてを語らせてもらうね』

 この坂本龍馬、懲りない。

 □■□
 
 写真集を、買ってしまった。
 買うつもりなどなかったのだ。
 私はあくまで坂本龍馬のラジオのファンであり、役者をしている坂本龍馬や、その幼馴染である岡田以蔵に対してはそれほど思い入れはなかったはずなのに。
 もしや洗脳だろうか。
 あり得る。
 あんなに熱心に語られてしまったら、中身が気になってしまうのも仕方がないというものだ。
 仕事帰りに立ち寄った書店で探してみたところ、ちょうど最後の一冊だった。
 良かったですね、今あちこちで欠品でてるみたいで、との店員さんの言葉に、思わず脳裏だけで返した言葉は「でしょうね」だった。
 あれだけ坂本龍馬が渾身のダイレクトマーケティングを行ったのだ。
 本来のファン層以外が手を伸ばしたとしてもおかしくはない。
 紙袋に包まれた写真集を丁寧に抱いて帰宅する。
 そして、着替えを済ませて落ち着いたところでそっと袋から出した。

「これが、岡田以蔵……」

 小さく呟く。
 表紙は、岡田以蔵がどこか人気のない雑踏で壁に背を預けてぼんやりとたたずんでいる横顔だった。
 穏やかにどこか遠くを見ている。
 待ち合わせ中の一コマといった様子だ。
 もっしゃりとした癖のある黒髪を高い位置で一つに結い、来ているのは白のラフなTシャツに、黒のスキニージーンズといった飾らなさ。
 けれど、そんなシンプルな服装がスタイルの良さを際立たせている。
 まばらに髭の散った顎の男らしさと、それと対照的なまでにどこかあどけない大きな双眸がアンバランスで目を惹かれる。
 坂本龍馬が「かわいい」と度々口にするのがわかる気がする。
 ぱらり、ぱらりとページを捲っていく。
 カノジョ目線、というだけあって、日常に密着した、ふとした飾らない素の姿を切り取ったような姿が多い。
 坂本龍馬が騒いでいた袴姿はなるほど、と納得してしまう出来だった。
 写真からも凛とした静けさが伝わってくる。
 道場の中心にて静かに木刀を構える姿は酷く様になっている。
 背景にあけ放たれた道場の戸口の向こうに、竹の緑が覗くのがまた爽やかだ。
 そしてそんな静の写真から、ぺらりとめくった先でその彼が振り返り、少し照れたように眉尻を下げて笑っているところに繋がるのだから効果は抜群だ。
 そりゃあ坂本龍馬ももう一冊買う。
 そんなことを思いながらぱらりぱらりと最後まで見終えた。
 坂本龍馬のラジオは、WEBにバックナンバーが残るので、後であの宣伝回を聞きながらもう一度一緒に見てみよう、なんて思ったところで。
 おや、と思った。
 あと少し、ページが残っている。
 結局あの後ラジオで坂本龍馬はありとあらゆる写真に対して一枚ずつコメントをしていったはずなので、ラジオで紹介された写真をすべて見終えたイコールおしまいだと思っていたのに。
 ぱらり、とページを捲って。

「―――」

 思わず、小さく息を呑んだ。
 それは、表紙から繋がる一連の写真だった。
 雑踏の中を歩いている岡田以蔵。
 目線は素っ気なく前を向いている。
 あまりカノジョ連れらしからぬ目線だ。
 ぱらり。
 ページを捲る。
 岡田以蔵が立ち止まってこちらを振り返っている。
 これまでの写真にはない半眼だ。
 呆れたような、今にもその唇からは文句が飛び出してきそうな。
 ぺらり。
 ページを捲る。
 岡田以蔵が、笑っている。
 目元はまだ少し不機嫌そうな半眼なのに、口元だけはどこか嬉し気に、楽しそうに、仕方のないやつめ、と言いたさそうな風に緩んで、笑っている。
 その手は、カメラに向かって無造作に差し出されている。
 早く来いと少し拗ねたような目元が、素直だ。
 これまでのカレシとしての写真とは違って、少しその表情は幼げにも見える。
 酷く気を許した顔だ。
 全く仕方のないやつめという呆れを滲ませた顔をしているのに、全体的にどこか甘えにも似た雰囲気が滲んでいる。
 その顔に、なんだか覚えがあった。
 坂本龍馬の語り口調だ。
 以蔵さんはすごい、以蔵さんは恰好良い、とひたすらに尊敬を滲ませ全面的に頼りっぱなしであるようでありながら、どこか甘やかすような包容力を帯びた穏やかな声音。
 もしかして、と思う。
 写真をよくよく見る。
 そして、その一連の写真の一番下。
 米粒のように小さな文字が書き込まれていた。

 ―――撮影:坂本龍馬。
 
 
 □■□
 
 
 案の定、あの最後の写真は世間でも大いに話題になった。
 テレビで二人並んでインタビューされている姿を見た。

「……わしは、写真のことはようわかりませんきに、カメラマンのセンセ方の良いようにしてつかあさいち言ってお任せにしちょったんです。そいたらいつのまにか龍馬が撮った写真が混ざっちょったんです。解せん」

 本当にどいて???という顔でむくれている岡田以蔵と、その隣でにこにこと嬉しそうに笑っているひどく顔の良い男というのは声から想像していたのと変わらない様子で、なんだかとても微笑ましい構図だった。
 お互いに気心が知れているからこその遠慮のなさと、甘えが滲んでいる。

「ちなみに、これ、なんて言って撮ったんですか?」

 インタビューの最もな質問に、坂本龍馬はにこりと笑った。

「今度仕事でカメラ使うことになったから、ちょっと練習したい、って」
「こンの大嘘つきが」
「嘘じゃなかったでしょ」

 だむだむと革靴の足を踏まれていたものの、やっぱり坂本龍馬は楽しそうに笑っているばかりだった。
 
 
 □■□
 
 それから、数か月。
 岡田以蔵の写真集は売れに売れたようだった。
 そして、その好評っぷりに便乗して、第二弾の発売が決定した。
 第二弾の被写体は坂本龍馬である。
 坂本龍馬のカノジョ目線が楽しめる写真集ということもあり、岡田以蔵の時以上に前評判は高く、すでに予約が殺到しているらしい。
 恥ずかしながら、私もその一人である。
 そして、そんな写真集の発売日前日。
 いつものようにラジオのスイッチをいれて待機する。

『今晩は、坂本龍馬の夜明け前まであと少し、今晩もお付き合いしてね』

 いつもの口上とともに番組がスタートする――かと思いきや。

『今日はね、ちょっと恥ずかしいんだけど、明日が僕の写真集の発売日ということもあって、スペシャルゲストが来てくれました』

 ゲスト。
 ゲストとな。
 今までこの番組にゲストがやってきたことなどなかった。
 このタイミングでやってくるなんて、まさか。
 まさか。

『……お初にお目にかかりますぅ、岡田以蔵です』
『そう! 以蔵さん! 今日はね、以蔵さんが来てくれたんだよね、いやあ、嬉しいなあ!』

 デレデレと嬉しさが隠しきれないといった坂本龍馬の声とは裏腹に、岡田以蔵の声からは渋々感が溢れている。

『こいたぁがな……宣伝手伝えち五月蠅いき……』
『僕も以蔵さんの写真集の宣伝手伝ったんだし、以蔵さんも手伝ってくれたって良いじゃないか。じゃあ早速はいこれ。あ、どうぞ、これそのまま持って帰ってね。以蔵さんの分の献本だから』
『おまんほんにぐいぐい来るのお』

 もはや押し付けるかのごとき坂本龍馬の手腕に、思わず笑ってしまう。
 ぱらり、ぱらりと岡田以蔵がページを捲る音がする。

 ぺらり。
『……顔面が光りゆう……』
 ぺらり。
『顔がえい……腹が立つほど顔がえい……』
 ぺらり。
『しょうまこと顔がえい……』
 ぺらり
『股下が13㎞ありよる』
 ぺらり
『ナンジャア……』

 もはや後半鳴き声と化していた。
 その間坂本龍馬はといえば、岡田以蔵が何かコメントを漏らす度にくくくと楽しそうな笑いを零している。
 
『今ねえ、以蔵さん、僕の写真集のページめくりながら、なぜかものすごい眩しいもの見るかのように全力で顔をしかめてる。梅干し食べちゃったポメラニアンみたいなしわっしわの顔してる』

 梅干しを食べてしまったしわっしわのポメラニアン #とは
 一体何を言っているのか、と思う一方で、想像がついてしまうのが面白い。
 きっと口元をへの字にして、鼻頭にも皺を寄せたりなどしながら、それでも真面目に写真集のページをめくり続けているのだろう。
 そんな態度だけ見れば結構な塩対応であるわけなのだが、一言一言のコメントはひたすらに顔が良いだの脚が長いだの、褒め言葉の類であるのが面白い。

『見終わった』
『どうだった?』
『吸血鬼がな』
『う、うん?』
『これ見たら死にゆうぞ』
『まって、以蔵さん待って、そのコメントどういう意味!? 写真集に対するコメントじゃないよね!?』

 吸血鬼が思わず死んでしまうほどに光属性顔面、ということなのか。
 なんだかんだ、岡田以蔵は坂本龍馬の顔の造作についての評価が高いのが面白い。
 
『そういえばな』
『ン?』
『この局でたまにやりゆう天気予報があるじゃろ』
『えっ、僕の写真集についてのコメントはあれで終わり!?』
『天気予報があるじゃろ』
『うわ、強引だな!?』

 コントのようなやりとりに、自然と口元が緩んでしまう。
 坂本龍馬もなかなかのマイペースだが、この岡田以蔵も負けていない。
 
『夜っちゅうかもう明け方ぐらいの時間帯のやつなんじゃけんど』
『ああ、あるねえ』
『あれ、誰がやっちゅうかおまん、知っちょるか』
『えっ』

 岡田以蔵の問いに、何か坂本龍馬が妙な声を上げる。
 好物を丸呑みにしてしまった、ような声、というか何というか。
 あまり聞いたことのない声だ。

『たまにな、おまんのラジオ聞いた後そのまま寝ることがあってな』
『う、うん』
『明け方ぐらいにふと目が覚めたりした時にやっちゅう』

 そうか。
 岡田以蔵、なんだかんだ坂本龍馬のラジオ、毎週聞いているのか。
 確かに、聞いていなければあの苦情電話イベントは発生しないだろう。
 あれだけ口ではなんやかんやと文句を言いつつも、そうやってきちんと坂本龍馬の仕事ぶりをチェックしているのかと思うと、坂本龍馬が可愛がる気持ちがわるような気がした。
 
『それが、その、どうしたの?』
『や、えい声しゆうなあと思って。あん声聞くとよう眠れるがじゃ。他にもやってる番組とかあるんなら聞いてみようかと。同じ局やし、おまんに聞けばわかるかと思うたんやけんど知らんか?』

 そんな番組があるとは、私も知らなかった。
 大体この番組が終わった後には、私もラジオを止めて寝てしまうのだ。
 
『………………』
『りょぉま?』
 
 今の声、可愛かった。
 普段は「龍馬」ときっちりはっきり呼ぶ岡田以蔵の声音が、少し甘えたように不明瞭さを帯びる。
 幼い子どもが慕う相手を呼ぶような響きだ。

『………ええと、その』
『なんじゃ』
『怒らないで聞いてほしいんだけど』
『なんじゃ』
『それ、ぼくだね』
『ハア???』
『……ぼくが、やってるの。その、天気予報』
『嘘じゃろ、おまんあの時間帯には家で高いびきやろうが』
『録音です』
『ろくおん』
『そう、録音』
『う、嘘じゃあ』
『嘘じゃないってば』

 照れ照れとした声音で、坂本龍馬は説明を続ける。
 この番組のスポンサーに頼まれて、特に名前が出るような仕事でもないし、隙間時間にちょっと流れるだけの天気予報だけれどもやってくれないかと頼まれたのだと。
 普段お世話になっているし、ラジオの収録ついでに録るぐらいなら良いかと思って引き受けた仕事なのだ、と。

『…………』
『…………』

 しばらくの沈黙が続く。
 
『あの、以蔵さん?』
『おまんを殺してわしも死ぬ』
『なんでえ!!』

 突然の心中宣言が飛び出した。

『恥じゃ……おまんやと気づかんかったんも恥やし、おまんだと気づかんでえい声やにゃあ~なんて思ってたんも恥やし、それをおまん本人に言ってしもうたのも恥じゃ……もはや死ぬしかありゃあせん』
『まってまってまってそれぐらいで死ぬのやめて! いともたやすく死を選びすぎだからね!?』

 声だけでも、岡田以蔵が死ぬほど照れているのが伝わってくる。
 一方の坂本龍馬は慌てて岡田以蔵を宥めにかかりながらも、その声はてれりてれりと幸福に満ちている。

『ふふふ』
『……おまん、わしを笑うたか』
『まって、しまつけんはまって』
『笑うたやろうが!』
『違うよお、嬉しくて』
『ハア?』

 しまつけん、などというよくわからない名称が飛び出したものの、どうやら坂本龍馬は命乞いには成功しているようだ。

『以蔵さんがな』
『……おん』
『わしの声、えい声やち褒めてくれゆうんが嬉しゅうて』

 う。
 な。
 なんだ。
 なんだ。
 なんだこの声。
 とろとろと煮詰めた黒糖のようにほろ甘く。
 どこか懐かしく、柔い声だ。
 これまで結構長い間坂本龍馬のラジオを聞いてきたが、こんな声を今までことはない。
 なんだ。
 なんなんだ。
 対岡田以蔵限定ボイスなのか。
 それは冗談としても、実際問題相手が岡田以蔵だから、ではあるのだろう。
 そうでなければ、普段はどこまでも標準語を崩さない坂本龍馬が、郷土の訛りを出したりはしない。

『にゃあ、以蔵さん』
『…………なんじゃあ』
『わしもな、以蔵さんの声、好いちゅうよ』
『…………ッ』

 ごいん、と。
 何かとんでもなく痛そうな音が、スピーカー越しにも響いた。
 

 □■□

 
 翌日、私は仕事帰りにほくほくと予約してあった坂本龍馬の写真集を書店で受け取っていた。
 大々的な宣伝が行われているらしく、書店には大きく坂本龍馬、初の写真集なんて煽り文句とともにポスターが貼られている。
 すっと目鼻立ちの涼しい、どこまでも顔立ちの整った男だ。
 その男が、昨夜は年下の幼馴染にどつかれていたのかと思うと思わず口元が笑ってしまう。
 賑やかな雑踏を抜けて帰路につき、前回と同じように着替えてからそっと恭しく紙袋から写真集を取り出す。

「―――あ」

 これは、もしかしなくとも。
 ちょっと、ずるいのではないだろうか。
 表紙の坂本龍馬は、海辺にいるようだった。
 白い砂浜、水がひたひたと寄せる中に佇んでいる。
 夜明け前なのか、水平線の向こうにうっすらと明るく白々とした光が滲む。
 蒼のシャツに、白のスラックス。
 わりときっちりと着こんだ格好なのに、足元だけは裸足で、片手に革靴をひっかけて、そんな坂本龍馬がこちらを振り返っているような横顔だ。
 砂浜で待つカノジョを振り返る図、なのかもしれない。
 そのつもり、なのだろう。
 だけれども。
 私はごそりと本棚にさしてあった岡田以蔵の写真集を取り出した。

「……やっぱり」

 向きが、合う。
 並べると、まるで互いの視線の先に互いがいるかのようになる。
 計算付くなのか。
 偶然なのか。
 ぱらり、ぺらり、とページを捲っていく。
 坂本龍馬の写真集は、岡田以蔵の写真集とは少し様子が異なっていた。
 岡田以蔵の写真集がどちらかというとオフの、素の顔を中心としたものが多かったのだけれども、坂本龍馬の場合は『俳優坂本龍馬』をカレシとした場合のシチュエーションとでも言えばよいのだろうか。
 例えば高層ホテルのレストランでの食事を思わせる写真だ。
 高級そうなスーツに身を包んだ坂本龍馬が、テーブルで揺れるキャンドルの明かりの色をその黒々とした双眸に映してこちらに微笑みかける様子など、全女性の夢とロマンを詰め込みましたといった態だ。
 さらにその次のページでは、今度はホテルのスイートを思わせる一室の窓辺にてタイを緩めてこちらに手を伸ばす坂本龍馬の姿などが写真に収められている。
 乱れた襟元から除く素肌の色香がとんでもないことになっている。
 これはあの岡田以蔵が言葉を失うのもわかる。
 坂本龍馬という男がカレシだったら、というシチュエーションにおける最高級のときめきを形にしてみました、という豪華仕様である。
 本来、坂本龍馬という俳優に対してファンが抱く理想の姿としてはこちらが正しいのだろう。
 けれど、あの素朴で優しく、穏やかなラジオの聞き手から入った私には、少しばかりイメージが異なってしまう。
 確かに恰好良いし、目の保養ではあるのだけれど。
 そんなことを思いながら、ぱらり、ぱらりとページを捲っていく。
 そして、残りも少しとなったところで私は思わずばたりと本を閉じてしまっていた。

「いやいやいやいやいやいやいや」

 そんな声が漏れる。
 まって。
 まってほしい。
 まって。
 誰に対する懇願なのかわからない言葉がとめどなく唇から零れ落ちる。
 呼吸を落ち着けて、もう一度写真集を開く。
 見間違いではなかった。
 坂本龍馬の、寝顔がそこにはあった。
 紺色のベッドシーツの上で、真っ白な布団をぎゅうぎゅうと抱き枕のように抱きしめて幸せそうに眠っている。
 ふよりとふやけた口元や、閉ざされた目元の幼さが、それが撮影のためのシチュエーションなのではなく、本当に寝顔を撮ってきたものだということを教えてくれている。
 これまでの作りこまれた世界観とは打って変わっての素顔だ。
 服を着ていないのか、存外に鍛えられた肩から二の腕にかけてのラインが剥きだしになっているし、普段はきちんと一つに束ねられている長い黒髪がばさりと枕に広がっているのがまたたまらない。
 少し撮り方を変えればいくらでも色っぽくできそうな構図であるのに、あえてそうしたのかと思うほどに健康的で、安心しきったすややかな寝顔だった。
 心の底から動揺しつつも、ぱらりと次のページを捲る。
 捲って、噴いた。

「……ッ」

 呼気が笑いに震える。
 こちらは寝起きの一枚であるらしかった。
 トランクス一枚の姿で、眠そうに目をこすりながら廊下に出てきたところだ。
 ゆるゆるとした雰囲気であるのに、ごりごりに鍛えられた腹筋や二の腕、驚くほど長い脚に目が奪われる。
 普段は優男然としているのに、あの細身にも見える綺麗めファッションの下にこんな爆弾じみた身体を隠しているのかと思うと眩暈がしてくる。
 それなのに、先ほどまでシーツに広がっていた黒髪は今も寝癖がついているのかぼさぼさと乱れているし、しょぼしょぼと眠たげに目元の垂れた様子はまるで子どものようだ。
 ぺらりとまたページを捲る。

「うッ」

 呼吸が止まりかけた。
 これは良くない。
 これはよろしくない。
 構図自体は先ほどとそう変わらない。
 先ほどと同じ構図でアップにしただけのようにも思える。
 けれど、表情が変わっていた。
 片手を口元にあてた欠伸の途中で、こちらに気づいたように目元を和らげているのだ。
 ふにゃりとした柔らかな、蕩けるような笑みが口元に広がっている。
 今にも「おはよう」とあの穏やかな優しい声音が聞こえてきそうな一枚だ。
 そして、最後に。
 ぺらりとページを捲って、私は今度こそ声に出して笑ってしまった。
 最後の一枚、坂本龍馬はほとんど映っていない。
 おそらく、ここでようやくカメラに気づいたのだろう。
 廊下から繋がる部屋の扉が開いていて、そこに逃げ込んでいく脚だけが映っている。
 可愛い。
 とんでもなく、可愛い。
 あのラジオから連想しうる最高の坂本龍馬の姿がそこには映されていた。
 笑いながら、視線を写真の隅へと落とす。
 ああ、やっぱり。
 当然だ。
 この一連の写真を撮れるのはこの人しかいない。
 写真の片隅には、米粒のような文字でやはり、「撮影:岡田以蔵」と書かれていた。

「――よし」

 私は、すがすがしい気持ちで写真集に挟まっていた編集部へのお便り用のはがきを手に取った。
 さて。
 第一弾のテーマが「岡田以蔵のカノジョ」で、第二弾が「坂本龍馬のカノジョ」だ。
 ならば、第三弾としてひたすらこの二人が仲良くしている日常写真の写真集がほしい場合のタイトルテーマは何にすべきだろうか。
 悩ましい。
 

 

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