6 以蔵さんとお竜さんが仲良く殺し合う話

「イゾー」
「何じゃあ!?!?!?」

 自室にて一人で過ごす静かなひと時。
 刀の手入れをしていた以蔵は、突如かけられた声に軽く飛び上がると同時に手にしていた刀をその声の主へと向けて油断なく構えて見せた。
 が、その相手がお竜だと分かればわずかに切っ先が下がる。
 このお竜、というのはまつろわぬ神の一柱であり、妖怪といえば妖怪の類ではあるのだが、何が面白いのか以蔵の幼馴染でもある維新の英雄、坂本龍馬に取り憑いている物好きだ。
 生前はおろか、その幼馴染が死んだ後も宝具として共にいるというのだからその入れ込みようは凄まじい。
 その一方で、以蔵とお竜の仲というのは大変によろしくない。
 以蔵が龍馬に対し敵意を燃やし、隙あらば殺そうとしていたことも関係しているのだろうが、そもそもそれ以前の問題として以蔵とお竜は反りが合わない。
 人の心の機微など知ったことかと思うがままに言葉を吐くお竜と、自分をなるべく強く見せかけようとしつつもその内に繊細で打たれ弱い心を隠した以蔵とでは、それはもう驚くほどに相性がよろしくないのだ。
 お竜は以蔵が隠したがる本心を悪気なくぼろぼろと暴き倒すし、それに対して以蔵がいかに怒り狂おうが「本当のことを言って何が悪い」という態度を崩さない。
 というわけでこの二人が顔を合わせれば、斬った張ったの大騒ぎになりがちなのだが――それがここ最近は静かだった。
 
 龍馬曰く、お竜さんちょっと調子を崩してて、とかなんとか。
 
 宝具であるお竜の調子が良くないのであれば、その持ち主である龍馬が戦闘に参加できるわけもなく、ここしばらく以蔵は龍馬とお竜がレイシフトのメンバーに加わっているのを見ていなかった。
 それだけではない。
 龍馬自身はカルデアのあちらこちらで時間を潰す姿が目撃されていたが――…お竜の姿はとんと見かけなかった。
 だからこそ、調子が悪いというのは本当なのだろうと以蔵は思っていたわけなのだが。
 何故、その調子の悪いはずのお竜が突然自分の前に姿を現したのか。
 わざわざ部屋まで訪ねてくるなど、これまでになかったことだ。

「……龍馬に何かあったんか」
「…………」

 ふるふる、とお竜は頭を左右に振る。
 意外だ。
 この人外が以蔵のところにやってくるなんて、龍馬に頼まれたか何かしない限りないと思っていたのだが。
 黙りこくったまま頭を左右に振ったお竜は、どことなく幼げにも見える。
 日ごろは飾らぬ言葉――暴言ともいう――をポンポンと吐き出す唇をきゅとへの字にして、言葉に迷うように黙りこくっている姿は思いを言葉にする術を知らぬこどものようにも見えてしまって、以蔵はがしがしと頭をかいた。
 叱られた時の弟や妹が、よくそういう顔をしていた。
 何か言いたいことがあるのに、それを上手く言葉にできないもどかしさを抱えた顔だ。
 ため息交じりに、以蔵は刀を下ろす。
 ちきりと小さく音をたてて白刃を鞘に納め、自分の隣をポンと叩く。

「聞いちゃるき、すっと話しぃ」
「……………」

 ぐるりと、お竜の身体が空を泳ぐ。
 そうして、ふよりとお竜は以蔵の隣に収まった。
 といっても座ってはいない。
 その足元は未だふわふわと宙に浮かんだままだ。

「のうが悪いと聞いちょるが、えづいんか」
「…………イゾー」

 答えの代わりに、まるで縋るように名を呼ばれる。
 いつもの淡々とした声音と異なり、心細そうな声音だ。
 何より以蔵のことを「クソ雑魚ナメクジ」ではなく名前で呼んでいる。
 
「何じゃ」
「お竜さんを、助けてほしい」
「………どいてわしに頼む」
「イゾーならお竜さんを殺せるからだ」
「―――」

 ぽろりと零れた不穏な言葉に、以蔵は眉を寄せる。
 殺しの腕を買われた、と思えばそれほど悪い気はしないものの、このカルデア内では私闘は厳禁だ。そもそも、以蔵にはお竜を殺す理由がない。
 殺してやりたいと思ったことは何度もあるが。
 
「わしは頭がようないき、ちゃんと話さんか」
「……そうだな。ナメクジに龍馬レベルの知性を求めたお竜さんが悪かった」
「叩ッ斬ちゃろか」

 少しばかりいつもの調子が戻った様子に、フン、と以蔵は息を吐く。
 この女怪がしおらしいばかりではどうにも調子が狂う。

「お竜さん、脱皮したいんだ」
「だっぴ」

 思わず復唱する。
 見た目は妙齢の美しい少女の口から出るには突拍子のない言葉だった。
 が、そうは見えてもこの目の前の少女は国津の大蛇と呼ばれたまつろわぬ神だ。
 以蔵も何度も、その本性を露わにして敵を一呑みに喰らう姿を見ている。
 ぬらりとした黒の鱗に、鮮烈な紅を引いたような巨躯。
 確かに蛇に似たあの姿であれば、脱皮、と言われてもそれほど素っ頓狂な話ではないような気がしてくる。
 何せ日ごろから好物はカエルだと公言してやまないお竜である。

「したらえいじゃろ」
「……それが、上手くいかなかったから困ってる」
「何じゃ、失敗したんか」

 ちら、と隣を伺えばわかりやすくうろりとお竜の視線が彷徨った。

「ここは、お竜さんには乾きすぎてるんだ」
「風呂場にでも籠りゃあえい」
「籠ってた」
「ほん」

 それで、調子が悪かったのかと納得する。
 お竜はハアと少し息を吐いて。

「…………リョーマにも見せたことないんだ。光栄に思えよ」
「何が」

 じゃ、と最後まで言うことは出来なかった。
 霞むように隣に浮かぶ女の姿がブレたかと思った瞬間、その姿が、否、その姿が纏う色合いがぬるりと変わったからだ。
 身体の至るところが、おどろおどろしく白く濁って色を変えていた。
 白皙と言ってよいほどに白く、透明感のあった肌が。
 柘榴の色あいをした双眸が。
 まるで陰惨な死体のように白く濁っている。
 その姿に以蔵はギョっとしたように腰を浮かせる。

「おまん、それ、どういたがじゃ……」
「ビビったか」

 が、けろりとした調子のお竜の言葉に、再び腰を落とす。

「ビビっとらん、驚いただけじゃ」
「お竜さんは脱皮前になるとこんな感じだ」
「痛くはないがか」
「色が変わるだけだ。痛くも痒くもない」

 黒の上から濁った白が乗ったような髪に、以蔵はおそるおそる手を伸ばす。
 手に取った黒髪の質感は異様だった。
 艶やかな黒髪の上に一枚、白く濁ったテクスチャーが乗っている、というような具合にザラついている。

「半分はどいた」
「戻った」
「戻るんか」
「戻るんだ。白くなって、戻った頃合いが脱ぎ時だ」
「ほうか」
「たぶん、今夜あたり、戻りきる」
「脱ぎ時か」
「脱ぎ時だ」

 けどな、と困ったようにお竜は微かに眉尻を下げて見せた。
 普段はほとんど感情の乗らない無表情めいた顔をしていることが多いお竜のそんな顔は、どことなく彼女の契約主でもある龍馬に似ている。

「お竜さん、失敗した」
「何をしたんじゃ」
「…………お竜さんがいないと、リョーマはダメダメだからな。早く、戻ってやりたかったんだ」
「おん」
「それで、イケると思ったんだが駄目で。中途半端に脱いだら、それ以上脱げなくなった………」
「おまん馬鹿じゃろう」

 心底呆れた声が出た。
 白濁化して、色が戻った頃合いが脱ぎ時だと自分で言っておきながら、この女は契約主である龍馬のために無理に色が戻りきる前に脱皮を試み、その結果二進も三進もいかなくなってしまったらしい。

「……これにはお竜さんもしょんぼり。反省している」

 しょんぼり、と声にも出してお竜が項垂れる。
 そんな年端もいかぬこどものような仕草に、以蔵は呆れたような呼気を漏らす。
 が、そのお竜が脱皮に失敗したという事実と、以蔵ならお竜を殺せる、という話のつながりは未だ見えないままだ。

「で、どいてわしならおまんを殺せるなんち話になるがじゃ」
「お竜さんも、お前なら殺せるからだ」

 なんとも不穏で、全く意味のわからない回答に以蔵は頭を抱えたくなる。
 以蔵だから意思の疎通がうまくいっていないのか、それともこの蛇女と問題なく意思の疎通をして見せる坂本龍馬という男のコミュニケーション能力がズバ抜けているのか。
 どうか後者であってほしいと思う。

「おん」

 結局、以蔵は続きを促すように頷くだけにとどめた。

「だからな、イゾー。お竜さんはお前に脱ぐのを手伝ってほしい」
「もうちくっとだけちゃんと話せ。もうちくっとでえいから」

 真顔で訴えた以蔵に、むーとお竜は唇を尖らせる。
 助けを求めてきたわりには態度のでかい女怪である。

「お竜さんは脱皮を手伝ってほしい」
「おん」
「だが、たぶんお竜さんは脱皮を手伝ってくれた人を殺してしまう」
「おん???」
「だから、イゾーに頼みにきた」
「おいこのスベタ」

 最初から殺す気満々か、という顔で以蔵は低く唸った。
 なるほど。
 ようやく得心した。
 相手を殺してしまう可能性があるが故に、お竜は龍馬に頼むこともできず、その他の傷つけたくない友人知人に頼ることも出来ず、唯一殺してもいいかな、と思っている以蔵の元に頼みにやってきた、ということらしい。
 殺してもいいと思っている相手だからこそ助けを求める、という素っ頓狂な発想がなんとも人外らしくて以蔵は半眼になる。

「おまんが殺さなきゃえいじゃろ」
「駄目なんだ。お竜さんには弱点がある。ここを」

 するりと、お竜の華奢な手が自らの頸元を撫でる。
 鱗の浮いたマフラーで日ごろ隠された頸元。
 
「触られると、お竜さんは駄目だ」
「ほん」
 
 そこには逆鱗、と呼ばれる鱗があるのだと以蔵は前に龍馬から聞かされたことがある。
 そこに触れられると、お竜は正気を失い、狂化してしまうのだと。
 だからお願いだから、喧嘩程度にやり合うのは構わないが絶対に首だけは狙ってくれるなと強く言われていたのだ。
 
「なるほどにゃあ」
 
 逆鱗、というのはその名の通り、逆さに生えた鱗だ。
 脱皮の際にはさぞ手こずることだろう。
 それを手伝うのだ。
 逆鱗に触れたものは、お竜の暴走に巻き込まれることになる。

「……おまん、わしに死ねち言いゆうがか」
「その通りだ。お竜さんのために死んでくれ」

 いけしゃあしゃあと蛇が言う。
 そんな話に誰が乗るか、と断りかけたところで、にやりとお竜は口角を釣り上げて笑った。

「そのかわり、お前もお竜さんを殺せるかもしれないぞ」
「…………えいんか」
「いいぞ。お相子ってやつだろう。まあ、お竜さんがイゾーを殺して終わると思うが」
「そりゃあやってみんことにはわからんちや」

 にィ、と以蔵の口元にも不穏な笑みが乗る。

「ああ、ただし条件がある」
「何じゃ」
「万が一、いや億が一にもお前がお竜さんを殺せたなら、ちゃんと皮は剥いでいけよ。カルデアに戻ってまだ脱げてませんでした、じゃ洒落にならない」
「わぁっちょる」

 上手に剥けましたー、だ。
 なんて、上機嫌に歌うようにお竜が口にする。
 つられたように、以蔵もにんまりと愉しげに笑った。
 もしも誰か見ている者があったなら、二人してろくでもない悪戯を目論む子どものような顔をしていた、と報告したことだろう。
 
 
 
 
 
 
 
 
■□■
 
 
 
 
 
 
 
 
 ド深夜のカルデア、見様見真似で以蔵とお竜はシミュレーションルームへと足を踏み入れていた。
 多少不安はあるが、英霊同士が宝具を撃ちあうほどにやりあってもなんとか耐え抜くシミュレーションルームである。
 多少狂化したお竜が大暴れしたぐらいでは壊れないだろう。
 たぶん。きっと。希望的観測では。
 ふよりと空を泳いでやってきたお竜の姿を見て、以蔵はフンと小さく息を吐く。

「龍馬はどいた」
「すやすや寝てたぞ」
「ならえい」

 気づかれたならば、間違いなく邪魔されるのがわかっている。

「しゃんしゃん行くぜよ」
「わかっている」

 以蔵は見様見真似でシミュレーションルームを起動する。
 昼のうちで、使い方は見て覚えてある。
 機械には疎いが、見た通りのことを実行するのは得意だ。
 理屈などわからなくとも、使い方さえ知っていれば大概の機械はなんとかなるものなのだ。
 ヴン……ッと虫の羽音のような鈍い音が響いて、ただただ真っ白にただっ広かった空間があっという間に別の世界に切り替えられていく。
 深く鮮やかな緑が周囲を覆い、足元をちょろちょろと冷たい水が流れていく。
 景色の変化から一拍遅れて、むわりと熱帯特有のまとわりつくような湿気を多分に含んだ熱気が押し寄せてくる。
 見知らぬ花の香が蕩けたように空気が甘いのは、そこに濃密な魔力が漂っているからだろう。
 今回以蔵とお竜が選んだのは、古代の熱帯雨林だ。
 脱皮には湿気があった方が良いだろう、というチョイスである。

「えいぞ、お竜」
「あまり時間はかけられないと思え。リョーマが気付く」
「わかっちょる」

 お竜は、龍馬の宝具だ。
 お竜としての意思を尊重されてはいるものの、同一の霊基を共にしているだけあり、ある程度お竜の行動は龍馬に筒抜けになってしまう。
 共有の魔力をガンガン消費していれば、いかに寝汚い男とはいえ、異変に気付いてしまうことだろう。
 二人で足元の流れを辿り、淵のようになっている場所へ移動する。
 お竜は躊躇いなく服を脱ぎ捨てると、どぼんと淵へと飛び込んだ。
 深緑の淵に白い裸身がぼんやりと透けて浮かぶ様はなんとも蠱惑的だ。
 相手がお竜でさえなければ、劣情を誘われる、なんてこともあったかもしれない。
 が、以蔵の目の前にいるうつくしい女は、人外である。
 ぬらりと光る黒の鱗を持った大蛇だ。
 一度とぷんとその姿が淵の中に消えて、それからまた白い裸身がくねるようにして浮上した。全身がしとどに濡れそぼり、白い肌に長い黒髪が絡みついている。
 以蔵は淵の縁に腰を下ろすと、「こっちゃ来ぃ」とお竜を手招く。
 するすると寄ってきたお竜の片目は、未だうっすらと濁っている。

「剥ぐぞ」
「痛くするなよ」

 ちょろりと手で掬った水を額からその眼にかけて流す。
 見た目には人と変わらぬ造りであるように見えるのに、かけた水は開いたままの眼球の窪みにたまるようなこともなく何か薄い布一枚隔てたようにお竜の顔の半分を流れていった。
 ゆっくりろ手で触れる。
 白い柔肌の上に、ぬるりと柔らかい膜のような感触がある。
 かり、とまず額のあたりに柔く爪をたてる。
 ずるりと膜が肌の上をすべるような感触がして、ぽろりと薄い皮が以蔵の手の中に残った。

「鱗じゃないんか」
「蛇には鱗はないぞ」
「ほうか」

 知らなかった。
 魚のように鱗がぽろぽろ落ちるわけではないらしい。
 ああでも確かに、子どもの頃に以蔵が野山で見つけて宝物のようにしまっていた蛇の抜け殻も一繋ぎだった。
 そのまま手を滑らせて、眼の上に指がかかる。
 人のように濡れて柔らかい眼球の感触がしたら少し厭だと思ったものの、指先に伝わる感触は額と変わらず、ピンと薄く張った見えない肌の上を滑るようなものだった。
 かり、と小さく爪をたてる。

「痛ぅないがか」
「くすぐったい」
「そりゃあえい」

 はたから見たならば、無骨な男の手が可憐な少女の片目を抉り出そうとしているようにも見える図ではあるが、お竜が痛みを感じていないならば何よりである。
 卵の柔皮を剥くように、つるりと白く濁った柔い表皮が剥げてその下から鮮やかな柘榴色が姿を現す。

「おまんのことは気に入らんが」
「何だ、お竜さんに喧嘩を売る気か」
「……おまんはまっこと綺麗なイキモンじゃの」
「……………」

 ぽかん、としたようにお竜の眼が丸くなる。
 その宝石のように濡れて輝く柘榴の色合いに、以蔵は満足気に笑みを口元に浮かべる。
 物の価値を知らぬ不作法な男ではあるが、うつくしいものをうつくしいと感じる心ぐらいはあるのだ。
 
「おい、クソ雑魚ナメクジ」
「何じゃ」
「お前、お竜さんを口説いているのか」
「ハア!? 誰か口説くかこンスベタ!」

 お竜の頭に手を乗せ、一度乱暴に淵に押し込むように沈める。
 反撃は、イキモノのように這う黒髪が以蔵の手足に絡むというものだった。
 ずるッと強く引かれて以蔵は見事に態勢を崩して淵へと頭から突っ込む羽目になる。
 バシャアアアンと派手な水音とともに水しぶきが散り、そんな以蔵にお竜はけらけらと明るい声をあげて笑い倒した。

「こンの……!」
「何だやるか!」

 あとはもう、水の中で互いに上になったり下になったりの取っ組み合いだ。
 おとなしゅうせい、と怒鳴って白い背中をぶん殴るようにこすり上げれば、反撃のようにたっぷりと水を吸ったコートをつかんで水底まで引きずり込まれた。
 がぼぼ、と呼気を吐き出して暴れる以蔵をにんまりと笑って見下ろすお竜の邪悪なまでのうつくしさときたら!
 思わず息が苦しいのも忘れて見惚れていたら、すいと水中で器用に身を寄せたお竜が眼前で艶やかに笑ったようだった。
 ちろりと舌先が以蔵の唇に擽るように触れる。
 そのまま頭の後ろに手を差し入れられ、引き寄せられるままに唇が重なった。

「ン、ぐッ」

 何しとんじゃこのスベタ、と怒鳴りかけて余計にがぽりと酸素が逃げていく。
 そんな以蔵に対して心底呆れたような目を向けつつ、お竜はその長い舌でぬるりと以蔵の唇を割った。
 ぬるりと舌腹同士が擦れあって、そこからこぽりと空気が渡される。
 そンなことせんでえいからとにかくわしの足を捕まえちょる髪を解かんか、と半眼で訴えるものの、悪辣な笑みを浮かべた柘榴は聞く耳を持たない。
 水中で以蔵を弄ぶことを存分に愉しんでいるのだろう。
 ほうかほうかそっちがその気なら、と以蔵もお竜の腰のあたりに手を滑らせ、肉付きの薄い尻をぐにぐにと力いっぱい揉みしだいてやる。
 にゅるりと薄く剥がれた皮が水に浮いてふよふよと漂う。
 噛み付くように口づけてられては酸素を奪い、乱暴な愛撫のように肌を擦っては皮を剥ぐ。
 
 どれくらいの間、そんな水中ド突き合いを繰り広げていたことだろう。

 ぜいはあ、と荒い息をつきながら、以蔵はじっとりと濡れそぼった身体を平たい岩の上に横たえていた。
 全身が重い。

「こンスベタァ、手加減せえ……!」
「そうだな。お竜さんが悪かった。まさかクソ雑魚ナメクジが水中であんなに弱いとは思わなかった」
「じゃかあしい」

 小馬鹿にするような言葉にもそれほど腹が立たないのは、相対する相手が圧倒的に違うイキモノだということがわかっているからだ。
 魚を相手に泳ぎが下手だと馬鹿にされて怒るほど以蔵は道理がわかっていないわけではない。悔しくはあるが、相手はそういうイキモノなのだ。
 はあ、と息を吐いて以蔵は身体を起こす。

「皮ァ剥げたか」
「そうだな、あと一息というところだ」

 一息、と指で指し示されたのはやはりその喉元だ。
 水中ド突き合いの間も、互いに示し合わせたように触れられなかったそこ。
 やはりお互い死ぬ気でやりあわなければどうにもならないらしいと悟って、以蔵は深く息を吐く。
 それから一度身体を霊体化し、濡れた衣服を元の状態へと戻す。

「いいのか、イゾー」
「しわい、一度引き受けた仕事は最後までするんがわしの信条じゃ」
「リョーマが言うとおり、お前は本当に意地っ張りだな」
「龍馬殺す」

 人がいないところであの男は何を言っていやがるのかと半眼で以蔵は殺意を新たにしたりするわけだが、かつて龍馬に対する殺意を口にするたびに敵意をぶつけてきたはずのお竜はそんな以蔵に対して生ぬるい視線を向けるばかりだ。
 とっくにそんなつもりがなくなっていることを見抜かれている気がして、以蔵の眉間にますます皺が寄る。
 
「まあえい。すっと済ますきの」

 以蔵の言葉に、お竜は岩べりに膝をついて座る。
 く、と喉をそらして差し出すような姿勢だ。
 滑らかな白い喉から、膨らんだ胸元、そしてきゅっと縊れた臍へと女性らしい美しい曲線が描かれる。
 その前に、以蔵は立つ。
 右手は刀にかけたまま、左の指先がお竜の喉へと伸びる。
 
「イゾー」
「何じゃ」
「死ぬなよ」

 お竜の言葉に、ハッ、と以蔵は笑う。

「死ぬのはおまんの方じゃ」

 そうして、ほそりとした首に手をかけて。
 以蔵の親指の腹が、ぐじりと逆さにはえた逆鱗をお竜が意外に思ってしまうほどやさしく丁寧に擦りあげ、その表面を覆っていた薄皮を剥いだ。
 
 
 
 
 
 
 

■□■
 

 
 
 
「おい、イゾー……生きてるか」
「……生きちょる……」

 なんで生きてるのかは若干疑問だが。
 シミュレーションを終えた頃には、お互い満身創痍も良いところだった。
 お竜の頸はかろうじて皮一枚でつながっていたというような有様だったし、以蔵は以蔵で身体の六割ほどをお竜に喰われていた。
 本当なんで生きてんだ、とお互いに互いの生き汚さに呆れてしまうレベルである。
 真っ白でただただ広い部屋に戻ったシミュレーションルームの床には、肉塊を叩きつけたのかな???というようなド派手な血痕が散っている。
 それでもカルデアの中でのことであるため、絶え間なく供給される魔力によってじわじわと傷は癒えていく。
 スプラッタ映画ばりの血痕も、そのうち魔力に分解されていくだろう。
 二人して壁に背を預け、肩を寄せ合い、四肢を投げ出すようにして休む。
 早いところ自室に戻って休みたいところだが、どうにも疲れた身体は言うことを聞いてくれない。
 
 と。
 
 二人の元に慌ただしくこちらに近づいてくる足音が響いた。

「げ」
「げ」

 仲良くうめき声がハモる。
 バンッ、と勢いよくドアが開いて姿を現したのは二人が予想した通りの人物だった。
 お竜が暴走したのを察知して跳び起きたのか、普段はきっちりと結われている黒髪は無造作に下ろされたままだし、着ているのも蒼のシャツに白のスラックスのみだ。
 しかも、シャツはボタンがズレている。
 相当慌てて駆けつけたのだろう。
 
「お竜さん! …ッて、以蔵さん!?」

 部屋にド派手に散った血痕に、龍馬の顔色が目に見えて悪くなる。
 一瞬だけ動揺したように足を止めた龍馬だが、すぐにつかつかと大股に仲良くへたれている以蔵とお竜の元までやってきて屈みこんだ。
 二人に外傷の程度を手際よく確認し、命に別状がない程度にまでほぼほぼ回復が済んでいるのと、それ以外の二人の異常がひたすらに目減りした魔力だけだとわかればほう、とようやく安心したように息を吐く。

「一体何があったの」
「…………」
「…………」

 お竜と以蔵は、ちらりと視線を交わし合う。
 それから、示し合わせたように言い訳を口にした。

「心配ないぞ、リョーマ」
「ほうじゃほうじゃ、心配ないき」
「この血塗れの惨状見せられち誰がそがあなこと信じられゆうがか」

 地を這うような低音のお国言葉でぴしゃりと叱られて、二人はまたちら、ちら、と視線を交わし合う。

「…………」
「…………」

 しばしの無言。
 それから嘘をつくほどでもないのかと思ったのか、お竜はひょいと肩を竦めた。

「ちょっとナメクジと遊んでただけだ。なあ、イゾー」
「おん。遊んでただけち、なんちゃあない」

 以蔵もこくこくと頷く。
 日ごろ穏やかでどこまでも能天気な幼馴染だが、そういうやつほど怒らせると厄介なのだということを以蔵はこれまでの経験から学んでいる。

「ほおかほおか」

 へたりこんだ二人よりも若干目線の高いの龍馬の目元が光の具合か影っているのがなかなかに怖い。
 翳りの奥で煌めく漆黒の双眸が、何か不穏な圧を帯びているようなのは気のせいだろうか。

「ほいならわしんくでゆぅくり何があったんか聞かせてもらおうかの」
「い、嫌じゃ!」
「ずるいぞイゾー!」

 わたわたと以蔵は逃げ出そうとするものの、魔力がすっからかんの弱り切った以蔵がピンシャンしている龍馬から逃げられるわけもなかった。
 よいせ、と小脇に抱えるようにして床から浚われる。
 しゃかしゃかと逃げたげに揺れる手足は空中をひっかくだけに終わった。無念。
 龍馬は右手で以蔵を抱きかかえ、左手ではしっかりと空中に逃げかけたお竜の腰を抱き捕らえている。
 ある意味両手に花、かもしれないが。
 この場合はどちらかというと悪ガキ二人を連行する保護者めいている。

「いーやーじゃー!」
「お竜さんもいやだー!」

 二人の必死の抵抗の声が深夜のカルデアに響く。
 夜勤のカルデア職員たちが何事かと顔を出すものの、己とそれほど体格の変わらない成人男性を小脇に抱え、もう片手で生きた宝具であるまつろわぬ神をがっちりと捕まえてずんずん廊下を突き進む維新の英雄のスワった眼に怯んだように結局何も言わずに次々と引っ込んでいった。
 やがてぷしゅり、とドアが閉まる音が響いて。
 わあわあと騒がしい抵抗の声は防音の扉に遮られて一切聞こえなくなった。
 しぃん、と。
 後には静寂だけが残される。
 その後二人がどんな目にあったのかは、三人のみが知る。

 ―――合掌。

 

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