オマケ

 坂本係長という人がいる。
 俺にとっては職場の先輩でもあり、上司でもある。
 30を手前に、外資系の大企業でもあるうちの会社で係長なんていう役職についているのはその人ぐらいだ。
 社内でも噂の出世頭であるし、実際話をしてみるとなるほど、この人ならば出世をするのもよくわかるというほど人間が出来ている人だ。
 細身のスーツに身を包んだ姿は芸能人か何かであるかのようにキマっているし、口を開けば頭の回転も早い。
 それで人を気遣う心の機微に関しても優れているのだから、天は人に二物も三物も与えすぎなのではないだろうかと思っていたぐらいである。
 ただ、俺はそんな坂本係長があんまりにも完璧すぎて、少しばかり苦手だった。
 どう言ったら良いのだろう。
 嫌いなわけではない。
 先輩後輩、上司と部下という関係を社内で続ける中で、助けてもらったことは幾度となくある。
 社内で何か困ったことがあったなら、誰よりも親身になってくれるのが坂本係長だし、誰よりも頼りになるのが坂本係長だ。
 だが、だからといって身近に感じられるかといったらまた別の話だ。
 たぶん、あまりにも完璧すぎて、遠い人のように感じられるからなのかもしれない。
 そうだ。
 坂本係長はあまりにも人間が出来すぎているのだ。
 例えば、人間であれば日々仕事をする上で機嫌の良い悪いもあるだろう。
 仕事に私情を持ち込むのは良くないことだとされてはいるが、こちらだって人間だ。
 厭な客に出くわせば愚痴の一つも零れるし、トラブルが起きればげんなりだってする。
 けれど、坂本係長は基本的にそういったネガティブな感情を人に見せることをしない。
 厭な客に絡まれてもやんわりと眉尻を下げて困ったように笑う程度である。
 それだけだ。
 やあ参ったねえ、なんて一言で終わらせて、特に機嫌を損ねることなく、そのまま次の仕事にとりかかってしまう。
 普通飲みになどいけば仕事の愚痴が出てくるのが定番だろうし、会社のあり方だったり上司へだったりの普段は言えないでいる本音などで盛り上がるのも社会人あるあるだと俺は思う。
 だが、坂本係長はそういった話に混ざることはない。
 いや、一緒に飲んではくれるのだ。
 にこにこと笑いながら楽しそうに一緒に酒は呑んでくれる。
 愚痴を聞けば大変だったねえと共感もしてくれるし労ってもくれる。
 けれど、坂本係長はどうなんですかと水を向けても、僕は別にそれほど大変な思いはしていないからね、と穏やかに笑われてしまうのだ。
 良い上司であり、良い先輩ではあるのだろう。
 仕事の上ではこの上なく頼りになるし、社内でも坂本係長に任せておけば大丈夫だと信頼の厚い人だ。
 けれど、それ以外においては本当によくわからない人だった。
 いつでもにこにこしていて、穏やかで、人の嫌がる仕事を率先してこなし、なおかつ成果をあげる。
 それでいて偉ぶったところもなく、関わる人間の一人一人を大事にする。
 聖人君子なんていう言葉があるが、その言葉を辞書で調べたならば坂本係長の名前が書いてあるのではないだろうかと思ってしまうほどだ。
 あまりにも俺のような俗人とはかけ離れたひとだ。
 だから、俺には坂本係長が何を考えているのかがよくわからず、よくわからないからこそ少しばかり不気味だった。
 それが少しばかり変わったのは、坂本係長が遅めの夏休みを取得してからのことだ。
 まず俺は、坂本係長が夏休みをとったことが驚きだった。
 坂本係長は係長であるし、役職についている分本来なら部下よりも優先的に休みをとることが出来る。
 けれど、坂本係長はそうはしなかった。
 皆の希望を聞き、皆がスムーズに望んだ日程で休みを取れるように調整し、人が少なくなって大変な時期にはその穴を埋めるように努めていた。
 坂本係長はいつ夏休みを取るんですか、なんて聞いてみたことがあったが、坂本係長はほんの少しだけ困ったように眉尻を下げて笑って、そうだねえ、どこかで良いタイミングがあると良いんだけど、なんて言っていた。
 他の人には、休みたいタイミングに合わせて仕事のスケジュールを調整するから遠慮無くまずは申請してくれなんて言っていたのに。
 今週はあれをしなくては、来週はあれをしなくては、と坂本係長はいつだって何かしらの仕事に関わっていて、自分が穴をあけたら誰かにしわ寄せが行くということがとてもよく分かっている人だった。
 そんな坂本係長が、唐突に夏休みを取得したのである。
 取引先との食事があるからと会社を定時に出て、そのまま次の日から一週間坂本係長は出社してこなかった。
 いつもの坂本係長であったのなら、自分が休んでいる間誰かが困ったりしないように休むまでにいろいろと用意をしていきそうなところだ。
 けれど、それはあまりにも突然だった。
 いつもの時間になっても出社してこない坂本係長に、体調でも崩したのだろうかと周囲が心配そうに囁き始めたところで、これから一週間坂本係長は夏休みに入ります、なんてアナウンスがあったのだ。
 皆面食らったように瞬き、それでもその突然の夏休みに対して文句を言うものが表だっては一人もいなかったのは流石の人徳というものだと思う。
 けれど誰かがぽつりと呟いた、「坂本係長って夏休み何してるんだろう。なんか、あんまり想像つかないな」という言葉があんまりにも真理だった。
 いつだって穏やかに微笑み、誰かのために動いていた坂本係長のプライベートが俺たちには全く想像がつかなかったのだ。
 そもそもいつだって仕事仕事で、プライベートという概念があるのかどうかすら怪しかったように思う。
 坂本係長と一緒に仕事をするようになって数年になるけれども、俺は坂本係長の私生活を何も知らない。
 坂本係長のいない一週間は、なかなかに大変だった。
 正直、俺たちは坂本係長のことをナメていたのだと思う。
 普段から十分に仕事を回せているし、坂本係長がいなくてもある程度はやっていけるだろうなんて俺たちは思っていたのだが、それはとことん甘い考えだった。
 普段は起きないような細やかなトラブルが他課との間で頻発したし、同じ課の間でも「おや???」と思うような出来事が続いた。
 例えばゴミだ。
 いつものように仕事を終え、帰宅し、次の日出社し、ゴミ箱に残ったままのゴミに「?」と首を傾げるようことがあった。
 例えば備品だ。
 使いたいものを使いたい場所でいつものように使おうとしたら、なかった。
 いつもであれば誰よりも遅くまで残っている坂本係長が帰る前に課内のゴミ箱を一つ一つ綺麗にして回っていたことなんて知らなかったし、備品に関しても何日かに一度課内で足りなくなりそうなものがないか坂本係長がチェックして、総務で補充しているなんていうことも知らなかった。
 俺たちが普段回せていると思っていた業務も、坂本係長が俺たちが気持ち良く仕事を回せるようにといろいろと気を配ってくれていたのだと思うと、やはり坂本係長は凄いなと思う一方で少しばかり悔しかった。
 俺たちは坂本係長に知らず知らず頼りっぱなしなのに、どうして坂本係長は俺たちを頼ってはくれないのだろう。
 ゴミぐらい、捨てておいてくれる?なんて一声かけてくれればいくらだって捨てる。
 備品だって各自で総務に取りに行くようにと言われればそうした。
 ………………その。
 言われればやる、という姿勢と。
 言われる前に気づいて率先してそういう細々とした雑事を誰に気づかれなくとも日々こなしていけるかどうか、というのが俺らと坂本係長の差なのだということは、とてもとても、身に染みてよくわかっているのだけれども。
 一週間が過ぎて、坂本係長の夏休みが明けた。
 どうも長らくお休みをいただいてしまってごめんね、といつもと変わらぬ穏やかな調子で挨拶する姿に、少しだけあれ、と思った。
 なんだか、休みを取る前と少しだけ雰囲気が違うように感じたのだ。
 それから数日が過ぎて、俺の受けた印象はそう間違ってなかったことに気づいた。
 坂本係長は、一週間に一度は定時で帰るようになった。
 ごめんね、これ頼めるかな、と人を頼ることが増えた。
 他課の中には嫉み半分、「坂本係長、休みボケしてんじゃねえの」だとか言うやつもいたが、俺にとってはその変化は嬉しいものだった。
 一方的に親切にされ、頼るだけの関係なんかよりも、細やかながら何かしら任される方がずっとやりやすい。
 もしかすると。
 俺は坂本係長が苦手なのではなく、して貰うばかりで何も返せないという状況があまり好ましくなかっただけなのかもしれない。
 そんな、ある日だ。
 その日は滅茶苦茶に大変だった。
 仕事があまりにも忙しく、皆が浮ついてミスをしがちだった。
 忙しく時間がないからこそ些細なミスが続いてしまい、そのミスのせいでますます時間がかかってさらに焦りを生んでまたミスに繋がる。
 そんな悪循環だ。

「あー……、クッソ」

 呻いて、髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜる。
 やらなければならないことは山ほどあるのに、どこから手をつけていいのかがわからない。やらなければという焦燥感だけが膨らんで、頭が回らない。
 パニックだ。
 デスクに座り、書類をPC画面に開き、なんとか仕事をしている態は保っているものの、頭の中は処理落ち寸前だ。
 深々と息を吐く。
 この状態でただただPC前に座っていたって何も状況は良くならない。
 一度、気分を切り替えた方が良い。
 落ち着いて、やるべきことに優先順位をつけて、一つずつ確実に手をうっていかなければならない。
 俺はそっと席を立つと屋上へと向かった。
 どこもかしこも禁煙化のあおりを受けて、この会社も基本的には全社屋が禁煙ということになっている。
 唯一の例外は屋上だ。
 誰が始めたのかわからないが、誰かがこっそりと屋上の物陰に小さな灰皿を置いたのだ。
 だから、皆秘密裏にこっそり、煙草が吸いたくなったら屋上に出る。
 皆そこで煙草を吸うものがいるということは知っている。
 知っているけれど、知らないふりをする。
 いわゆる公然の秘密というやつだ。
 屋上に続くドアを押し開けると、ふわりと紫煙の香りがした。
 誰か先客がいるようだった。
 ままあることだ。
 この秘密の喫煙所を密かに利用する社員は多い。
 別の部署の人間と一緒になり、ちょっとした会話をしたりすることで垣根を越えた交流が生まれたりもしている。
 だから俺は今いるのもそんな誰かだろうと思っていたのだけれども。
 すいと角を曲がって物陰に足を踏み入れたところで、思わずぴたりと足が止まった。
 灰皿の前、らしくもないヤンキー座りで煙草をふかしていたのは坂本係長だった。
 このひと、喫煙者だったのか、だとか。
 顔がいい男は煙草を吸う姿もドチャクソ絵になるな、とか。
 よくわからない感想が頭をよぎっていく。
 ぼうと虚空に彷徨わせた視線。
 細巻きの煙草を挟んだ指先からは良い具合に力が抜け、ほのかに開いた唇からフー、と薄くたなびく紫煙がゆるゆると零れていく。
 あまりにも人間味溢れるその姿に、何か見てはいけないものを見てしまったかのような謎の背徳感があって妙に心臓がドキドキとした。
 あの坂本係長が!
 疲れた顔で!
 いつもはひたすらにこにこ穏やかにただただ笑っている人が!
 無表情に!
 煙草を!!!!
 よくわからない感情で頭の中がいっぱいいっぱいになって立ち尽くしている俺に、すいと坂本係長の視線が流れる。

「…………あ」

 やっべ、という顔をしたのはお互いだった。
 坂本係長はほんのりと目元を赤くして、すざっと慌てたように立ち上がる。
 何か言おうと口を開きかけて、何を言ったものかと迷うように口元をもごもごとさせる。いつも何をすべきか、何を言うべきか全部わかっている、というような落ち着きぶりとは異なる様子に、俺は先ほどから何を見せられているのかという動揺ばかりが凄い。
 結局坂本係長はへにゃりと眉尻を下げて。

「……内緒にしてね」

 なんて、可愛いことを言った。

「…………坂本係長、煙草、やるんですね」
「ンー……、若い頃にちょっとね。最近はほら、いろいろ五月蠅いから辞めてたんだけど……、悪いともだちに唆されちゃって」

 はは、と困ったように笑う。
 坂本係長の口から出る、『悪いともだち』なんていうフレーズの破壊力がこれまた凄い。坂本係長、友達いたのかなんて思ってしまったのは内緒だ。
 誰とでも広く浅く、踏み込みすぎない程度の関係を築いているようなイメージばかりがあった。

「俺も、いいですか?」
「もちろん」

 坂本係長の隣で、俺も煙草をくわえて火をつける。
 ちりと紙の燃える匂いがして、それから煙草の味わいが口の中に広がった。
 はあと深々と煙を吐く。
 煙と一緒に頭の中でグツグツと煮えていた諸々も一緒に吐き出していく。
 先に吸い終わったのは、先客でもある坂本係長だった。
 短くなった煙草を灰皿の中に慣れた所作でねじ込む。

「灰皿、俺が片付けますよ」
「いいの?」
「俺、まだ吸ってるんで」
「それじゃあ、先に戻ってるね」
「はい」
「あのさ」
「はい?」
「諦めも肝心だよ」
「諦め」

 思わず復唱する。
 坂本係長の口から出るにしてはあまりにも意外な言葉だった。
 先ほどから、そんな新鮮な驚きばかりだ。
 誰もがあそこは無理だと諦めていた取引先に一人だけメゲず、諦めず、足繁く通い続けて大口の契約をゲットしてきた坂本係長の口から出る言葉だとは思えない。
 俺がぱちぱちと瞬いていると、ふ、と坂本係長の口元に笑みが浮かんだ。

「上手くやろう、とか。早く帰ろう、とか。そういうの諦めて、どっしり腰を据えて覚悟キメた方がね、意外と早く終わったりするんだ」

 ネガティブなようなポジティブなような不思議なアドバイスだった。
 ああ、けれど。
 ちょっとくすっとしてしまって、お陰で少し、腹の底でぐつぐつと煮えていた焦燥感が消化されたような気がする。

「……そうします。これ、終わったら俺も戻るんで」
「ン。下で待ってるよ」

 ひらりと手を振って、坂本係長が屋上を後にする。
 その後ろ姿を見送って、俺はフ――とまた煙を吐き出す。
 そうか。
 諦めか。
 というか坂本係長煙草吸うのか。
 長時間の残業に対して会社はあまり良い顔をしない。
 だからこそ、早く、少しでも早く終わらせなければという焦りがあったのは事実だ。
 きっとそんな焦りがミスを増やしてもいたのだろう。
 というか坂本係長煙草吸うのか。

「……………………」

 はああああ、と煙を吐き出す。
 解釈違いですファンやめます、などという謎のフレーズが脳裏をよぎっていった。
 それぐらいの驚きであり、衝撃ではあったのだけど。
 むしろその逆だな、と咥え煙草でにんまり笑って、俺はまた煙を吐いた。
 
 
 □■□
 
 
 結局、そのトラブルを解決するのに遅くまでかかってしまった。
 もうほとんど深夜といって良い時間帯で、課内で残っているのは俺と坂本係長ぐらいだ。他のメンバーは先に帰した。
 坂本係長の言う通りで、家で家族が待っていたり、何か予定があったりするのだろう人々がそわそわと時間を気にしながら作業をしていても、やはりどうにもミスが多く、これならば覚悟を決めて落ち着いて取り組んだ方が早いと俺自身も思ったからだ。
 申し訳なさそうに帰って行く課内のメンバーを見送り、結局独身者の俺だけが最後まで残り、そんな俺に付き合う形で坂本係長にも残って貰うことになってしまった。

「よく頑張ったねえ」

 にこにこと穏やかに笑いながら、俺が作成した書類に目を通した坂本係長が言う。
 よく出来てるよ、と言って書類の最後に印を押す。
 これで、後はもっと上の人々の承認を待つだけだ。
 ガッツポーズを作りたくなる気持ちを噛みしめながら、帰る準備を整えて坂本係長と一緒に会社を出る。
 おそらく、駅までの道のりは一緒だろう。
 なんて思っていたのだが。
 会社のエントランスを二人並んで出たところで、「おい」と低く声をかけられた。
 見やれば会社前の道の脇に、いかついバイクが止まっている。
 大型の、スクーターバイクというやつだ。
 そこにどっかりと腰掛けた、いかにもガラの悪そうな男が不機嫌そうにこちらを睥睨している。
 癖のある黒髪に、目つきのよろしくない凄みを帯びた双眸。
 派手なスカジャンに、ブラックスキニージーンズ。
 どう見てもヤのつく職業に片足を突っ込んでらっしゃる感がある。
 そんな男が、突如絡んできたものだから、すわカツアゲか暴行事件の幕開けかと心底ビビりした俺がどうしたら自社ビルの警備員にこのピンチを知らせることが出来るかなんて考え始めたところで。

「以蔵さん!?」

 驚いたように坂本係長が声をあげたものだから、そんな声に俺の方が驚いた。
 物怖じせずバイクの男に向かって坂本係長が小走りに駆け寄っていくので、なんとなく俺も気になってそちらへと少しだけ距離を削る。

「遅いわこンぼけ、ぎっちりこがな時間まで働いちょるんかおまんは」
「いやいつもってわけじゃあないんだけど、今日はちょっとトラブルがあって。っていうか本当どうしたの以蔵さん、どうしてここに」

 どこの訛りだろうか。
 粗野な印象とともにどこか温かなぬくもりを感じさせるイントネーションに俺はぱちくりと目を瞬かせる。
 男は、手にひっかけていたヘルメットを無造作に坂本係長へと放って、それからにんまりと楽しそうに笑った。

「約束通り、攫いに来てやったき感謝せえ」
「――――」

 坂本係長が、息を呑む。
 それからふわりと。
 それこそ花が綻ぶかのように嬉しそうに、幸せそうに笑った。
 いつもの穏やかなにこにことした笑みとは違う、心の底から「嬉しい!」という感情が溢れて零れたような笑顔だ。
 坂本係長、そんな顔で笑うのか。

「嬉しいちや、以蔵さん、ありがとにゃあ」

 これまた初めて聞く声だった。
 とろとろと幸福が滴るような声音に、今まで聞いたこともないようなイントネーションが乗る。
 坂本係長、訛りがあるのか。
 普段の低く整った柔らかな標準語はどこへいったのか。
 そのまま坂本係長はいそいそと男のバイクの後ろに乗り込み、そこでようやく俺の存在を思い出したようだった。

「あ」

 ぼッと坂本係長の目元に朱色が散る。

「ええと、その、ぼく、以蔵さんと、ええと、彼と一緒に帰るので」
「…………、お疲れ様でした」

 それ以外なんと言えば良かったのか、俺には未だにわからない。
 坂本係長に以蔵さん、と呼ばれていた男もヘルメットをかぶり直しながら、俺に向かって小さく会釈をしてくれる。
 見た目のわりに、そういうところはちょっと律儀な人であるのかもしれない。

「また明日ねえ」

 なんて暢気な言葉を残して、バイクがぶろろろろと発進して去って行く。
 派手なスカジャンと、身なりの良いスーツのコートの背が遠ざかっていくのを見送りながら。
 きっとあれが、坂本係長の悪いおともだちなんだろうな、と思った。
 まあ、おともだちじゃなくても驚かない。
 

 

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