カルデアに、夏休みが実装された。
どういうことかと思うだろう。
初めてそれを聞かされた折には、龍馬と以蔵も顔を見合わせたものだ。
お竜だけが暢気にふわふわといつものように龍馬の肩のあたりを漂っていた。
つまりは、こうだ。
ある種のストライキだ。
否、それはあまりに人聞きが悪い。
カルデアの中枢をしめる悪い大人たちが、カルデアに閉じ込められた子どもたちの為にちょっとした悪巧みをしたのだ。
人理を取り戻し、世界を救ったのにも関わらず何度目かの夏を代わり映えのしない真白の世界に閉ざされた若者たちを、大人たちは大変哀れに思ったのだ。
世界の命運を背負い、ただ一人のマスターとして戦い続け、見事目的を果たした子どもに対していくらなんでもこの仕打ちはないだろう、と。
生まれてこの方、この真白な世界に閉ざされ続けたデミサーヴァントの少女に、彼女が救った世界の美しい青空を見せたいと。
それで夏休みである。
とはいえ、生真面目な若者たちに夏休みだから遊んでこいなどと言ったところで、素直に受け入れるわけがないということをカルデアの賢い大人たちはよくよくわかっていた。
そのため彼らは、「大人だって夏休みが欲しい!」という盛大な駄々をこねることにしたのだ。
そうなれば、心優しい子どもたちが受け入れるしかないことを彼らはこれまたよおくわかっていた。
そして、そんな子どもたちに協力する英霊の多くも、そんな大人たちの思惑に乗って「夏休み要求ストライキ」に参加することにしたわけなのである。
これまで惜しみなく力を貸してくれる英霊たちが翻した突然の反旗に、マスターは随分と驚いたようだった。
「エッ、夏休み?」
「そういうことだ。いくら私達が過去に人であったものでしかないとはいえ――…いや、そもそも人ではないもの多いわけなんだが、そこは今は置いておくとしよう。休みもなく日々働きっぱなしというのは随分と非人道的な扱いだとは思わないかね? あまつさえ、我々はやがて役目を果たし、座へと還るのを待つ身だ。今少し、褒美があっても良いとは思うが」
「え、ええ、それは、まあ」
「では夏休みだ。我々はグループでも作って交互に休みを取ることにしよう。マスター、その間は君も夏休みとなる。すまないね、私たちの我侭に付き合わせてしまうようで」
日頃は誰に頼まれずとも、戦闘どころかカルデアのキッチンでまで自主的にその腕を振るう赤い弓兵の皮肉げな、それでいてどこか思いやりに満ちた柔らかい低音に、マスターはいろいろと察したようだった。
「……ありがとう、エミヤ。みんなにも、お礼伝えといてくれる?」
「さて、何のことだか。私も夏休みの予定を立てねばな。磯が……、磯が私を呼んでいる」
―――というわけで、カルデアに所属す全ての職員及び、英霊たちに夏休みが発生することになったというわけなのである。
とはいえ、カルデアの処遇は未だ宙に浮いたままだ。
このタイミングで好き勝手にカルデアを離れられれば逃走の意思があるとみなされる危険性もある。
そのためカルデアに所属する人間の出入りにはどうしても厳しくならざるを得ない面もあり、彼らは夏休みを本当に取得するためには今しばらくの時間がいるだろう。
その一方、そうと決まれば気軽に夏休みを堪能できるのが英霊たちである。
どこにどのくらい滞在するつもりなのかという申請さえきちんと出してしまえば、人間社会に溶け込む誓約と引き換えに彼らは次々とカルデアから出ていった。
そうして、次々と交互に英霊たちが夏休みを満喫すべくカルデアを出ていく中――…何故だか、本当に何故だかわからないが、以蔵は龍馬とお竜と共に夏休みを取得し、ともに過ごすことになってしまったのである。
解せぬ。
「以蔵さん、今度夏休みなんてものがあるらしいよ」
そう龍馬が口にしたのは、酒の席でのことだった。
美味い酒が手に入ったからと招かれた先の龍馬の部屋で、以蔵が何杯か杯を重ねてすっかり上機嫌になった頃合いのことだ。
「ほうか」
と相づちを返したのは覚えている。
そのまま以蔵は、夏休みには何をしようかとぐるりと思案を巡らせたのだ。
いつか訪れたラスベガスなる場所をもう一度訪ねてみても良い。
あそこで久しぶりに遊んだ博打は随分と楽しかった。
いや、懐かしい土佐を訪れてみるのも悪くない。
聖杯から授けられた知識により、今となっては以蔵の知る土佐とはすっかり様変わりしてしまっていることを知ってもいたが、それでも訪ねてみようかと思ったのだ。
そんなことを考えながら、きりりと冷えた日本酒に舌鼓を打っている間にも傍らにいた男が耳に心地良い柔らかな声音で何事か話しているのを右から左に聞き流す。
「―――という風に考えているんだけれども、どうかな」
「えいんやないか」
特に考えることもなく、適当な相づちを返す。
きっと、彼の夏休みの計画についてをつらつらと語っていたのだろう。
ぐびり。
また、杯の中身を干す。
すっと当たり前のようにすかさず傍らの男が酒を注いだ。
それにまた唇を寄せて、味わう。
美味い。
「そう、良かった。ふふ、良かったねえ、お竜さん」
「そのナメクジ、半分どころか八割話を聞いてないぞ」
「いいんだよ、大事なのは以蔵さんが頷いてくれたってことだからね」
「リョーマがそう言うなら」
何か、ちょっと不穏な会話が聞こえたような気がしたが、きっと気のせいだろう。
よおく冷やされた辛口の酒が、するすると喉を落ちていく熱感がたまらない。
これは本当に良い酒だ。
以蔵はなおもかぱかぱと杯を空け続け、龍馬はにこにこと酒を注ぎ続けた。
そうして、いつのまにか以蔵は龍馬やお竜と共に夏休みを過ごすことが確定していたのであった。
□■□
龍馬が夏休みを過ごす場所の選んだのは、かつて、以蔵や龍馬が生きていた頃には琉球と呼ばれていた島だった。
現在においては「沖縄」である。
四方をぐるりと海に囲まれた島国だ。
「僕ねえ、九州のあたりまでは足を延ばしたんだけども、さすがに琉球にはたどりつけなかったからね。一度行ってみたいなとは思っていたんだよ」
嬉しそうににこにこと笑う男は、南国の焼けつくような日差しの下でもひどく長閑な笑みを浮かべている。
カルデアより乗り継ぎに乗り継ぎを重ねた長時間の飛行機移動も、ちっとも堪えてはいないようだった。
飛行機酔いにぐったりと苦しんだ以蔵とは大違いだ。
己の二本の脚でしっかりと大地を踏みしめて、ようやく人心地ついた気すらする。
そしてそんな以蔵とは対照的に、ぺたぺたと地面の上を歩いては慣れなさそうに顔をしかめているのがお竜だ。
日ごろはふわふわと空を泳ぐまつろわぬ神も、今回の旅行中はただびとのふりをして過ごさなければいけない。
お竜の右の小指の付け根には、ぐるりと指輪のようにルーンの文字で人化の術が刻まれている。
お竜がその気にさえなればいともたやすく敗れる程度の制限だが、この旅行をともに楽しみたいという気持ちがある限りその術が破られることはないだろう。
真っ白なワンピースに身を包み、艶々とした長い黒髪の上に、相棒のトレードマークのような白の中折れ帽を乗せたその姿は、いかにも南国リゾートを楽しむ夏のお嬢さんといったところだ。
以蔵や龍馬も、当然いつもの格好のままではない。
現地に溶け込めるようにとそれぞれ霊衣を編み直し、現在はすっかり一山いくらの観光客の中に紛れ込んでいる。
「龍馬、今はどこに向かいゆうが」
「ええとね、今日は那覇を中心に散策してみようと思ってて。首里城を見に行くつもりだよ」
以蔵の問いに、龍馬は先に荷物を預けたホテルのフロントで貰ったらしいパンフレットをひらりと振って見せる。
全くもって用意周到なことである。
一体どのように、いつの間に手配したのか知らないが、今夜三人が泊まることになっているホテルもいかにもリゾートホテルといった風な、酷く洒落た場所だった。
高層に位置する部屋の窓から海が一望でき、階下にはきらきらと水面の輝く屋外プールまでが広がっていた。
夜に戻ってきて、まだ元気があるようだったらプールに遊びに行くのも悪くないねえ、なんてのんびりとした話をしながら、ホテルを後にした三人がタクシーで向かったのは首里城のある辺りだ。
この小さな島には鉄道は通っていないらしく、自家用車を除いてしまえば移動はバスかモノレールかタクシーかに限られる。
鉄道がない分バスによる交通網が発達しているのだが、どうにも地名が難読漢字に過ぎて、これでは自分たちがどこにいるのかもわからない、と三人は早々にバスの利用を諦めた。懸命である。
那覇市内だけでも出てくる出てくる。
「小禄(おろく)」やら「奥武山(おうのやま)」、「天久(あめく)」や「十貫瀬(じっかんじ)」。
とてもじゃないが耳で聞いた音と目でみた字面が一致しない。
以蔵はそのままタクシーで目的地である首里城にとやらに向かうのかと思っていたのだが、龍馬がタクシーを止めたのは城らしき建造物はちっとも見当たらない大通りのあたりでのことだった。
「ここでいいのか?」
「うん、ここで降りよう」
運賃を支払って、降りる。
ちなみにこの現金は、すべてカルデア内通貨であるQPを日本円に換金したもので、基本的には龍馬の懐から出ている。
「ええとねえ、……ああ、ここだ、ここ」
手元のマスターより借り受けた端末と周囲の風景を見比べるようにしながら、龍馬の先導で三人は大通り添いにある店の中へと足を踏み入れた。
写真館だろうか。
通りからも見えるショーウィンドーには華やかな衣装を着たマネキンが並んでいる。
どうしてこんな店にやってきたのかわからないまま以蔵が首を傾げている間にも、龍馬は出迎えにやってきた店員との間で話を進めていた。
「予約していた坂本です」
「ああ、いらっしゃいませ。三人様でよろしかったですか?」
「はい」
「んあ?」
どうやら、すっかり以蔵も頭数に入れられているらしかった。
以蔵さんもえいよって言ってくれたじゃないか、と三人での旅行を押し切られて以来、旅行の内容については龍馬に丸投げを決め込んでいた以蔵であるもので、ただひたすらに困惑することしかできない。
「お、おい龍馬」
「大丈夫大丈夫、あとは皆さんにお任せしておいたら良いようにしてくれるからね。ああ、暴れちゃダメだよ? お竜さんもね」
「お竜さんは暴れたりなんかしないぞ」
「そりゃあ頼もしい。それじゃあ、後で」
にこりと黒々とした双眸を穏やかな笑みに細めて、龍馬はひらりと手を振って見せる。
ではこちらへどうぞ、と女性店員にそれぞれ別室に案内されながらも、ここから先暴れたくなるようなことが起こるのか、と身構えていた以蔵であったわけなのだが。
「それではお召し物を脱いでいただけますか?」
との何気ないスタッフの声に、これまたやっぱり全力で戸惑うことになったのだった。
□■□
龍馬、お竜、以蔵の三人がそれぞれ別の部屋に案内されて小一時間ほどが経過した。
先に部屋から出てきたのは、龍馬と以蔵である。
おおよそ同じタイミングで部屋から出てきた二人は、部屋に入った時とはすっかり装いを変えていた。
現代日本の男性にしては長めの黒髪をそれぞれ高く団子に結い上げ、その上に被せるようにしてそれぞれ筒状の帽子のようなものを乗せている。
ハチマキ、と呼ばれる冠だ。
男性の琉装には欠かせないものである。
そう。
二人は琉球の民族衣装に身を包んでいた。
前髪までその内にしまうように丁寧に撫でつけてあるおかげで、普段は隠れがちな右目までが露わになっている。
以蔵の方は濃蒼のハチマキを頭に乗せ、身に纏うのはゆったりとした黒の着物だ。
着慣れた和装とそう変わらないようにも思えるものの袖口の造りなどが馴染みのある着物とは異なっている。
これは黒朝(クルチョー)と呼ばれる琉装の一種で、一番の特徴は帯の結びだろう。
身体の前で結い、その端はだらりと垂れて身体の前で揺れている。
もとより以蔵は第三再臨の戦装束においてはそういった結びをしているもので、それほど馴染みがないわけではないが、正装としては珍しいものだろう。
帯は以蔵の瞳と同じ琥珀の色合いで、金糸を織り込んでいるのかきらきらと光を弾いて華やかだ。
「恰好えいにゃあ」
以蔵の出で立ちにでれりと相好を崩した龍馬が、嬉しそうに言う。
黒と琥珀の組み合わせはシンプルながら誂えたように以蔵にとても映えている。
「おまんも人のこと言えんろう。嫌味か」
「いやいやそんなつもりないって。本当よく似合ってるよ」
そう返す龍馬もまた、以蔵と同じく黒朝に身を包んでいるわけなのだが。
こちらは薄手の透け感のある黒朝の下に蒼地に華やかな金欄織を施した着物を着こんでおり、派手すぎず、それでいてうっすらと黒衣の下から透ける色合いが高貴さを醸し出している。
帯は以蔵と同じ琥珀の色合いで、頭に乗せるハチマキもまた同じ色だ。
「か~~~ッ、随分と派手にキメたもんやのう!」
「スタッフさんにお任せしたんだよ。以蔵さんだって、同じのを勧められただろう?」
予約の段階では、龍馬は以蔵も同じコースにしておいたはずだ。
「金欄織は派手すぎて厭だとおっしゃったので……」
と、そこで横からこそりとスタッフが密告した。
以蔵らしいと思わず龍馬の口端に笑みが乗る。
三臨でこそ華やかな戦装束に身を包む以蔵ではあるが、普段は着道楽とは程遠い堅実なタイプだ。
カルデアでも、日常においては一臨の姿でいることの方が多い。
「上から薄衣の黒朝を重ねるので、派手すぎることもないとお勧めはしたんですけども」
スタッフの説明によると、なんでも若い男性には金欄織の着物の上から透け感のある黒朝を重ねるタイプの琉装を進めることが多く、今以蔵が来ているような黒一色の黒朝はどちらかというと年配の男性に人気のあるものらしい。
このタイプの黒朝は、現在では三線の奏者などが正装として着ることが多いのだとも言う。
と、そんな話をしているうちにようやくお竜の身支度が終わったようだった。
「……歩きにくいな、これは」
「大丈夫ですよ、どうぞゆっくり」
そんなやりとりがまずは聞こえて、それからスタッフに先導されるようにして、お竜が姿を現した。
もとよりお竜が人間離れして美しい女の姿をしていることは重々承知していた二人だが、それでも思わず息を呑む。
長い黒髪を独特な形に結い上げ、艶やかな黒髪には何本かの簪と、真っ赤なハイビスカスの生花が挿され、身に纏うのは美しい紅型(びんがた)の着物だ。
ぱっきりと赤い襟がスッとうなじのあたりで拳一つほども抜けているのが、白い首筋の華奢さを際立てている。
緩く外に羽織った紅型は白地に鮮やかに赤や黄色、ワンポイントで青で花が描かれ、裾のあたりには美しい曲線でで緑の葉が染め抜かれており、華やかなながらどこかすっきりとした清涼感のある仕上がりだ。
幾重にも重なった襟元も華やかで、十二単、などという幕末生まれの二人にとっても古式ゆかしい装束が脳裏をよぎっていった。
「……、馬子にも衣装とはよう言ったもんじゃ」
「なんだイゾー、喧嘩か? 買うぞ???」
「買わないでね、いやでも本当、綺麗だよ、お竜さん。すごく、素敵だ」
「リョーマも格好良いぞ」
「ありがとう。お竜さん、苦しくはないかい?」
「平気だ。頭が重くてちょっとふらつくが、これ、着物より楽だぞ。腹を締めないから安心してカエルが」
「その話はしなや!」
慌てて以蔵がお竜の言葉を遮る。
周囲にはまだスタッフもいるのである。
一見すると琉球の姫君もかくやという装束に身を包んだ美女が、カエルを食す話をするというのはあまりにも精神衛生上よろしくない。
そしてなるほど、改めて見てみれば、確かにお竜の着こなしは和装のそれよりも楽そうに見えた。
紅型など、内に巻いた紫の細紐に軽く挟んで固定しているだけのように見える。
不思議そうに二人が見ていれば、「ウシンチーって言うんですよ」とスタッフが横から教えてくれた。
襦袢の上から細紐で腰のあたりを結び、上から着る着物はその細紐に押し込むようにして固定するだけなのだそうだ。腰紐やらを使わないだけあって楽そうではあるが、よくもそれだけで着崩れしないものだと和装になれた二人にしてみれば首を傾げたくもなる。
そしてしばらくお互いの格好についてを眺めた後は、場所を移動しての写真撮影だ。
仰々しいカメラに緊張したのか、最初の数枚は表情を強張らせていた以蔵も、お竜がそれをからかってからはいつもの調子を取り戻したようだった。
十数枚も撮った写真の後半からはいつもと変わらぬ表情で、顔をしかめたり、大口を開けて笑ったりと、快活な一面が顔を出す。
そんなたくさんの写真の中から、ああでもないこうでもないと三人で顔をつきあわせて悩みながら、それぞれのお気に入りの一等を選んで、三面のアルバムを仕立てて貰うことにした。
龍馬が選んだのは、自分を中心に左右に以蔵とお竜が並んだもので、おそらくお竜が何か言って以蔵を怒らせたのだろう。カメラの目も忘れて、二人が顔をつきあわせて喧嘩をしているというものだ。
どいてこんな写真を、と以蔵には眉根を寄せられたものの、それが大変自分たちらしいと思ったのだ。
それに、以蔵もお竜も、眉尻をつり上げてギャアギャアと言い争っているように見えるものの、口の端は上機嫌につり上がっていて、なんだかんだ楽しんでいるのがわかる。
以蔵が選んだのは、いかにもといった記念写真だった。
お竜がしゃなりと椅子に腰掛けた背後に、男二人が立っている。姫君とその夫と、護衛、といった態だ。
お竜が選んだのは、いろいろと理由をつけて中央には移りたがらない以蔵を龍馬とお竜が二人がかりで抑え込むようにして撮った一枚だった。
右腕を龍馬に、左腕をお竜に絡めとられて、以蔵は大変な顰め面をしている。
「どいてあがな写真を……」
「クソ雑魚ナメクジの顔が一番面白いからだ」
「こンすべたが!」
「なんだやるか!」
「やっちゃ駄目だからね!」
なんだか引率の先生じみてきたなあ、と一人ごちながらも、ソツなく龍馬は選ばれなかった写真についても、別料金にはなったもののスナップ写真としてプリントしてもらう方向で話をつける。
それから、そのままの格好で首里の街並みを探索すべく店を出た。
龍馬が申し込んだのは、琉装での散策つきのコースなのである。
「……こがな格好で歩くんは、変に思われんのか?」
「大丈夫だよ、れっきとした観光客向けのサービスだから。ほら、僕たちの他にもいる」
龍馬の言うとおり、観光客の多い場所にさしかかれば同じように琉装に身を包むものがちらほらといる。
少しだけ他の観光客たちからは距離を取りながら、三人は大通りから道をそれて古い街並みが残る通りへと足を踏み入れた。
両脇には石を積んだ塀が続く細い坂の石畳道だ。
塀の向こうには、赤瓦の屋根が覗き、なんとも異国情緒が溢れている。
「おいお竜」
「なんだ」
「足、痛めちょらんか」
「大丈夫だ」
「ならえい」
そんな会話が聞こえてくるのに、龍馬の口元はふよふよと緩んでしまう。
犬猿の仲であるかのようであっても、以蔵はいつだってお竜を人間の娘っこであるかのように扱う。
今だって、お竜が慣れぬ草履ででこぼことした石畳の道を歩いているからこその気遣いだろう。
例え人のふりをしているとはいえ、お竜はお竜のままであり、戦場であれば龍馬の宝具として敵を一掃するオロチであるというのに、それでも以蔵はそんな優しさをお竜に向ける。
そのなんともひとらしいところをお竜が言葉にはせずとも大いに気に入っていることを龍馬は知っていたし、龍馬自身にとっても大変好ましかった。
石畳の坂道を抜けると、やがて首里城が近くなる。
もとよりこの道は首里城から琉球国王が南方にある別邸へと向かうための道であったらしいので、その終着点が首里城であるのも当たり前だ。
高く聳える石壁の向こうに朱塗りの城が見え隠れし始めたあたりでパンフレットを頼りに回り込むようにして観光名所として名高い守礼門へと向かった。
「……、これが城の正門かえ?」
「らしいねえ」
「派手だな、神社みたいだ」
守礼門を見上げて、三人がそんな感想を漏らす。
丹塗りの木材と白の瓦のコントラストが鮮やかだ。
お竜が言うように、丹塗りであることも相まって城の門というよりも大きな寺社の入り口で見かける楼門のような印象が強い。
ほー、と感嘆の息を吐いたのち、龍馬は手にぶら下げていた巾着から端末を取り出した。
「二人とも、写真を撮るからちょっと集まって」
「写真ならさっきも撮ったろう」
「何言ってるんだい、せっかくの観光名所だよ? ほら、寄って寄って」
「それならわしが撮っちゃるき、おまんとお竜で並びや」
「それももちろん後で撮って貰うつもりだけど」
まずは以蔵さんとお竜さんで、ね、と甘えるように語尾をあげて首を傾げれば、以蔵は口元をへの字にしながらも仕方ないとお竜と肩を並べてくれた。
漆黒の黒朝を纏う以蔵と、華やかな紅型姿のお竜が並ぶと琉球の姫君とその腕こきの護衛といったような雰囲気が漂う。
守礼門を背景にそんな二人を写真に収めて、次は以蔵と龍馬が入れ替わり、その次はお竜が撮影にまわり、最後には通りすがりの観光客に頼んで三人でも写真を撮って貰った。
それから、多くの観光客たちで賑わう門を抜けて、三人は首里城へと向かって歩き出す。
高台へと続く坂道を上り、いくつかの門を潜った先に、鮮やかに白と赤で縞に染め抜かれた御庭が広がった。
その正面に、正殿がある。
美しい赤の瓦と白の漆喰が青空の下に華やぐ正殿もまた、三人の目には城であるようには映らなかった。
豪華な建物ではあるだろう。
だが、やはり寺社の造りに似た印象を受ける。
ぱらりぱらりと手元のパンフレットを捲って、龍馬は納得したように「ああ」と声を上げた。
「この建物、唐玻豊(からはふう)なんだって」
「からはふう……?」
「なんだそれは」
「お寺や神社なんかで見られる建築様式なんだそうだよ」
「なんだ、やっぱりこの城はでかい神社なのか」
「いやいや違うと思うよ」
異国の城であるようにも見えて、どこか見知ったようにも感じられるのはきっとそのためなのだろう。
「写真、撮ろうか」
「またか」
「リョーマは急に写真が好きになったな」
「いいじゃない、これも旅先ならではだ」
ふふりと笑いながら、龍馬は端末を取り出して構える。
こうなれば抵抗しても無駄だと悟ったのか、以蔵とお竜も先ほどよりも大人しく被写体になってくれた。
その後も、龍馬は城の至る所で写真を撮りたがった。
以蔵はかなり面倒くさがったものの、宥め、おだて、賺し、そんな唇を尖らせた姿すら龍馬は写真に収めた。
お竜と以蔵が、狛犬めいて二体向かい合って並ぶ大龍柱の傍らにそれぞれ寄り添った姿を撮った一枚などはなかなかにお気に入りだし、二人が首里城の至るところで龍の意匠を見つけてははしゃいだ声を上げる様子は幼子がじゃれ合うようで微笑ましかった。
「龍馬、ここはまるでおまんの城のようじゃのう」
「ええ、僕?」
「あちこちに龍がおるきに」
丹塗りの柱にや欄間には金で龍が描かれ、王の間には正殿の正面と同じように、ただしこちらは金色の龍柱が立っている。
「それを言うならお竜さん城じゃないのか」
「なんじゃあその不気味な城は」
「招待してやるぞ、イゾー遠慮するな」
そんな風に言いながら、お竜はわざとらしくあーんと口を開けてみせる。
お竜さん城に、お竜さんで出来た城、すなわちお竜の腹の中であるという概念が付与された瞬間だった。
「食べちゃ駄目だからね」
「イゾーが住みたがったんだ」
「言うちょらんわ!」
ぎゃあぎゃあと賑やかに争う二人の声音を聞きながら、龍馬は柔らかに双眸を細める。
こうしてずっと三人でいられたらなあ、なんて、喉元まで込み上げた言葉を綺麗に呑み込んで、代わりにほら、まだ見るところはたくさんあるんだからね、なんて言葉で二人を促すのだった。
□■□
ホテルに戻ってきたのは、すっかり日が落ちてからだった。
ホテルのレストランでの夕食を終え、龍馬と以蔵は二人して部屋へと戻る。
お竜は海のあたりを見てまわり、ついでに南国の珍しいカエルを探しにいくのだといって出て行った。
カエルを探すのも、捕まえるのも良いがお願いだから人前でカエルを丸呑みにするようなことだけはしてくれるなと懇願し、約束したのは言うまでもない。
くたびれたようにベッドに突っ伏している以蔵の傍らにぎしりとベッドを軋ませて龍馬は静かに腰掛けた。
「疲れたかい?」
「……まあな」
「でも、楽しかったろう?」
「…………悪くは、ない」
「ふふ」
幼馴染みの素直ではない感想を聞きながら、手遊びのように龍馬は今は結いを解かれて、ふっくらとポメラニアンの尻尾のように膨らんだ以蔵の髪をわしゃわしゃと撫でる。
そこで、以蔵がごろりと寝返りを打った。
「龍馬」
まろい金の双眸が、まっすぐに龍馬を見上げる。
「なんだい」
柔らかな黒の双眸が、伏せがちに以蔵を見つめ返す。
「おまん……どいて、写真を撮りたがる」
それは、責めるわけでもなく、ただ本当に不思議に思ったから聞いてみた、というような問いだった。
以蔵の知る坂本龍馬という男は目新しいもの好きであるから、龍馬や以蔵が生きていた頃にはまだ珍しかったカメラや写真というものに興味を持つのはまだわかる。
だが、今日の旅行の間、龍馬が写真に対して見せた執着はどうもそれ以上のように以蔵には思えたのだ。
「…………」
「観念してすっと吐きや」
「……僕、もしかして尋問されてる?」
「お竜がいない今が好機やき。しらばっくれるなら水責めでもしちゃろうか?」
「やめて」
「じゃあしゃんしゃん白状せえ」
「……………………」
はあ、と龍馬は深く息を吐く。
それから一度立ち上がって、備え付けの小さな冷蔵庫へと向かった。
中に入っていた泡盛のミニボトルを取り出し、二人分のグラスを用意して中に注ぐ。
泡盛は水で割りながら飲むのが主流であるらしいが、酒には強い土佐の男が二人そろっているのだ。
ロックでも十分だろう。
なんだなんだと身体を起こしていた以蔵へとグラスの片方を差し出して、再び龍馬はベッドサイドへと戻った。
「……今日行った、首里城あっただろう」
「おん」
「あの城はね、先の大戦で焼け落ちたんだそうだ」
「……ほうか」
以蔵にも、その戦争の知識はある。
日本は海の外の国々と戦い、敗れたのだ。
「1945年のことらしいね」
「ほおん」
「その後戦争が終わって、平和になって……、この島の人々は、あの城の復興を考え始めたんだそうだ。それが、だいたい1980年ころのことなんだって。あのね、以蔵さん」
「なんじゃ」
「たった、40年足らずだ。たった40年足らずなのに、誰もあの城についての正確な記憶を持っていなかった」
「———…」
「誰も、あの城がどんな風だったのかを覚えてはいなかったし、記録も残ってはいなかったんだ」
第二次世界大戦時、あの城には日本軍が司令部を置いていた。そのために、跡形もなく焼き尽くされたのだ。
当時の様子を記録する貴重な資料も、琉球王朝に代々伝わってきたはずの貴重な宝物も、何もかもが焼失した。
「以蔵さんと、お竜さんが写真をとった龍柱があっただろう?」
「おん」
「あれもね、本当はどこを向いていたのかわからないんだそうだ」
昼間三人が見た龍柱は、二匹が正殿を中心に向かい合うようにそびえていた。
だが、一説においてはかつての龍柱は向かい合うのではなく、正面を向いていたのだとも言われているのだ。
たったの40年で、記憶も記録も断絶した。
それだけ多くの人が戦争で命を落とし、それだけ多くのものがこの島では戦争によって失われたのだ。
「……この夏休みが終わったら、僕たちは座に還る」
「………………」
静かな声だった。
それは避けようのない決定事項だ。
人理は救われた。
世界は救われた。
だから、その為に召喚された英霊たちはその任を解かれ、それぞれ座に還ることになる。
以蔵とは少しばかり成り立ちの異なる龍馬は、もしかすると座の経ることなく、そのまま次の任務へとお竜と共に向かうのかもしれないが。
「僕は、それが少しばかり、惜しかった」
嘘だ。
少しばかり、ではない。
まるで昔のように、以蔵とお竜と、三人で過ごすことが出来たカルデアでの日々は龍馬にとっては得難い幸いだった。
「……忘れたくないし、忘れてほしくないと、思ったんだ」
此度で召喚された記憶を、以蔵も龍馬も、記憶として座に持ち帰ることは出来ない。
座に還った時点でそれらは全て記録と化し、もしまた別の場所で召喚されて出会ったとしても、それは互いに同じ記憶を持つ別人でしかない。
以蔵はきっと以前そうしたように龍馬を殺そうとするだろうし、今は柔い色を浮かべた金の瞳に、赫々と憎悪の色を燃やすのだろう。
だから、此度の二人がどうであったのかを誰かに覚えておいてほしかった。
記憶以外の何も残せないのが英霊だ。
すでに死んだものだ。
歴史に焼き付けられた影法師にすぎぬ存在が、何かを新たに遺すなど本来はありえぬことだ。
けれど、龍馬にはその機会が与えられた。
ここは特異点ではない。
ここで撮った写真を、土産を、龍馬はカルデアに持ち帰ることが出来るのだ。
それを、あの人の良いマスターに遺したいと思った。
「僕たちが、ここにいたことを。僕と、以蔵さんがこうして一緒に過ごせたことを。三人で楽しくやれてたってことを、遺しておきたかったんだ」
だから、写真を撮ることを前提のコースを考えた。
そう、まるで懺悔のように吐き出した龍馬に、以蔵はふうんと一つ気のない相槌を重ねて、ちろりと泡盛を舐めた。
強い酒の味を舌先で掬う。
嗚呼、そうか。
そうなのか。
おまえは、さびしかったのか。
そんな納得がストンと以蔵の胸に落ちる。
この日々が終わることを、この男はきっと誰よりも惜しんでいるのだ。
だから、こんな旅行を計画した。
それはなんだか、以蔵にとっては酷く、むしゃくしゃとするような、それでいてじんわりと胸内が温かくなるような、ヘンな気持ちになることだった。
かつて、以蔵を置いて駆けぬけていってしまった男だ。
後ろを振り返ることもなく、ただただ思い描いたうつくしい未来を実現させるために故郷も友も置き去りに懸命に走りぬいた男だった。
その男が。
坂本龍馬が、今、こうして別れを惜しんでいる。
岡田以蔵という男との別れを、惜しんでいる。
惜しむぐらいなら最初からおいていくなや、という気持ちと、もしかするとあの時だって自分が知らなかっただけで同じぐらいには別れを惜しんでくれていたのではないか、なんて気持ちが胸の内でぐるぐると混ざり合う。
そんな気持ちをどう言葉にしたら良いのか、以蔵にはわからない。
わからないから、ただ、行動に移した。
身を乗り出して、男の下肢に手を這わせ、「なッ!?」と動揺しきった声をあげたその尻ポケットに無造作に突っ込まれたままだった端末を引っこ抜き、未だ情けなく眉尻を下げつつも目元をぽっぽと染めた古馴染みの美丈夫の顔をぱしゃりと写真に収める。
「な、な、いきなりなに、以蔵さん!」
ニチャリと、意地悪く笑う。
「そいたらおまんの情けない顔もこじゃんと撮っちゃるきにな。マスターへのえい土産になるわ」
「……!」
言外に協力してやる、との以蔵の言葉に、嬉しそうに、幸せそうに、へにゃりと龍馬が笑み崩れる。
子どもの頃の面影に強い、幸福な幼子のような笑みだ。
くつりと喉を鳴らして、以蔵はもう一度シャッターボタンを押した。
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たった三日の夏休みだった。
南の島で過ごした三人の夏休みを記録しつづけた端末は見事にデータでパンクし、たった三日でどうしてこんなことになるの!? と、善良なマスターに悲鳴をあげさせることになったのは言うまでもない。
