一度失ったものを取り戻すというのはとても難しい。
それが取り返しのつかぬものであるのならばなおさらだ。
むしろ、二度と取り戻せぬからこそ、『取返しのつかない』などという表現になるのである。
龍馬にとって、そんな『取返しのつかない』過去の取りこぼしの象徴こそが、岡田以蔵という男だった。
同じ土佐に生まれ、ともに育ち、それでありながら龍馬は自らの夢のために彼を置いて土佐を出た。
当時だって、いろいろと考えはしたのだ。
別れはやはりつらかったし、彼を連れていってしまいたいという気持ちは強かった。
けれど、それでも龍馬と以蔵とでは既に道が分かたれていた。
彼はすっかり武市に心酔してしまっていたし、その武市とは龍馬は政治的な思想においてもはや相容れることは出来なくなってしまっていた。
分かり合うためには、時間が必要だと思った。
もしかしたら、このまま分かり合うことは出来ないかもしれない、とも思った。
だが、龍馬は。
道を違えた先で岡田以蔵が罪人として首を落とされ、三十にもならぬうちに命を失うことになる、なんて末路はちっとも考えていなかった。
まさかそんな酷いことが起こりうるなんて、思ってもみなかったのだ。
その未来を知っていたならば、あの時の龍馬はもっと違う道を選んだだろうか。
自らの夢と、岡田以蔵という男の人生の両方を選ぶ道は本当になかったのだろうか。
抑止の守護者となった龍馬には、そういったことを考える時間だけは山ほどあった。
守護者として働く中で、選択を迫られる度に頭に浮かぶのはかつての幼馴染である岡田以蔵のことだった。
そうして、考えて、考えて、それでも答えは出なくて、岡田以蔵という男のことを延々と考え続けている最中、龍馬は同じサーヴァントとして召還された岡田以蔵に出会うに至った。
龍馬が取りこぼしてしまった、『取返しのつかぬ』はずの男が目の前にいたのだ。
その時の歓喜をどう言葉にしたら良いのか。
胸の内に轟轟と荒れ狂う強い感情を、どこに分類したものだったのか。
帝都での一件が片付き、龍馬は再びカルデアで以蔵と再会した。
以蔵は、龍馬を憎んでいた。
以蔵の身に起きたすべての悪いことを龍馬のせいだと詰り、罵り、龍馬を殺そうとすらした。
けれど、龍馬は構わなかった。
以蔵が目の前にいるのだ。
カルデアには時間がある。
人理を取り戻す果てなき旅路はまだまだ残されている。
たとえ憎まれていたとしても、関係が終わったわけではない。
まだ『取返しがつかない』ことにはなっていないのだ。
時間があるうちには。
二人が同じ時間、同じ場所に留まっていられる限りは、龍馬には機械が与えられている。
そう思ったからこそ、龍馬は以蔵から向けられる憎悪もなんのその、以蔵へと関わり続けた。
その行為は報われ、やがて少しずつではあったものの、以蔵の龍馬に対する態度はかつてのそれへと近づいていった。
初めてカルデアで二人、酒を酌み交わした夜のことは今でも忘れられない。
以蔵は多少居心地悪そうに龍馬を睨みながらも、逃げず、怒鳴らず、暴れず、刀を抜かず、盃を手に取った。
くぅ、と強い酒を干して反った喉が、やがてほう、と吐き出される熱と酒精の蕩けた息とともに緩み、「げにまっこと美味いにゃあ」と柔らかにその蜜の色をした瞳が細くなる。
龍馬が恋情を自覚したのはその瞬間だ。
触れたいと思った。
その喉をするりと撫であげ、男らしい喉の尖りにそっと歯を立ててみたいと思った。
もっと違う顔を見てみたいと思った。
それはどう考えても、同郷の幼馴染に対して抱くにしては様子のおかしい慾だ。
そんな自覚とともに、坂本龍馬は岡田以蔵相手に恋に落ちたのだ。
否、もしかするとその恋の始まりはもっとずっとずっと前で、自覚したのがたまたまその瞬間だった、というだけなのかもしれない。
とにかく、龍馬は以蔵のことをすきだと思った。
すきだから、すきになってほしいとも思った。
そうと決めたら行動が速いのが坂本龍馬という男である。
まずは幼馴染としての距離感を取り戻し、それからもなおじりじりと距離を詰め。
きっと想いを告げたとしても叩き斬られる心配はないと確信に至った頃合いを見て、「すきちや」と告げた。
そこまでは、龍馬の計画通りだったのだ。
おそらく以蔵ならこういう反応をするだろう、という予測通りに進んできた恋路は、いざ想いを告げたとたん様相が変わった。
「――……」
龍馬の言葉に、以蔵はぽかんと目を丸くした。
驚かれるのは、まだ想定内だ。
それに続くのがはにかみであれば良いと思った。
照れてくれたのならば、勝ち目はある。
何をふざけたことを、と怒られても良いとは思っていた。
それをきっかけに龍馬のことを幼馴染以上になりうる存在だと意識させることができたのであれば、それはそれで成功だと言える。
だが、以蔵の顔に浮かんだのは戸惑いと、なんだかちょっと気の毒そうな眼差しだった。
「以蔵さん……?」
「龍馬、もう寝た方がえい」
「えっ」
「こじゃんと呑んだきにな、ようたんぼめ」
「え、ちょっと、以蔵さん、まって」
「なんじゃ、眠くないんか。えいえい、わしが寝かしつけちゃるきにな」
「えっ」
それが、以蔵なりの照れ隠しであったのならばまだ良かったのだけども。
以蔵の眼に浮かぶのは、どこまでもやさしいいろだった。
まるで病気のこどもを寝かしつけでもしようとするかのような、ただただ慈愛に満ちたひとみ。
おや???
これはなんだか思っていたのと違うぞ???
そうは思ったものの、何がどうしてそうなったのかはさすがの龍馬にもわからなかった。
促されるまま、気づいたら龍馬はお布団の中に収納されており、その上からまるで子どもの頃にしてくれたように以蔵の手がぽんぽん、と緩やかなリズムを刻む。
懐かしいなあ、だとか。
以蔵さんに優しくしてもらえてうれしいなあ、だとか。
そんなことを考えつつちらりと見上げた以蔵の、伏し目がちに降る柔らかなまなざしになんだかうっとりとした心地になってくふんと小さく鼻を鳴らすと、少し呆れたようにくしゃくしゃと髪を掻き撫でられる。
少し乱暴なその仕草が、何よりもうれしかった。
思ったとは違うけれど、これはこれでしあわせだなあ、と。
そんな風に思った。
―――わけだが。
まあ、龍馬は思ってもいなかったのだ。
まさか、生前集道を嗜んでいなかった己が同性である以蔵へと恋情と愛情を向けたことから霊基の異常を疑われている、なんて。
以蔵のやさしさが大変きのどくな幼馴染に向けられたものだなんて、知らなかったのだ。
だから、こんな会話が交わされていたことなんかも、当然知らない。
「おい、お竜」
「なんだ、イゾー」
「おまん、ちゃんと龍馬にやさしゅうしてやっちょるのか」
「お竜さんはいつだってリョーマには優しくしているぞ」
「わしが口出しするような話じゃないのはわかっちょるが……、あいつ、わしに好いちゅうなんぞ言い出したき、ちゃんと構ってやりぃ」
「…………」
「なんじゃ」
「本気か」
「本気じゃ」
「さすがのお竜さんもこれには心からリョーマに同情する」
「やき、やさしゅうしてやらんか」
坂本龍馬の恋路は、険しくも見当違いのやさしみに満ちている。
