「………………」
「お竜さん、どうかした?」
「……何か、喉にひっかかっているような気がする」
「えええ、さっきの戦闘でかな」
レイシフトを終えて戻ってきたカルデアの食堂にて、龍馬の傍らに浮いたお竜がもにもにと口元を動かす。
んくんく、と喉が鳴る音もする。
喉にひっかかった何かを吐き戻そうとしているようなのだが、どうもうまくいかないらしく、薄っすらと眉間に皺を寄せている。
しばらくそんなことを続けて、やがてお竜は諦めたように駄目だ、と呟いた。
「リョーマ」
「ん、どうする? ダヴィンチ女史のところにでも行くかい?」
そこでなら、お竜の喉の詰まりもきっとなんとかしてくれるだろうというつもりで龍馬は言ったわけなのだが。
お竜は面倒くさそうに頭を左右に振ると、少しだけ背伸びするように高く浮いて、きょろりと周囲を見渡した。
「おい、イゾー、ちょっと付き合え」
「ああん?」
少し離れたところで茶を飲んでいた以蔵が、訝し気に声をあげる。
若干既に喧嘩腰なのは、お竜と以蔵が寄ると触ると角を付き合わせてばかりいる仲だからだろう。
「なんじゃ、わしになんか用か」
「ちょっと丸呑みにしていいか」
「どういて良いと思うた」
半眼で以蔵が呻く。
それには龍馬も同意だ。
まあまあまあ、と宥めるように二人の間に割って入る。
そうなると以蔵も一人で静かに茶を味わっている場合ではないと諦めがついたのか、大層厭そうに眉間に深く皺を刻みながらも、ずがが、と椅子を引きずって龍馬とお竜の傍らへと身を寄せた。
その仕草に、龍馬は口元が温かに緩むのがわかる。
寄ると触ると喧嘩ばかりしているし、以蔵は相変わらずツンケンしてはいるものの、それでもこうして当たり前のように席を共にするようにはなった。
龍馬とお竜が以蔵の隣に座っても口では嫌そうに「なんじゃあ」なんて言って顔を顰めはするけれど、席を立ってしまうようなことはなくなった。
出会いがしらに龍馬を斬り捨てようとしたことを思うと、随分な進展だと言っても過言ではないだろう。
「あのな、お竜さんの喉に何かがひっかかっているんだ」
「おん」
「ちょっとイゾー、お竜さんの口に入ってとってこい」
「ハアアア!? なんでわしがそがなことせんといかんちや! 龍馬にやらせえ龍馬に!」
「間違えてリョーマを喰ってしまったら大変だろう」
「わしならいいんか!」
「いい」
「駄目だよ駄目だからねお竜さん」
がるるるる、と二人して喉奥で唸るようにして睨み合っていたお竜と以蔵だったわけなのだが、あっさりと矛を収めたのは意外なことに以蔵の方だった。
はあ、と呆れたようなため息を一つついて、それからお竜へと面倒くさそうな一瞥を投げて、「……ほいたらしゃんしゃんシミュレーションルームに行くぜよ」なんて、言う。
「わかった」と頷くお竜も素直なもので、がたりと立ち上がった以蔵の肩のあたりへとふわりと身を寄せた。
なんだかそんな二人の仲の良い様子にぽかんとしている間にすっかり置いて行かれそうになって、龍馬は慌てて二人の後を追いかける。
お竜が以蔵を頼るのも、以蔵が、そんなお竜に応えてやるのも、どうしてなのだかがよくわからない。
一体いつの間に、この二人がこんなにも仲良くなったのかが龍馬にはわからない。
普段顔を合わせれば怒鳴り合ってばかりだし、お互いに手が出たり髪が出たり(?)するのも当たり前の仲だというのに。
一体、いつの間に。
「ちょっと待ってよ二人とも!」
龍馬の声を背後に聞きながら、お竜と以蔵がゆるりと口元を笑ませたのを、龍馬だけが知らない。
□■□
お竜の口から出てきたのは、レイシフトの際にばっくりと喰らったエネミーの持ち物らしい白い艶々とした美しい絹を束ねた紐のようなものだった。
唾液でぬめぬめにされた以蔵が巨大な黒の蛟と化したお竜の口の中に入り、龍馬がその足首をもって以蔵がうっかり呑まれてしまうのを避けつつなんとか引っ張り出したものである。
大体のものは腹でと蕩かしてしまうお竜なのだが、どうやらこの美しい白絹の飾り紐は薄っすらと魔力を帯びていることから、お竜の体内にあっても溶けずに残っていたようだった。
その飾り紐を、お竜はどうやら酷く気に入ったようだった。
手慰みに手の中で弄り、良い暇つぶしにしているようで、カルデアの人々がそんなお竜に紐を使った遊びを教えてやるなどしている光景をよく見かけるようになった。
以蔵にあやとりバトルを仕掛けては、あれでなかなか子どものあしらいに長けている以蔵に返り討ちにされている様など、なかなかに微笑ましかった。
そして、そんなある日。
レイシフト先にて、事件が起きた。
■□■
「坂本さん!!!」
マスターの悲鳴がする。
そのことに、龍馬は少しだけ安堵をする。
悲鳴をあげられるということは、マスターは無事だということだ。
戦闘の最中、突如上空から現れたワイバーンの急襲からマスターを庇える位置にはたまたま龍馬しかいなかった。
近接戦闘を特異とするサーヴァントたちが前線に出払い、マスターの傍には銃を持つ龍馬しかいなかったのだ。
だから、迷わなかった。
迷わず、身を挺してマスターを守った。
鋭い爪で肉を抉られた背がじくじくと熱く濡れそぼるのがわかる。
それでも、そのまま空中に攫われることだけは避けて身をよじり、反撃の一撃で巨大なワイバーンの片目を潰してやったのだから、なかなかのものではないだろうか。
「リョーマ!!!!」
お竜の悲鳴がする。
龍馬に頼まれた通りに前線を手伝いに出ていたお竜が、龍馬が傷ついたことに気づいてすっ飛んできたのだ。
その傍らには、どうしてだか渋面の以蔵もいる。
「……やあ、ごめんね、ちょっとばかり無理をしてこれ以上の戦闘は無理そうだ。足を引っ張ることになる。面目ないね」
「リョーマ、リョーマ、大丈夫か、すぐに治してやる!」
「いや、それは待ってくれないか」
「何を言っている!」
「お竜さんと僕は、ふたりで一つだ。僕はちょっとばかり怪我をして動けないけれど、お竜さんはまだ戦える。それなら、動けない僕を治して魔力を消費するよりも、お竜さんにその分の魔力を回して前衛を手伝ってもらった方が戦闘が早く終わると思うんだよね」
「坂本さん!」
マスターが、叱るような声を上げる。
優しい子どもだ。
すでに死んだ身をこうも気遣ってくれる。
今ここにいる龍馬はすでに二百と幾つか前に死んだ男の影でしかなく、たとえここで斃れたとしてもカルデアにその霊基パターンが保存されている限り、カルデアに戻るだけのことで済む。
それでも、この優しい子どもは龍馬の負う苦痛を想ってこうも顔を顰めてくれるのだ。
サーヴァント冥利に尽きるというものだろう。
「リョーマ」
「頼むよ、お竜さん。わしの我儘、聞いとおせ」
「だけどリョーマが!」
「ほたえなや、お竜」
横から割って入ったのは、以蔵だった。
うろたえるお竜の悲鳴じみた声と裏腹に、落ち着きはらった低い声だった。
「あン紐はまだ持っちょるか」
「持ってる」
「貸せ」
お竜が差し出した白絹の飾り紐を、以蔵が手の中ではらりはらりとほぐしていく。
すっかりほどけてか細い絹の糸と化したそのつやりと光る一端を、以蔵は無造作に龍馬の手首へと結びつけた。
そして反対側の端を、以蔵自身の手首へとしっかりと結びつける。
「えいか、お竜。おまんが暴れてこいたあの魔力を使いきったとしてもな、そん時はわしがこいつに魔力をわけちゃる」
つやりと光る魔力を帯びた白絹の糸。
以蔵は魔術師ではない。
だから本当にそんなことが出来るのかは、龍馬にもわからなかった。
けれど、これ以上戦力を欠けさせるわけにはいかない。
前線で抑える人数を減らすわけにはいかない。
だから、以蔵の言葉に乗る。
「この紐でつながっているから、大丈夫だよ。ね、僕は大丈夫だから」
「…………わかった」
うつむいたお竜は、泣いているようにも見えた。
が、次の瞬間にはその鮮やかな柘榴の双眸には煌々と殺意が燃えている。
「おい、クソ雑魚ナメクジ」
「なんじゃあスベタ」
「ちょっぱやで終わらせるぞ」
「まかしちょけ」
酷く、殺気立った不穏な会話だった。
マスター、龍馬を任すぞ、なんて言って以蔵とお竜が連れ立って戦線へと戻りゆく。
その背中がいつかの二人に重なって、どうしてだか置いて行かれるような心細さを覚えて龍馬はへにゃりと眉尻を垂らす。
と、そこで以蔵がちらりと龍馬を振り返った。
「おい龍馬」
「な、なに、以蔵さん」
「……そん紐、解こうなんと思うたらわしがおまんを殺しちゃるきな」
それだけ言って、以蔵はお竜とともに戦場を駆けていく。
鬼神のように敵を斬り伏せる男の手からは、きらりきらりと光る糸が伸びている。
たゆたい、揺らぎ、それでも確かに龍馬の手首に結ばれ、微かな魔力を伝えている。
以蔵はもとより魔力に長けているわけではない。
神秘に触れずに育った世代の人間であり、魔術とも縁はない。
それでも、糸を縁に龍馬へと現界のための魔力を分け与えているのだ。
以蔵がそう望んだからなのか、もとより糸にそのような効果が備わっていたのかはわからない。
「…………、」
龍馬はそろりと、手首に結われた糸に触れる。
ほどいてやったほうが、以蔵を自由にしてやったほうが良いのはわかっていた。
お竜に言ったのと同じことだ。
龍馬に魔力をまわすよりも、以蔵自身のためにその魔力を役立てた方が、ずっとずっと、良いはずなのだ。
「……それ、ほどいたら以蔵さんにぶち殺されますよ」
傍らのマスターが、ぼそりと言う。
「俺、ちょっと、お竜さんと以蔵さんの気持ちがわかったような気がします」
「…………」
「龍馬さん、すーぐ俺たちを置いていこうとする」
その言葉に、つきりと胸が痛む。
置いていこうと思ったわけではないのだ。
その場の最善を選んだつもりだった。
それでも龍馬がここで消えてしまえば、一拍ほど遅れてお竜はこの場から離脱することになるだろうし、この戦場に以蔵を残していってしまうことになる。
「……置いていくわけじゃ」
「あ、すごい。お竜さんと以蔵さんが滅茶苦茶なコンビ技キメた」
「えっ、なにそれ僕もみたい」
「坂本さんはおとなしく寝ててください」
むくりと身を起そうとした龍馬の肩を、まるで罰ですとでもいうようにマスターが押し戻したもので、龍馬は渋々とおとなしくやわらかな下生えに再び身を沈めた。
遠くから、以蔵の高笑いと、お竜の声が賑やかに響いている。
結ばれた糸の先から、以蔵の鮮やかに燃える命の鼓動が伝わってくるような気がした。
□■□
カルデア医療室前。
中では龍馬が、カルデア医療チームによる診察を受けている。
レイシフト先で負傷したサーヴァントは、帰還した際にこうしてメディカルチェックを受けることが義務づけられている。
それを廊下で待つのはお竜と、それに付き添うように立つお竜だ。
龍馬自身は以蔵やお竜の保護者を気取っている節があるが、一番手に負えないのは坂本龍馬という男、そいつ自身だと以蔵とお竜は思っている。
二人してむずかしい保護者の面持ちで、医療室から出てきた男をしこたま叱ってやろうと待ち受けている。
「……まったくあの阿呆は」
「クソ雑魚ナメクジに言われたらおしまいだが、残念ながらそれにはお竜さんも同感だ」
「ちゃんと紐でつないどきや」
あの男は放っておくとすぐに駆け出していって、見えなくなってしまうのだ。
渋面の以蔵に、お竜がちょっと口元で笑う。
「紐でつなぐのは、お前に譲ってやる」
以蔵の手首では、未だ艶やかな白絹が結われたまま、ほどけもせずに煌めいている。
