魔力供給

 ぜい、ぜい、と荒い呼吸が酷く耳障りだった。
 以蔵はぐったりと木陰に身を横たえて、呼吸を整える。
 古代バビロニアの、魔力と濃い緑の香りが溶け合った大気に鉄錆めいた血の匂いが広がっていく。
 獣に喰い破られた腹のあたりがぐっしょりと血に濡れて気持ちが悪い。
 だが今は傷の回復に残りの魔力を回すのがやっとで、身に纏う服を編み直す余裕はない。
 
「以蔵さん、大丈夫がか」
「これが大丈夫に見えゆうか」
「見えん」
「なら聞くなや」

 じろりと、以蔵は傍らに屈む男を半眼で見上げてぼやく。
 以蔵の古馴染みにして、怨敵、そしていつの間にやら絆されて今では恋仲に落ち着いた男だ。
 見目は良い。
 今はあちこち薄汚れ、草臥れているし、その象徴めいた白の中折れ帽もどこかにいってしまっているが、日頃はぱりっとした白の海軍服を着こなす涼しげな美男子だ。
 別段その見目ばかりに絆されたわけではないが、まあ、草臥れても良い男は絵になる。
 そんなことを現実逃避のように思いながら以蔵はゆっくりと身体を起こした。
 いつもの、素材集めのためのレイシフトのはずだった。
 予想されるエネミーのクラスはライダーとキャスター。
 その為に、アサシンクラスの以蔵と、ライダークラスのこの男、坂本龍馬が一緒に編成されることになったのだ。
 カルデアの分析によるとキャスタークラスのボスを守るのがライダークラスの雑魚、ということだったのだが。
 どれだけカルデアの観測チームが優秀であれど、ズレというのは生じるものだ。
 実際にレイシフトしてきてみれば、ボスを守る雑魚の数は観測されていたよりもずっとずっと多かったし、そのクラスもバーサーカーとライダークラスの混合だった。
 作戦ではライダークラスの龍馬は最後のボス戦まで魔力を温存することになっていたのだが、とてもそうは言っていられない混戦が始まり、いつしかマスターとはぐれた二人は這々の体でこうして物陰まで逃げ込んだというわけである。
 マスターとの魔力による繋がりは未だ無事なので、おそらく残ったメンバーがしっかりマスターの護衛を務めてくれているということだろう。
 問題はこちらの方だ。
 今は森に飛び込み、獣どもの目と鼻を誤魔化しているが、それもいつまでも持つものではないだろう。
 このまま追い詰められれば袋の鼠だ。
 その前に決着をつける必要がある。
 以蔵は、げんなりとため息をついた。

「りょうま」
「どういた、以蔵さん」

 傷が痛むんか、と気遣わしげな言葉を続けた男に、うるさいとそっけなく返しながら手をひらりと力無く振る。
 傷など、痛むに決まっている。
 聞くなやド阿呆、と先ほどの繰り返しのような言葉を心の中で呪詛するようにぼやきながらも、以蔵は必要なことを聞くべく口を開いた。
「わしの分の魔力もおまんにやったら、お竜を呼べるがか」

「――、――――」

 一度、それは駄目だと言いかけたかのように唇がはくりと動いて、結局音は紡がないままに再び一文字に閉ざされた。
 この窮地において以蔵に残された魔力を龍馬に譲渡するということは、回復を諦めるということだ。
 そうなれば血は流れ続け、以蔵のこの地に置ける霊基は損なわれ続ける。
 いずれは耐えきれなくなり、やがてこの地で力尽きることだろう。
 それでも、以蔵はまあ構わないと思っていた。
 以蔵には、カルデアのマスターとの契約がある。
 その契約が生きている限り、サーヴァントとしての霊核を完全に破壊でもされない限り、ここで力尽きたとしても以蔵はカルデアに戻るだけで済む。
 この地における死は、決してかつて以蔵が恐れたような怖ろしくさびしいだけのものではない。

「……呼べると、思う」
「そいたら、しゃんしゃんもっていきい」
「でも、以蔵さん、それなら僕の魔力をわけて二人で切り抜けるって手も」
「ないのはわかっちょるろう」

 静かに、わかりきったことを言わせるなとばかりに突きつける以蔵の言葉に、龍馬は悔しげに唇を咬む。
 負傷した以蔵と違い、龍馬は未だ五体満足だ。
 ただ先に一度宝具を解放したこともあって、その身に宿す魔力だけががくんと目減りしている状態だ。
 今龍馬が以蔵に魔力を分け与えたところで、それは以蔵の回復に使われ、後に残るのは魔力がすっからかんの、かろうじて動けるサーヴァントが二体、というだけだ。
 だが以蔵から龍馬へと魔力を譲渡すれば、宝具という切り札が手に入る。
 どちらに勝ち目があるかなど、考えるまでもない。

「でも以蔵さんは、僕を庇って」
「しわい、そういう作戦だったきマスターの言う通りにしただけじゃ」
「嘘じゃ」

 きっぱりとした否定の言葉に、今度は以蔵が唇をへの字にする。
 そう。
 まあ、確かに。
 マスターに言われたから龍馬を守ったのかと言われれば、きっと違うのだろうということは以蔵にもわかっている。
 マスターの指示は龍馬の魔力の温存であり、周囲のライダークラスの雑魚が龍馬にちょっかいを出すようなことがないよう、キャスタークラスのボス戦まで龍馬を守ってやってくれという話だった。
 そういう、作戦だった。
 だがその作戦は、この地に降り立ち、バーサーカークラスのエネミーが群れで襲いかかってきた時点で瓦解している。
 それでも、咄嗟に今にも獣の爪に引き裂かれようとしているこの男を庇ってしまったのは、どうしてだったのか。
 あまり認めたくはないが。
 きっと、あのぱりっとした格好つけの白が、血に汚れるところを以蔵が見たくなかったからなのだろう。
 未だ覚悟を決めきれずにいるような男の胸ぐらへと、ゆらりと以蔵は手を伸ばす。
 わざと捕まるように身をかがめてくれた男の胸元を掴んで、引き寄せる。

「おまんに、全部やる」

 全部だ。
 今の以蔵に残っている魔力の全てを、やる。

「そん代わり」
「……うん」
「ボスは必ずぶち殺してきぃや」

 不穏極まりない以蔵の言葉に、龍馬は小さく笑ったようだった。呼気が、唇の表面をふわりと擽っていく。

「……、約束するけど、どうせならさ、以蔵さん」
「なんじゃ」
「わしの格好えいとこ、最後まで見とおせ」

 甘くねだるような低い声音が囁いて、ちゅ、と軽やかなリップノイズが鳴る。
 ついばむような甘い口づけだ。
 この状況で。

「………………おい」

 以蔵は思わず、龍馬の胸ぐらを掴む手に力を込めた。

「なあに?」

 相変わらず、男の声音は甘たるい。
 二人きりの閨で聞く響きと変わらない。
 甘えるようで、甘やかすずるい声だ。

「…………ただの、魔力供給ちや。しゃんしゃん済ませえ」

 何も、睦み合っているわけではないのだ。
 ここは戦場で、必要があって魔力供給をしようとしているだけだ。甘やかな睦言も、優しい口づけも、別段必要ない。
 ただただ速やかに体液を介して魔力を分かち合えば良いだけの話だ。

「―――でも、魔力供給だからって、気持ち良かったらいけないわけじゃないでしょう」

 以蔵の頤に指を這わせ、くいと持ち上げて龍馬が言う。
 この男は何を言っているのかと、思わず以蔵はぽかんと目を丸くして見上げてしまった。
 そんな目元にも、優しく唇が落ちてくる。
 いやいやいやいやいやいや。

「阿呆、そんな暇ないちや」
「そう? もうしばらくは、大丈夫そうだけど」
「えいからさっさとすませえ、こん阿呆!」

 胸ぐらを掴んだままの腕でぐいぐい揺すりあげてやりたいのに、どうにも開いたままの腹が痛んで身体に力が入らない。
 否、下手に力をいれると、中身がずるりと零れだしていってしまいそうだ。
 どこかとろりとした熱を孕んだ双黒を見上げて、以蔵は口を開く。

「はらわた」
「ぅん?」
「こぼれゆう」
「こぼさんで!」

 男の声が慌てたように上擦るのに、少しだけ意趣返しが出来たような気がして以蔵の口角が持ち上がった。
 以蔵の頤を持ち上げていた手指が一度離れて、しゅるりと以蔵の首元を隠していた襟巻きを引き抜く。
 そしてそれで腹の傷を抑えるように、ぐるりと丁寧に巻いて強く結んだ。

「っ……、下手くそ」
「ごめんね、痛かったかい?」
「聞くなや!」

 三度目のやりとりである。
 とりあえず、これでうっかり中身がコンニチハしてしまう危険性はいくらか軽減できたような気がするが、どうにも不格好な結び目はもう少しどうにかならなかったのかと以蔵は思わず半眼になった。
 この男の形の良い長い指先は、大変器用そうに見えてその実不器用極まりないのだ。

「下手くそ」 

 もう一度しみじみとぼやけば、頭上よりあまり反省はしていなさそうな「ごめんて」なんて声が振ってくる。
 それから再び、仕切り直すかのように甘い声音が「以蔵さん」と柔く呼んだ。
 視線が持ち上がる。
 以蔵のまろい、月を思わせる色合いの双眸と、夜の深い闇と開けの夜空の色が混じる眼差しとが重なりあう。
 するりと薄汚れた白手套の指腹が以蔵の喉を撫でるように滑ってから再びくいと頤を持ち上げる。
 そうして、覆い被さるように身をかがめた男が、しとりと唇を重ねた。
 かさついた唇を唾液で湿らせるように舐めて、そのくすぐったさに以蔵が呼気を震わせたタイミングで舌先がぬるりと潜り込んでくる。
 いつもの、閨での流れだ。

「…………、」

 ふ、と小さく呼気が零れる。
 舌の根ごとじゅ、と強く吸いあげられると、ぴりりとした悦と紙一重の鈍痛にじわりと口の中に唾液が湧く。
 ぴちゃりと音を立ててそれを舌腹に掬って、己の咥内を好き勝手に舐る男の舌に絡める。
 ありったけの、以蔵の中に残った魔力の全部をそれに蕩かして、受け渡す。明け渡す。
 以蔵の何もかもを籠絡しようと手練手管で絆しにかかる男に、今この瞬間ばかりは大人しく全てを委ねる。
 さり、さり、と口づけの合間にあやすように白手套の指腹が耳の付け根を撫でるのに、んぅ、と小さく喉が甘えるように鳴ってしまって死にたくなった。
 いや、大丈夫だ、
 この口づけが終わる頃には以蔵は空っぽになって、じくじくと痛む腹から消えて失せるはずなので、問題ない。
 さあ、全部もっていけ。
 そんな気持ちで以蔵は自分からも熱心に舌を絡めて、溺れるような口づけを交わす。
 触れ合い、吸われる唇と舌だけが妙に熱く、背筋のあたりがぞわぞわと冷え込み始めた。
 仮初めの死が近いのだ。
 もう少しで、以蔵の霊基は崩れ落ちる。

「りょうま」

 カルデアで待っちゅう、と囁くより早く。
 がぶりと噛み付くような口づけの追撃を受けた。
 差し入れられた舌を伝ってとろりと濃い魔力を注がれる。

「あッ、」

 押し返そうとするよりも、ひょいと逃げるように男が身体を離す方が早かった。

「龍馬ッ!」
「わしは、見ちょってち言いゆうが」
「はあ!?」

 拗ねたように、甘えた声が言う。
「おいていかんで、以蔵さん。にゃあ」

 再び身をかがめて、けれど口づけではなく、すりと龍馬は額を以蔵の額に擦り寄せて子どものようにねだる。
 以蔵がそうしたおねだりに弱いと分かっていて、その黒々とした双眸を潤ませ、眉尻を下げて末っ子ぶって甘えやがるのだ。
いい年をした大人の男の癖に。

「…………置いていくんはおまんの十八番ろう」
「そんな意地悪言わんで」

 ちゅ、とほだすような口づけが降る。
 それでも、魔力を突っ返されないようにすぐにするりと身を引いてしまうあたりが本当にこずるい男である。
 以蔵はハァと深いため息をついて、じろりと龍馬を睨めあげた。

「…………たかが魔力供給でこがな口吸いするヤツがおるか」

 勃ったらどうしてくれる、とぼやきながら、少しばかり回復した体力を活かして覆い被さる男の腹にげしりと膝を入れる。
 いたい、と大して痛くなさそうな声音で言いながら、男は緩やかに身を引いて、それから以蔵へと手を差し出した。
 その手を掴めば、ぐいと引き起こされる。

「そしたらさ」
「あ?」

 腹を抑える襟巻きの調子を整えながら、何の続きか、と少し考えて、先ほどの以蔵が口にした「勃ったらどうしてくれる」というぼやきを受けてのものだと気付くのと、龍馬が楽しそうに言葉を続けるのはほぼ同時だった。

「さっさと終わらせて、続きをしに帰りたくなるだろ」
「――――」

 それは、あんまりにも本能やら欲望やらに正直な言葉で。
 綺麗で、正しくて、皆に愛される英雄の言葉とは思えぬほどに私欲に満ちていたもので、以蔵の口元は思わずふひ、と緩んでしまった。

「そりゃあ、えい」

 おん、と頷く。
 それは、良い考えだ。

「龍馬」
「うん」
「しゃんしゃん終わらせるぜよ」
「はいはいわかってますよ」

 軽口を叩き合いながら、二人はゆらりと再び腰の得物に手を伸ばし、エネミーうろつく土埃の中へと飛び出していく。
 目指すは、カルデアへの二人揃っての無事の帰還とその後の蜜月だ。

「―――我為すことは我のみぞ知る!」

 二人分の魔力でなんとか飛び出した漆黒の蛟が、敵を喰らい、二人を背に乗せ太古の空を伸びやかに泳いだ。

 ■□■

 その後。
 カルデアに戻った二人はへちゃもちゃと縺れ合うように龍馬の部屋へと雪崩れこみ、めちゃくちゃセックスした―――と言いたいところだがそこで電池がきれたように力尽きて、二人そろってぐうすか爆睡したのだった。ぐう。

 

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