「ほいじゃあ、やろうか」
「おん」
二人はそう言葉を交わして対面にす、と腰を落とす。
日頃は白の海軍服に身を包む龍馬も、今は袴姿だ。
互いに構えるのは木製の薙刀と竹刀。
あくまで模擬戦、本気で命をやりあうつもりはない。
静かにその場に腰を落とすようにして、視線を重ねる。
以蔵はこの静かな時間が嫌いではない。
相手を打ちのめすために血を燃やす前の、嵐の前にも似た静けさはこの先の熱を予感させてひそやかに以蔵を昂ぶらせる。
間合いはそれぞれの得物の切っ先が微かに重なる程度だ。
龍馬の得物が薙刀であるだけあり、多少間合いが広い。
普通にやりあえば以蔵の剣の届かぬ先に、龍馬はいる。
つまり、勝機はいかに懐に飛び込むかにかかっている。
相手の間合いを殺したものが勝つ、というわけだ。
静から動へ。
互いに特に合わせたわけでもないが、腰を上げるタイミングは同じだった。
ゆるりと立ち上がり、仕掛ける契機を探りあう。
龍馬の腰だめに構えられた薙刀の切っ先は随分と低い位置にある。
油断すれば足下を掬われるな、と以蔵は内心攻めあぐねる。
だがまあ、考えるのは苦手だ。
何事も実戦から学ぶのが一番だ。
以蔵はこれまでそうやって己が敵こそを師に据えて学んできた。
試しに軽く、たんッ、と踏み込んでみる。
これは誘いだ。
果たして龍馬はノるか。
軽くその黒の双眸を眇めて、龍馬は誘いにノった。
否、乗らざるを得なかったのだ。
当然だ。
ただの誘いだと無視されるようなことがあれば、以蔵はそのまま一息に懐まで潜り込んで龍馬をばっさり斬り捨ててやるつもりだった。
ざ、と袴を捌く衣擦れを響かせ龍馬は以蔵が踏み込んだ分だけするりと背後に逃げた。
それ以上の接近を牽制するように龍馬の薙いだ薙刀の切っ先が以蔵の袴を掠める。
下手に深追いしていたならば、模擬刀でなかったのならば、臑を斬られて地に転がるところだ。
「惜しいね」
龍馬がふ、と小さく笑う呼気を零す。
以蔵が届かなかったことをさすのか、斬り倒し損ねたことへの感想なのか。
そのあたりの曖昧な物騒さが、この男らしいと以蔵は思う。
そしてその一歩引いて全体を眺め、敵の足下を掬うという戦略も。
では、それならば以蔵らしさとは何だろう。
やはり、隼の如きと謳われた踏み込みの鋭さか。
は、と吐息を逃し、場を緩めると見せかけてあえてその途中で踏み込んだ。
呼吸のタイミングをずらされるというのは、人間以外と戸惑うものだ。
息を詰め、しッ、とさらに低く呼気を吐きながら身を低く伏せて一息に距離を詰める。
龍馬が身を引いて逃げを打つのが見えるが、以蔵の方が疾い。
足下を薙ぐ薙刀の軌跡は先ほど一度、―――見た。
あれならば。
「ッ、」
踏み込んだ先で以蔵は低い位置から斬りあげる代わりに、跳ぶ。
ひらり、ぶわりと袴と袖が舞う。
その足下を龍馬の振るう鋭い斬撃が過ぎていく。
避けた。
避けたった。
ぐつりと血が燃える。
勝機の匂いを嗅ぎつけて以蔵の中の勝負師が騒ぎ出す。
だが、頭の芯は冷静に。
たん、と畳に軽やかな足音を響かせ、以蔵は着地同時に地を蹴りつける。
そのまま龍馬の眼前へと迫り、そこらえようのない愉悦にニイと口角が持ち上がりかけて――そのとたん、目元の垂れた、いつもは胡散臭い、もしくは穏やかな好青年風に笑う優男めいた幼馴染みの双黒に危険な色がちらりと浮かぶのが見えた。
「あ、」
小さく呼気が漏れる。
これはまずい。
びょう、と風を切る音にばさりと羽ばたきめいた衣擦れが重なる。
袴の裾を靡かせ、袖に風を孕んで、龍馬が躱された初手から繋げてくるりと薙刀を閃かせる。返す刀で以蔵を襲うのは遠心力を味方につけて速度と威力を増した薙刀の柄だ。
たとえ実戦であったとしても、刃で斬るほどの威力はなくとも重い薙刀の柄で力いっぱいぶん殴られればそれなりのダメージは避けられないだろう。
下手をすれば、その一撃で頭を割って仕留めることすら可能なのではないだろうか。
こらめった、頭カチ割られゆう。
覚悟とともにひゅ、と息を呑んだ以蔵だったが、額に受けたのは想像していたよりも軽やかな衝撃だった。それでも、目の前で星が散るほどには痛い。
逃げなければ、と思う。
逃げて、体勢を立て直さなければと思うのに、飛び退って逃げるには薙刀の間合いは広すぎる。
舌打ち混じりに、それでも逃げようと試みる最中、目の前の男が愉しそうに笑うのが見えた。獲物を追い詰める獰猛な類いの笑みだ。ひらりと軽やかに回った薙刀の、今度はその切っ先がブレることなくぴたりと以蔵の眼前で静止した。
龍馬が止めなければ、木製の切っ先は強かに以蔵の顔面を打っていたことだろう。
長く重い得物をまるで己の腕の延長であるかのように易々と振り回すその所作こそが、相対する男の力量を示しているようだった。
「勝負あったね」
「じゃかあしい、わしはまだ負けちょらんき!」
「えええ……、今のは僕の勝ちでしょ」
「斬られとらんもん」
「斬れたよ」
「でも斬らんざった」
「だって模擬刀でも当たると痛いでしょ」
くるりと弧を描くようにして薙刀を引いた男が、ぴたりと身体の脇でそれを携えて、「ね?」とにこやかに笑った。
腹が立ったので、以蔵は力一杯龍馬の臑を蹴ってやった。
「いたい!」
あがる悲鳴ににんまりと笑う。
決して負け惜しみではない。
