坂本龍馬は岡田以蔵に憎まれていなければいけない。
岡田以蔵の霊基を成立させるのは、坂本龍馬への憎しみであり、坂本龍馬という男の魂の深くにまで食い込んだ悔恨と未練だ。
その三つが『岡田以蔵』というサーヴァントの霊基の土台となっている。
その最も重要な三つの要素のうちの二つを担うのは龍馬であり、その点については何も問題はない。
未練も悔恨も龍馬は手放すつもりなどない。
だが、以蔵はどうだろうか。
以蔵は、龍馬への憎悪をいつまでも後生大事に抱えてくれるだろうか。
そんなことを考えていると、いつも龍馬はいつかの土牢に辿り着く。
暗く、糞尿の匂いの立ちこめる酷い場所だ。
薄暗い地下に降りていけば、分厚い木の檻の向こうにボロ屑のように倒れ伏す以蔵の姿がある。
「以蔵さん」
声をかけると、ぴくりとその指先が震える。
わずかに頭が動いて、くすんだ金の瞳が檻を隔てた先にいる龍馬を映した。
「りょ、ま」
悲鳴をあげつづけたのだろう。
泣き叫び続けたのだろう。
かすかすに掠れた声が、龍馬の名を呼ぶ。
それはそれは嬉しそうに。
「りょ、ま。りょぉ、ま」
ずりずりと地面を這いずって、少しずつ、少しずつ、以蔵は龍馬へと近づいてくる。
そうして檻に手をかけ、よろよろと身体を起こした。
殴られてもいるのだろう。
顔は酷く腫れ、瞼も重たげに伏せられている。
それでも、その金の瞳に浮かぶのは明らかな喜色であり、龍馬に対する純粋な好意が蕩けている。
「来てくれたがか」
「うん。来たよ、以蔵さん」
「ほうか、ほうか、来てくれたがか……」
ぽろぽろとその双眸から涙がこぼれおちる。
まるで得難い奇跡が起きたとでもいうかのように、以蔵は静かに涙をこぼす。
檻ごしに白手套に包まれた手を伸ばし、その涙をそっと拭う。
白い指先はあっというまに赤黒く染まった。
「聞いてくれるかい、以蔵さん」
「何じゃ、わしに出来ることなら何でもいうてくれ」
「いいかい、よく聞いて」
「おん、おん」
腫れぼったい眼を懸命に開いて、以蔵は龍馬を見る。
ひたむきに、龍馬を見る。
「僕を、憎んでくれ」
「っ、いやじゃ」
「お願いだよ、以蔵さん」
「わしは、おまんが好きじゃ。おまんを好いちょる。ずっと憧れちょった。正しいことを迷わずに選べるおまんが、わしの理想じゃった」
「以蔵さん」
厭じゃ厭じゃと頭を横にふる以蔵の頬に手を添えて、視線を重ねる。
「お願いじゃ、わしん頼みを聞きとぉせ」
「なきそがぁなことを言うんじゃ、どいてわしにおまんを嫌わせようとしゆう……っ」
べそべそ、と以蔵は啜り泣く。
子どものように、泣きじゃくる。
「以蔵さんはね」
「おん」
「もうすぐ、死んでしまう」
「――――」
一瞬、泣くことすら忘れたように、金の瞳がぱちりと瞬く。
瞬いた拍子に、またぽろりと零れた涙がその血と泥に汚れた頬を滑り落ちていった。
「ほう、か。そろそろ、かえ」
「うん。そうだ。明日には、河原に引き出される」
「ほうか……ほうか……」
そういってほろほろと涙を零す顔に、わずかな安堵が見えるのはきっと龍馬の気のせいではないだろう。
苦痛と恥辱にまみれた生からの解放を、以蔵は望んでいるのだ。
「ぼくは、以蔵さんに死んでほしくない」
「りょうま……、やき、わしはもうだめじゃ。死にゆう」
「うん。うん。でも」
龍馬は、まっすぐに以蔵を見つめる。
「以蔵さんが、僕を憎んで、憎んで、憎んで、憎んでくれたなら―――そのさきで、また会える」
「また?」
こどものように、素直な声が龍馬の言葉を復唱する。
それに、それこそこどもに言い聞かせるように、龍馬は頷く。
「以蔵さんが、強く、僕を憎んでくれたなら。だからね、以蔵さん。僕を恨んで。以蔵さんを助けられなかった僕を憎んで、嫌ってくれ」
「……っ、」
くしゃくしゃと顔をゆがめて、ひ、ひ、と嗚咽をこらえて厭じゃ、と言い張る以蔵の額に檻越しに唇を寄せて、龍馬は祈るように繰り返す。
「お願いじゃ、以蔵さん。わしをひとりにせんで。いつかの先に、わしに逢いにきとおせ」
「わしが、おまんを憎めば、えいがか。ほいたらば、わしはおまんに逢いにいけるがか」
「そうじゃ」
力強く言い切る。
ひぐひぐと嗚咽を食みながら、以蔵はこくりと小さく頷いた。
「きらいじゃ……、りょぉまのばあたれ。きらいじゃ。おまんなんか、だいきらいじゃ」
「うん。えいこじゃ。それでえい。わしのこと、憎みとおせ」
「きらいじゃ、きらいじゃ、だいきらいじゃ」
そう言いながらも、以蔵の腕は縋り付くように龍馬の布地を強く手繰っている。
その背を優しく撫でさすってやりながら、龍馬は以蔵へと自らへの憎悪を吹き込み続ける。
いつか、どこかで。
再び、出逢うために。
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そして。
「龍馬ァアアアアアア!!!! わしはおまんを許さんきのう!!!!」
極寒の星見台に、熱烈な愛の告白にも似た憎悪の罵声が今日も響き渡る。
