以蔵には、不思議に思うことがある。
己の古馴染みである男のことだ。
「以蔵さぁん、今日はな、ドレイク船長からこの世で一等美味いちいう酒ばあ貰ったがよ、一緒に呑まんかえ?」
にこにこと嬉しそうに、以蔵から言わせればちっとも締まりのない顔をして、以蔵の部屋にやってきたその男は腕に抱えた瓶を小さく持ち上げて見せる。
今日はオケアノスへのレイシフトで、ドレイク船長の船に乗せて貰えるかもしれないと昨日の夜からそわそわしていた男であったから、きっと船からカルデアに戻るまで、後生大事に人の子どもほどはあるであろう鼇を抱えて持ってきたに違いない。
そしてそれを、取ってこいと投げられたボールを銜えて飼い主に褒めろ褒めろと見せにくる犬のような健気さで、以蔵のもとへと運んできたのだ。
ベッドに腰掛け、組んだ片胡座の膝の辺りで頬杖をついて以蔵は嬉しそうに酒盛りの準備をする男の様子を眺める。
これは、エミヤくんが用意してくれたつまみ、これは、前に誰それの仕事を手伝ったときに例として貰った珍味、などなど。
そんなことを嬉しそうに語りながら、何度も自分の部屋と以蔵の部屋とを往復して、男は甲斐甲斐しくご馳走を並べていく。
「ああ、折角だ。この前ドロップしたのをそのまま貰ったとっておきの奇奇神酒も出そうか。あの日はいつもより多めに手に入ったものだから、マスターが一つどうぞ、ってわけてくれたんだよねえ」
白磁に金の装飾の施されたうつくしい瓶までが、床に所狭しと並んだ酒と美食と珍味の中に紛れ込む。
英霊の再臨のリソースにされるほど強力な魔力を帯びた酒は酷く珍しく、貴重で、カルデア所属のサーヴァントであったとしても滅多に口に出来るようなものではない。
それを、この男は当然のように以蔵との酒宴に並べるのだ。
そんな様子をむっつりと眺めていた以蔵は、にゃあ、と口を開いた。
「なんだい、以蔵さん」
「……おまんは、どういてわしにそう良くしゆう」
「へ?」
ぽかん、と龍馬の目が丸くなった。
何を聞かれたのかわからない、といった顔だ。
そんな顔をされると、なんだかとんでもなく阿呆な質問をしてしまったような気がしてしまって、以蔵は思わずふかりと首元の襟巻きへと口元を埋めるようにして視線を伏せた。
坂本龍馬は、岡田以蔵に甘い。
それはカルデアに来てから周囲に何度となく指摘されたことだ。
最初のうち、以蔵はそれを当然だと思っていた。
龍馬を裏切り者と呼び、剥き出しの殺意をぶつけたこともあった以蔵だ。
龍馬自身、以蔵の怒りを否定することはなかった。
ある意味、龍馬は自分が以蔵に憎まれて当然だという自覚があったのだろう。
実際、幾度となく龍馬は「ごめんね」と謝罪の言葉を口にした。
自己弁護に走ることも、それは八つ当たりだ、などとの主張は一切することなく、坂本龍馬という男はただただ以蔵の怒りを言われるがままに受け入れた。
だから、以蔵は最初のうちは、龍馬が自分に甘いのはその罪悪感故、もしくは以蔵を懐柔する為なのだろうと思っていたのだ。
いわば、ご機嫌取りの類いだ。
だが諸々を経て、和解、といっても良いところまで関係を修復した今となっても、龍馬は依然として以蔵に貢ぎたがる。
美味い酒を貰ったといっては以蔵の部屋に持ち込み、面白いものや美しいものを見つけたと言っては以蔵へと贈ろうとする。
少し前に嬉しそうに以蔵の部屋に、マスターから貰ったのだという伝承結晶を持ち込まれた時には流石に卒倒するかと思った。
あれは間違いなく、マスターが龍馬に使おうと思って用立てたものに違いないのだ。
本人が使うだろうと思って渡したものを、まさか龍馬が以蔵のもとに持ち込むなど、あの人の良いマスターだって想像もしていなかったに違いない。
「……罪滅ぼしのつもりなら、もうえい。気にしなや」
ぽしょぽしょと、小声で言う。
もう、怒ってはいないのだ。
否、怒りはある。
怒りは消えはしない。
それは、以蔵の霊基に刻まれたものだ。
だから、それが完全に消え失せるということはこれから先もないだろう。
だが、それでも。
今ここにいる、カルデアに召喚された岡田以蔵は、坂本龍馬と古くからの馴染みであることを受け入れ、友、と呼べる関係を良しとしている。
良しと、したのだ。
カルデアに召喚されてからあった諸々の出来事を乗り越えていく中で、まあ今回の召喚に限っては同じ陣営に召喚されたこともあるし、少しは仲良くしてやっても良いか、ぐらいには思うことが出来るようになったのだ。
「……………………」
ふ、と小さく、男が柔い笑みを口元に浮かべた。
手にしていた一升瓶をごとりと床において、以蔵のもとへとやってくる。
そして、きしりと小さく寝台を軋ませて以蔵の隣へと腰掛けた。
「わしもな」
「おう」
「罪滅ぼしなんて思うちょらんよ」
「それは少しは思えや」
思わずつっこめば、へへへ、とはにかむような笑い声が零れた。
友人同士の他愛のない掛け合いのような言葉に、男は本当に嬉しそうに笑う。
幸福でたまらないといったような声だ。
「……ぼくと、以蔵さんは、お互いに英霊だ。座に固定された英霊である以上、ぼくたちはきっと、今回の人理修復が終わっても、またどこかで召喚されて、顔をつきあわせることがあるかもしれない」
「……おん」
「けどね、こんな風に同じ陣営で、友人として過ごせる機会はきっとまたとない。ぼくは、夢見がちで楽観的な人間だから、もう二度とないとは言わないし、思いたくもないけれど……、今回のこれが、得難い幸いだということは、重々自覚しているんだ」
「……やき、わしに貢ぐんか?」
次がないかもしれないから。
次会う時には、互いに殺し合うことになるかもしれないから。
だから、今のうちに以蔵に優しくしたい、ということなのだろうか。
「それも、あるけどね」
男は、柔く双眸を伏せる。
物憂げな黒が陰りを帯びて、より色味を濃くしたように見えた。
「僕はほら、抑止、なんてお役目もあるからね。以蔵さんよりもずっとずっとこき使われてきたし、これからもこき使われると思うんだ。いやまあ、望んでなったわけではあるんだけど」
「阿呆め」
「いやあ面目ない」
小さな笑いを呼気に溶かして、男は視線を緩く持ち上げた。
夢見がちに、いつか夜明けを望んだように、こどもの頃より遠くを見ようと背伸びばかりしていた頃のように、以蔵には見えぬ先を見るように男の視線が上を向く。
「僕たちの記憶は基本的には座に持ち帰られて、記録になる。そういったことを、何度も、何度も、何度も、繰り返す。酷いものをたくさん見た。厭なものを、無残なものを、もう何も見たくないと思うようなものを、たくさん、たくさん見た」
掠れた低い声音は、まるで懺悔のようにも響いた。
手遅れとなった惨劇の結末を見ることしかできなかったことを嘆くように。
起こるとわかっていた惨劇を見過ごすことしかできなかったことを悔いるように。
「けれど、そんなのも記録になる。記録になってしまうから、僕はどうにかやっていけている。苦しみや悲しみを投げ出してしまうようで少しばかり申し訳なくもあるけれど、記録になるからこそ、僕はこうして座に刻まれた英霊のままでいられるんだと思う」
見たものを忘れるわけではない。
そのときの苦しみや悲しみをなかったことにしてしまうわけではない。
けれど、記録になってしまえばそれは実感ではなく、紙に書かれた古い物語を読むような遠さで、『坂本龍馬』という男の座に残される。
「だからね、以蔵さん。僕は、この夢のような一時を、以蔵さんと過ごした時を、いつか未来で倦み疲れた僕への贈り物にしたい」
「……………」
「どれだけ辛いことがあって、どれだけ消えたいと願ったとしても。その先のいつか、どこかで、今回のようにまた以蔵さんと共に笑い合える一時が巡るのかもしれないと思えば、現金な僕のことだから、目の前に人参をぶら下げられた馬のように働くことも出来るかもしれないだろう?」
「……わしは人参か」
「人参だよ」
だから喜ぶ顔をたくさん見たいのだという。
だから、共に笑いあう一時をたくさん覚えていたいのだという。
これから先も、前に向かって進んでいけるように。
前に進んだ先で、また笑い合える時が来ると信じていられるように。
「…………ほうか。まあ、おまんがそう言うなら、えいけんど」
そう言うと、以蔵はぴしゃりと自分の膝を叩いて立ち上がった。
もしかすると龍馬が価値のあるものを自分に貢ぎたがるのは罪悪感故なのかもしれないと、これまでに殺意とも見紛う怒りを散々にぶつけてきた自覚もあるからこそ、ずっと気にかけていたのだろう。
いかに偽悪的に振る舞っても、岡田以蔵にはそうした真面目で優しい気質があることを龍馬は誰よりもよく知っている。
「そいたら呑むぞ! わしゃあ遠慮はせんきな!」
「その意気ちや!」
そんな風に明るい以蔵の声に応えて龍馬も、立ち上がって床に敷いた座布団へと向かう。
どっかりと座布団へと座りこんで、互いの杯に注ぎながら、ふと口元を笑ませる。
どうして、そんな以蔵との思い出こそが坂本龍馬という男の人参になり得るのか。
その根本的な問いへの答えは胸に秘めたまま。
