ええ、嘘でしょ……。
本日発売の雑誌を開いて、私は思わず小声で呟いてしまった。
見開きにでかでかと映し出されるのは、私が最近おいかけている俳優、坂本龍馬の横顔だ。すっと整った面長の顔立ちに、切れ長の双眸は格好良いことこの上ないのだが、眉尻を下げて、少し困ったように笑うのがどこか母性本能をくすぐって仕方がない。
可愛いオブ可愛い。
だが、そんな可愛い顔の横に踊るセンセーショナルな文言は全く可愛くなかった。
――坂本龍馬、共演者と不仲説浮上か!?
この共演者、というのは来期から始まる時代劇の共演者のことだろう。
これまで優しく格好良い恋愛ドラマのヒーロー役ばかり務めていた坂本龍馬が、今度の時代劇では血に飢えた人斬りを演じると話題になっていたのだ。
あんな優しげで可愛げに満ちた人に、果たしてそんな恐ろしい役がやれるのだろうか、とどこ目線なのかわからない心配を抱いていたのだが……まさかこんなスキャンダルまで出てくるとは思わなかった。
なんでも記事によると、坂本龍馬は主演を務める岡田以蔵なる役者と上手くいっていないらしい。
現場で怒鳴り合いの言い争いをしたことは数知れず。
岡田以蔵に至っては何度か手すらあげているのだという。
「えええええ……大丈夫なの、サカリョ……」
心配になる。
岡田以蔵という役者は、これまでは主に舞台で活躍してきた俳優なのだという。
証拠だとして拡大して乗せられた隠し撮りだと思われる写真では、あまり人相のよろしくない猫背気味の男が坂本龍馬に蹴りを入れているところが激写されていた。
パーカーのポケットに手を突っ込み、軸足に重心をかけたいわゆるヤクザキックだ。
二人の共演作が時代劇であることを考えれば、これが作中のシーンであるという可能性は限りなく薄い。
つまり、本当に坂本龍馬は、岡田以蔵なる役者に暴力を振るわれているのだ。
「ひええ……」
思わずか細い声が漏れる。
岡田以蔵という男はどこか野趣味の強い、ワイルド空気を漂わせる男だ。
顔は悪くない。
二重のくっきりとした大きな双眸。
写真ではへの字に歪んだ唇も、それなりの表情を浮かべればさぞ画面映えすることだろう。だが、私の推しである坂本龍馬に暴力を振るっているというだけでその顔の良さも意味をなさないほどにアウトだ。駄目だ。それは駄目だ。
スマホを取り出し、気ごころの知れた友人へとメッセージを飛ばす。
『ねえ、例の雑誌見た?』
『見た見た。やばくない? 岡田以蔵とかいうやつめっちゃ怖くない???』
『マジ怖いわ。大丈夫なの、サカリョ……あんなのにいじめられたらひとたまりもなくない??? 泣いちゃわない???』
『泣いちゃうってサカリョ泣いちゃうわ……泣いてるサカリョも絶対可愛いけど』
『それな』
途中で話が思いっきりズレた。
違う。そうじゃない。
推しの泣き顔が可愛いに違いないなんていう話をしている場合ではないのだ。
『そういえばさ』
『?』
『今日の夜、サカリョ生放送に出るよ。その岡田以蔵と一緒に』
『ま?』
『ま。なんかほら、番宣で』
『あーね』
来シーズンからのドラマともなれば、そろそろ様々なバラエティに顔を出して番組宣伝をして練り歩く時期だ。
渦中の岡田以蔵と、坂本龍馬が二人して生放送に出るのだという。
推しのテレビ露出が増えるのは大変に嬉しい話だが、暴力男らしい岡田以蔵と一緒だというのは非常に心配になってしまう。
『サカリョ、生放送でもいじめられたらどうしよう……』
『そりゃもうあんな奴と二度と共演させんなって鬼電するしかないのでは?』
『修羅になるしか???』
不穏なやり取りがメッセージ爛で飛び交う。
一度そんなやり取りを切り上げ、SNSアプリを起動する。
そちらでも、坂本龍馬のファンたちは大体似たようなことを言っていた。
中には舞台役者岡田以蔵のファンらしき人物が、「岡田はそんなやつじゃない」なんてフォローを入れていたりもしたのだが、何分証拠写真が雑誌に載せられてしまっている。
可哀想な坂本龍馬が蹴りとばされている決定的瞬間が映されてしまっている。
その言葉をすぐに信じるのは、今の私にはどうにも難しかった。
ちらりと時計を見る。
生放送まで、あと少し。
それまでに風呂に入って夕食を食べ終えていたい。
一人で見るのは心臓に悪いので、先ほどの友人と互いに実況しあいながら見る約束をするなどして、私はひとまず風呂に向かうことにした。
■ ■
風呂に入り、夕飯を食べ終えた私はテレビの前に正座して番組が始まるのを待つ。
手元に広げたパソコンの画面には友人とのチャット欄がすでに開かれている。
準備はばっちりだ。
ぱっとCMを映していたテレビ画面が明るくなり、賑やかなオープニングミュージックが流れて司会者たちがにこやかにスタジオに入ってくる。
『はじまた!』
『サカリョは? サカリョはまだ???』
『落ち着け』
ゲストである坂本龍馬と岡田以蔵の姿はまだ画面にはない。
司会がちょっとした小話をした後、本日のゲスト紹介に入る。
わああああとスタジオ内でもどよめきが広がり、きゃあきゃあと黄色い声があがる。
そしてカメラがばっと舞台袖へと向けられる。
そこから現れたのは、私の推してやまない坂本龍馬その人だ。
ふにゃ、と目元を優しく和らげ、少しばかり照れたような笑みを浮かべながらスタジオの中へと入ってくる。
観客席に向かって、はにかんだ様子でそれでも手をちょろりと振ってくれたりするのが最高に可愛い。天使か。
真っ青なシャツに白スーツを合わせている。
これだけ顔の良い男がそんな格好をしたならば嫌味なほど気障に仕上がってしまいそうなものなのだけれども、坂本龍馬の愛嬌がそれを緩和してなんともよく似あっている。
『あおしゃつかわいい』
『てんし』
『かわわ』
早速順調に語彙が死につつある。
そしてカメラが少しずれて、坂本龍馬の一歩斜め後ろをついてくる男へと移る。
それが岡田以蔵だった。
どこか不機嫌そうに眉根を寄せている。
雑誌では結われていた黒髪が今日は無造作なハーフアップにまとめられている。
ダークカラーのグレーのシャツに、黒の三つ揃いのスーツだが、ジャケットは脱いでしまっている。きっちりと着こんでいる三つ揃いのベストで強調される胸板から腰の括れのスタイルの良さには目が惹かれるものの、いけない。
この男は、私の推しを虐める悪いやつなのだ。
見惚れている場合ではない。
二人はゲスト席へと落ち着く。
坂本龍馬が隣の岡田以蔵へと何事か囁いたようだったものの、岡田以蔵はまるでそれを無視するようにツンとそっぽを向いた。
『万死』
『サカリョに話しかけられてるのに無視とか』
『なんなの』
『サカリョ可哀想;;;』
見るがいい。
岡田以蔵に無視された坂本龍馬は、しょんもりと眉尻を下げている。
へにゃりと、それでも笑って見せるのが健気でたまらない。
『鬼電の用意はもうできている』
『じゃあ私事務所にかけるね』
半分冗談で半分本気だ。
そうこうしている間に番組が始まった。
まず流されるのは、来シーズンから始まる番組の宣伝だ。
主演は岡田以蔵ということもあって、岡田以蔵演じる『坂本龍馬』のシーンがほとんどをしめている。
『サカリョのシーンはないのかな』
『サカリョこい、サカリョこい……きた!!!!』
一度キーボードをたたく手を止めて、画面を凝視する。
それは京の街並みのようだった。
暗い街並みの物陰に破れ笠を被った男が立っている。
背後にはぎらりと輝く月がある。
少しずつ、カメラがその男へと近づいていく。
破れ笠の隙間から、男の双眸が覗く。
「ッ……」
思わず息を呑んだ。
それは、間違いなく私の推しのはずだった。
けれど、その双眸にその名残はなかった。
ふにゃりとした柔らかな、優男然とした笑みを湛えていた双眸に浮かぶのは鮮烈なまでの殺意だ。にぃ、と口角がつりあがる。
「おまんに恨みはないが―――これも天誅じゃ」
低く掠れた声音も、まるで別人の声のように響いた。
そこで、PVの映像がぶつりと止まる。
与えられた情報を脳みそがうまく理解できないでいる。
え、え、え。
今のは本当にあの天使なのか。
もしや自分は何か幻覚を見たのだろうか。
視線をPC画面に落とす。
メッセージ爛は更新されていない。
沈黙を保っている。
『……………………みた?』
『みた』
即答で返事が返ってきた。
『あれマジでサカリョ????』
『顔はサカリョだった』
『顔はな!?』
そう。
顔の造作は確かに私の推しだった。
でも、あんな顔ができるなんて知らなかった。
血に飢えた狂犬のような、端的に言って酷く悪い顔をしていた。
あんな格好の良い顔もできた、なんて。
いや、もともと坂本龍馬は顔が良いのだが。
格好良いのは最初からちゃんと知っていたのだけども!
『ええええええちょっとサカリョ格好よすぎない???』
『やばい』
『やばい』
『やばみがすぎる』
『それ』
早く、もっと今までみたことのない推しの一面を味わいたい。
浴びるように人斬り坂本龍馬を摂取したい。
来期スタートのドラマについての期待があの短いPVだけで最高潮に高まる。
スタジオでも、やいのやいのとPV動画の感想で盛り上がっているようだった。
ふにゃりと照れた笑みを浮かべて司会と受け答えしている坂本龍馬と、先ほどの不穏の化身めいた人斬りが同一人物だとはなかなか信じらない。
役者って、すごい。
と、そんな感慨に私が浸っている間にふと司会が爆弾発言を投下した。
「そういえば、今日発売の雑誌でお二人は不仲説が出てましたけど実際はどうなんですか?」
がたり。
思わずテーブルを動かしてしまう勢いで前のめりになる。
そんな直球で聞くことある???
なんて思ってしまうが、確かに今この瞬間、その答えが知りたい一心でこの番組を視聴しているところはある。
坂本龍馬が少し困ったように眉尻を下げて、それから口を開きかけたところで。
これまで黙っていた岡田以蔵が、きぱりと即答した。
「不仲です」
まじか。
まじか。
しかもそれを生放送で認めるのか。
「ちょっ、やめてよそんなこと言うの! みなさんが信じちゃうでしょ!」
「別に本当のことやき」
あわあわと坂本龍馬がフォローをいれるものの、そんなフォローすらぶった切る勢いで岡田以蔵はそっけなく言う。
どこの訛りだろうか。
低い声音のイントネーションの上下は耳に心地良いが、雑誌ですっぱぬかれたスキャンダルが事実なのだと認めてしまうその芸能人にあるまじきメンタルはどうなのか。
もっと夢を見せてほしい。
例え現実では本当に仲が悪かったとしても、カメラの前ではにこやかに笑って肩を組んで見せるぐらいの役者魂は見せてほしかった。
そう思ってしまうのは私の贅沢なのだろうか。
「でも」
司会の声がふと耳を打って顔を上げる。
岡田以蔵の爆弾発言のわりに、ベテラン司会者の顔に焦りの色はない。
下手したら放送事故ものの発言だったはずなのに、なんだかにこにことして楽しそうにすら見える。
「さっきスタジオ入ってくるとき、お二人手をつないでましたよね」
「は?」
思わず声が出た。
メッセージ欄に打ち込むのでなく、テレビの画面に向かって生で声が出た。
いやいやこれは出ても仕方ないと思う。
出る。
「ここに映像があるんですけど。VTR出せますかー?」
ざ、とスタジオの大画面に何か映像が映り始めて。
やめええええええと岡田以蔵の断末魔めいた声と同時に映像がアップになって流れ始める。
どうやらそれは控室らしかった。
坂本龍馬と岡田以蔵が二人で椅子に座って何か言葉を交わしている。
カメラは隠し撮りなのか、二人ともカメラに視線を向ける様子はない。
テロップにて場所の説明が入る。
いわく、岡田以蔵の控室。
『まって』
『まって』
『なんで岡田以蔵の控室にサカリョがいるん』
『なんで』
呆然としている間にも、二人のやりとりが聞こえ始める。
「わしはやっぱり出んぞ、ようしゃべられんし、おまんが一人で行け。どう考えてもこがな番組、わしには向いちょらんろう」
「何言ってるの、以蔵さんが主役なんだから、以蔵さんが出ないでどうするんだ。ほら、行くよ」
「いやじゃ! おまん一人でえいろう!」
「以蔵さんがいなくちゃ駄目なんだって!」
それは、予想外のやり取りだった。
子どものように駄々をこねる岡田以蔵に対して、なんとか宥めようとしている坂本龍馬の声音は酷く優しい。
それでいて、テレビで見せるほどの隙のなさが薄れて、同性の気ごころのしれた相手に対する気安さが滲むざっくばらんな響きがその声には宿っている。
あまり聞いたことのない声だった。
「わしは訛りもきついき、うまいことものも言えん!」
「そいたらわしがフォローしちゃるき」
ひ、と思わず息を呑んだ。
今、坂本龍馬。
訛っていなかったか。
岡田以蔵と同じイントネーションで。
普段テレビの前では綺麗な標準語を口にする男が、するりと当たり前のように訛った。柔い声音ではあるものの、そのイントネーションが少し変わっただけで急に男臭く響くのがずるい。心臓が痛い。
「にゃあ、以蔵さんえいろう、わしと一緒に出とおせ」
「いやじゃ、わしがなんぞ失敗でもしたら皆に迷惑をかける!」
「やき、わしがついちょるき心配しな!」
やだやだ、と駄々をこねる岡田以蔵だが。
それは決して番組に対してネガティブな理由でもってなされる我儘ではなく、純粋に慣れぬバラエティ番組で失敗でもしたら苦楽を共にした仲間たちに顔向けができない、という理由であるらしかった。
健気か。
ワイルドな見た目からはとても想像できないほど可愛らしい理由だった。
やがて坂本龍馬が焦れたようにがしりと岡田以蔵の手を取る。
ぐいと手を引かれて腰の浮いた岡田以蔵が、離せ離さんかとげしげし坂本龍馬に蹴りをいれているものの、坂本龍馬は全く気にした様子はない。完全に慣れている。
間違いなくこれがあの雑誌に載っていた暴力の正体なのだということがわかってしまった。なんだこれ。可愛い。じゃれ合いじゃないか。
岡田以蔵の手をぎゅむりと握りしめて、坂本龍馬はずりずりと岡田以蔵を引きずるようにして歩き始める。
絶対に逃がさんぞとという強い意思を感じる恋人繋ぎだった。
がっちりと指まで組んでいる。
そんな坂本龍馬になおも岡田以蔵はいやじゃいやじゃと言い募りながらもずるずると引き摺られて連行されていく。
それはなんだか「マイペースな飼い主VS絶対散歩したくないポメラニアン」の戦いめいていた光景だった。推せる。
二人の姿が控室から出て行ったところで、映像が終わって、カメラがスタジオに戻る。
ゲスト席の坂本龍馬は、照れたようにほんにり目元を染めて「まいったなあ」なんてぼやいており、岡田以蔵はいつの間にかゲスト席から消えていた。
いや、違う。
カメラが寄ると、ゲスト席の影に隠れるようにしゃがみ込んだ岡田以蔵の姿がカメラに映る。
「かっわ」
思わずまた声が漏れた。
顔は映っていなくとも、ハーフアップの髪から覗く耳殻が真っ赤に染まっているのが画面を見ているだけの私にもよくわかった。
「ええと、その。以蔵さん、こういう番組慣れてなくって。失敗したらどうしようって怖くなっちゃったみたいで」
はは、と小さく笑いながら坂本龍馬が先ほどVTRで約束していたようにフォローを入れる。その間も岡田以蔵は小さく身体を丸めて動こうとはしない。
笑いを堪えつつ、司会が「岡田さん大丈夫ですかー?」なんて声をかけるものの、岡田以蔵はぴくりとも動かない。
そこでカメラににゅ、と割ってきたのは坂本龍馬の手だった。
男らしい節のある長い指が、もっさりと癖のある岡田以蔵の髪をわしゃわしゃと撫でる。それは子どもをあやすような、犬猫を撫でるような、遠慮のない仕草だった。
「こう見えて以蔵さんは繊細だからね、あんまりいじめないであげて」
「だぁれがいじめられちょるじゃと!? おまんは余計なこといいなや!」
「わあ復活した」
坂本龍馬に吠えつくようにして、すっくと岡田以蔵が立ち上がる。
まだ目元やら耳やらが赤いものの、一応の復活である。
「今ね」
「はい」
「以蔵さん、見えないところで僕の足めっちゃ踏んでるから」
坂本龍馬の言葉にどっとスタジオが笑いに包まれる。
先ほどまでしゃがみこんでしまっていた岡田以蔵を映していたカメラが再び二人の足元を覗けば、なるほど確かに岡田以蔵の革靴がぐりぐりと坂本龍馬の足を踏みにじっているところだった。
「かわいいかよ」
また声が漏れた。
なんだこの可愛いコンビ。
どういう関係なんだこの二人。
あの雑誌は確かに嘘はついていなかった。
岡田以蔵はよくよく坂本龍馬に対して怒鳴っているようだったし、なんなら手だって出ている。
だが、それはあんまりにも幸せな光景に過ぎた。
実際、岡田以蔵に怒鳴られても、蹴られても、坂本龍馬ときたらでれでれと口元を緩ませたままだ。岡田以蔵が可愛くて仕方ないのだという気持ちが、その良い顔が溢れまくってしまっている。
いや本当どういう関係だ。
つきあってんのか。
番組がCMに入る。
なんだかすっかり毒を抜かれた気持ちでPC画面に視線を落とす。
『うおえあああああ!?』
『サカリョ』
『方言』
『なんで』
『え かわ』
『推せる』
『かわわ』
『ぽめちゃんか』
『かわ』
『かわいい』
『かわわ』
『かわわわわわわ』
『ねえあの二人つきあってんの???』
友人の暴走の名残だけが残されていた。
口の端からふへへへ、と妙な笑いが漏れる。
本当それな、と声に出して言う。
『つきあってんの???』
私も書き込む。
それからSNSを覗く。
「あの二人つきあってるの?」
「カップルなの?」
「ラブラブなの?」
そんな疑問で埋まっていた。
本当それな。
