坂本龍馬と岡田以蔵の不仲説が雑誌にすっぱ抜かれたのは、二人する大河ドラマのクランクアップを迎えてから少ししてからのことだった。
番組の放映を控えて、少しずつ近辺が慌ただしくなってきたタイミングでのことだ。
その雑誌によると、なんでも岡田以蔵が坂本龍馬を虐げている、とのことらしい。
現場では二人が大声で怒鳴り合う姿が幾度となく目撃され、岡田以蔵に至っては坂本龍馬に対して手をあげる姿まで目撃されているとのことだ。
「…………うわあ」
事務所の社長より、こんなネタが載っているようだよ、と何気なく仕事帰りに渡された発売前の雑誌を家でぱらぱらとめくってみていた龍馬は、笑っていいんだか怒っていいんだかといったような微妙極まりない表情で間の抜けた声をあげた。
若干口元が引き攣っている。
「ねえ、これ見た?」
「見た」
「ええー……」
あっさりと認める渦中の片割れに、龍馬は眉尻をへにゃりと下げる。
見たなら見たでもう少しリアクションが欲しかった。
雑誌の発売は明日だが、関係者ということで一応事前にあちらの事務所にも献本という形で送られてきたのだろう。最低限の義理は果たした、ということだろうか。
うーんと唸りつつ、龍馬はこちらに興味なさげに冷蔵庫をがさごそと漁り続ける男の後ろ姿へと視線を流す。
そう。
この一心不乱に冷蔵庫探索を続行している男こそが、岡田以蔵その人である。
現在は舞台や時代劇を中心に活躍する役者の一人であり、大勢の参加したオーディションの中から抜擢され、今回何かと世間の注目を集めやすい大河ドラマの主役、『坂本龍馬』役を勝ち取った若手俳優だ。
その以蔵はといえば、風呂上がりなのかほこほこと石鹸の香のする湯けむりをほのかに漂わせながら、Tシャツにジャージを合わせた完全に油断しきった部屋着スタイルで冷蔵庫の中をごそごそと漁っている。
おそらくはビールを探しているのだろう。
「あ」
しまった。
「ごめん、以蔵さん、ビールきらしてたんだった」
確か、昨日龍馬が飲んだのが最後の一缶だった。
補充しなければ、と思っていたはずなのに、帰り間際に社長に渡された雑誌の内容が衝撃的でスーパーに立ち寄るのをすっかり忘れていた。
普段食料品は、料理を担当する以蔵が買い出しに出るのが常だが、ビールや酒類といったものは龍馬の担当だ。
失敗したな、と眉尻を下げる龍馬をよそに、以蔵は冷蔵庫を漁るのをやめない。
そして、やがて「ひひ」と嬉しそうに笑いながらきんきんに冷えた缶ビールを冷蔵庫の中から取り出した。
「あれ? まだ残ってた?」
いつもの定位置は空っぽだったはずだ。
「残り少なくなっちょったきにな、一缶隠しといたんじゃ」
「うわ、ずるい」
「買い忘れたおまんが悪い」
「そりゃあそうですけども」
ドヤドヤと自慢そうな顔をしながら、以蔵は龍馬に見せつけるようにしてぷしりとビールのプルタブを押し上げる。
早速缶に唇を寄せて、ごっごっご、と喉を鳴らす音が耳に毒だ。
風呂上がりに冷えたビールなんて、絶対美味しいに決まっている。
「僕にもひとくち」
「いやじゃ」
「けち」
「わしは坂本サンを虐げる悪もんやき?」
「あ、意外と根に持ってる」
ふひひと楽しそうに笑う以蔵の唇の上には美味しそうなビールの泡が乗っている。
それを舌で舐め拭いながらキッチンから出てきた以蔵は、どっかりとソファへと腰を下ろすとだいぶ軽くなったビールの缶をほれ、と龍馬へと突きだした。
思わず、龍馬の口元が緩む。
以蔵とはこういう人だ。
美味しいものや、嬉しいものを独り占めにしようとはしない。
上機嫌にさあ褒めろといわんばかりにわかちあおうとしてくれるのだ。
いかにも長男らしい性分だ。
実際には龍馬の方が二つほど年上ではあるのだが、昔から以蔵には弟分のように世話になっている。
ありがとう、とお礼を言えば、ふふんと以蔵の口元が得意げに緩んだ。
そのままさっそくおすそ分けに預かったビールを味わおうとしたところで、役割を終えたとばかりに思っていた以蔵の手がまだ用は済んでいないと主張するように上下に揺れた。なんだなんだ、と首を傾げていれば、察しが悪いのおと呆れたようにぼやかれて、その雑誌じゃ、とまだ手にしたままだった雑誌を視線と言葉で示される。
ビールのお礼に差し上げます、とばかりに恭しく献上すれば、くっくっくと上機嫌に笑いながら以蔵がその雑誌を組んだ脚の上で広げた。
隣に座って、覗きこむ。
「坂本龍馬、共演者と不仲説浮上か!? だって」
「まあ、何度かおまんのこと殺そうとしちょるきに、間違っちょらんのでは?」
「ぶっ」
以蔵の発言に、龍馬はぶふりと派手に咽そうになった。
慌てて口元を手で覆い、妙な気管に入った炭酸に苦しみながら隣を睨む。
龍馬が咽る原因となった問題発言をしれっとして見せた男はと言えば、ニヤニヤと面白がるように笑っているばかりだ。
―――俳優坂本龍馬と岡田以蔵には、秘密がある。
それは、ただ歴史上の偉人と同姓同名であるということだけでなく。
実はその歴史上の偉人たち自身の記憶を持っている、ということだ。
龍馬には、かつて『坂本龍馬』として幕末の荒波を駆け抜けた記憶があるし。
以蔵には、かつて江戸を騒がせた天誅の名人『岡田以蔵』としての記憶がある。
それだけではない。
二人には人類史に焼き付いた影法師の一つとして、人理保障機関フィニス・カルデアに力を貸していた記憶すら残っている。
そんな二人が今、何をどうしたのかのはわからないもののこうしてただびととしての人生を再び歩いているのだ。
腐れ縁もここまで来れば立派なものだろう。
一度目の人生、土佐に生まれ落ちた二人は親友と呼んでも過言ではない絆を結びながらも、歴史の荒波に引き裂かれ不本意な別れを呑まざるをえなかった。
龍馬は自らの理想のために以蔵を置き去りに駆け抜け、以蔵は一人無宿人として河原で首を落とされた。
二度目の出会いは英霊としてカルデアに召喚されてからのことだ。
以蔵は龍馬のことを裏切りものと呼び、一度目の生における恨みつらみをぶつけた。
龍馬を殺してやると怒鳴り、実際に刀を抜いた数も一度や二度ではない。
それでも、人理をたどる長い道行の中で、龍馬は以蔵と再び手を取り合うことができたのだ。
同じマスターをいただき、ともに暮らし、ともに戦い、ともに笑い合った。
一度目の生ではなしえなかったことを二人でやり遂げた。
そして、今だ。
三度目だ。
かつての土佐、高知に生まれ落ちた坂本龍馬に、前世およびカルデアの記憶が戻ったのはまだ小学校一年生の頃だった。
多少の混乱はあったものの、そういうものだと受け入れるのは早かった。
そして、龍馬が小学三年生になった年の春、新入学生の中に以蔵はいた。
今生における龍馬と以蔵の腐れ縁はそこから始まったのだ。
その後紆余曲折あってお互いに俳優業に足を突っ込み、大学を卒業した以蔵が上京したところで二人はともに暮らし始めた。
「……確かに斬られたりもしたけどさ」
あれを不仲なんて言葉で終わらされたりはしたくないなあ、と龍馬は思うのだ。
第一、以蔵さんあの時だって僕に怒ってはいたけど嫌いじゃあなかったでしょ、とはさすがに口には出しては言わないだけの自制心はある。
そんなことを口にしては、間違いなく天誅沙汰だ。
以蔵は基本的には素直ではないし、その照れ隠しはどこまでも過激だ。
もにょもにょと言葉を濁した龍馬を特に気にした様子もなく、以蔵はちょろりと視線を持ち上げて問いを口にした。
「おまんとこの社長はどう言っちょった」
「別に気にしてないみたいだったよ。以蔵さんとこは?」
「名前が売れてえいち言うちょった」
「うわたくましい」
そんな率直な感想を漏らしつつも、龍馬は内心ほっと胸を撫でおろす。
正直、以蔵は龍馬の巻き添えだ。
ありがたいことに龍馬は俳優業でもなんとか成功を収めており、テレビに映画、CMなどあちこちから引っ張りだこだ。
こんな些細な不仲説ですら面白可笑しく雑誌で取り上げられるのは、龍馬のネームバリュー故のものだろう。
どちらかというと以蔵が加害者であるかのように書きたてられてしまっているもので、以蔵の事務所にまで迷惑をかけてしまっていたら申訳ないと思っていたのだが、今のところはどちらの事務所もそれほどは問題視していないらしい。
むしろそれを名前を売るチャンスだとポジティヴに見てくれているというのならばありがたい限りだ。
ひょいと立ち上がった以蔵が、すたすたと寝室に向かって歩き出す。
寝るのかと見送りかけたところで、以蔵は部屋に入る寸前、ちらりと振り返った。
「ちゅうわけやき、おまんも気にしなや」
「……うん」
そいじゃあおやすみ、と言って部屋に消えていく背中を見送って、龍馬はふふりと呼気だけで穏やかな笑みを浮かべた。
この雑誌が実際に発売されれば、なんだかんだと周囲は騒がしくなるだろう。
ドラマの宣伝もあり、以蔵と共演する機会もますます増えていくはずだ。
オンオフ関係なく一挙手一投足に視線が集中するのは多少煩わしいものがあるが、それでも以蔵との不仲説は事実無根のデマの類だ。
そのうちきっと、下火になって忘れられていくはずだ。
「それまでの辛抱かなあ」
なんて小さく呟いて、龍馬は以蔵の残していった缶ビールの中身をぐびりと飲み干した。
■□■
そのうち下火になって忘れられていく。
そんな龍馬の予想は、思わぬ形で裏切られた。
否、不仲説自体はあっさりと消えたのだ。
問題はその逆だ。
龍馬と以蔵の幼馴染かつ三生にわたる腐れ縁故に仲睦まじさが、思った以上に世間に好意的に受け止められてしまったのだ。
あの雑誌が発売された直後に出たバラエティ番組での二人の様子が評判になり、アッというまに二人そろっての出演依頼が殺到した。
もともと番組宣伝もかねてあちこちに出演するつもりではあったもので渡りに船ということもあり、最近は家でも仕事でも顔を突き合わせてばかりいる。
この日も二人そろって呼ばれたのは、賑やかなトーク番組だった。
閲覧席の観客のきゃあきゃあと華やかな黄色い悲鳴と拍手に出迎えられる形で、龍馬と以蔵は二人そろってセットの中へと足を踏み入れる。
「今日のゲストは今季の目玉番組で共演を果たしたこの二人、岡田以蔵さんと坂本龍馬さんです!」
一際大きくなる歓声に向かって、龍馬は目を細めて手を振り返したりなどする。
「岡田以蔵さんは『坂本龍馬』役で主役を、坂本龍馬さんは『岡田以蔵』役で見事に物語を彩った……ってこれ随分とややこしいですね!?」
「そうなんですよねえ、お互い名前と演じた役が逆だから」
「えろうすいません」
「いやいや岡田さんが謝ることじゃないですから! でもこれ、撮影中も混乱しませんでしたか?」
「そうですねえ……僕と以蔵さんはそうでもなかったんですけど、スタッフや共演者の皆さんは結構困らせちゃったんじゃないかな、って思います。一応大まかな呼び分けはあって」
「へえ、どんな感じだったんですか?」
「岡田さん、て呼ばれたらそれは以蔵さんのことで、以蔵さんって呼ばれたら僕でした。坂本さん、なら僕で、龍馬さん、だったら以蔵さん」
「あー……あ?」
納得したようにうなずきながらも、やっぱりうまく頭が整理できていないのか司会は首を捻っている。
「それじゃあ試してみましょうか。はい、呼んでみてください」
「さ、坂本さん」
「はい」
にこ、と笑いながら龍馬は司会の声に応じる。
「岡田さん」
「はい」
今度は以蔵が控えめに胸のあたりで挙手をする。
「龍馬さん」
再び以蔵が挙手。
「以蔵さん」
「はい」
龍馬が返事をする。
ああなるほど、そういう呼び分けがあるわけかと観客含めて司会もようやく呑みこめたように頷きかけるわけだが……
「でも最後らへんはもうどっちで呼ばれても二人とも返事してたよねえ、以蔵さん」
「ほうじゃなあ」
「えっ、え、え?」
なんて二人のやり取りに言葉に再び皆の頭上に「?」が飛んだ。
「岡田さん」が俳優岡田以蔵で、「以蔵さん」なら『岡田以蔵役の坂本龍馬』であるという呼び分けを説明した本人が俳優岡田以蔵を捕まえて「以蔵さん」と呼んでいるのだ。
結局どっちがどっちだ、とわからなくなってしまうのも仕方がない。
「すっかりわけがわからなくなりましたが、当番組では岡田以蔵さんを岡田さん、坂本龍馬さんを坂本さんと呼んでいこうと思います!!」
強引に話をまとめる司会である。
多少の強引さは番組の進行を滞りなく進める上で大事なことだ。
こほんと一度咳払いをして、司会は改めて二人へと視線を流した。
「ところで、そんなお二人は最近根も葉もない不仲説を雑誌に取り上げられて大変困っているとか?」
さくっと本題に切り込んだ司会に、観客席がざわりと息を呑む。
テレビでの仲睦まじい様子を見て、不仲説はデマであると理解してはいてもやはりもしかするとテレビで見た方が嘘なのかもしれない、というような疑念は消せないものらしい。まあ、龍馬も以蔵も役者だ。二人して仲が良いふりをしているのでは、と思われてしまうのは仕方のない話だし、むしろそれだけ二人の演技の評価が高いという風にも考えられる。
さてどうですか、とコメントを求められて、龍馬はやんわりと苦笑を浮かべた。
へにゃりと眉尻の下がった、いかにも人の良さそうな笑みだ。
「実は、僕たちはそんなに困ってないんですよね」
「そうなんですか?」
「うーん……うまく説明できるかどういかわからないし、ちょっと身勝手なようにも聞こえてしまうかもしれないんですけど。僕と以蔵さんは、実際のところはうまくやってるんです。で、そのことは別に皆に知っていてもらわなくてもいいかな、っていう気持ちもあって」
誰に認められていなくとも良いのだ。
龍馬は誰かに認められたくて以蔵と仲良くしているわけではない。
坂本龍馬という男が、岡田以蔵という男の人となりを好んでいるからこそ、三生にわたって共にいることを選んできているのだ。
だがそれは正直以蔵だけわかっていてくれれば良いことだ。
何せ坂本龍馬が生涯を通して胸に掲げてのきたのは「我成すことは我のみぞ知る」の精神である。
「僕と以蔵さんが仲良くしていて、二人で良い仕事が出来たのならそれだけでも十分だなあって」
「別に世間から不仲だと思われていても特に困ってはいない?」
「ええ、まあ。本当のことは僕と以蔵さんだけがわかっていれば良いと思うし。ねえ、以蔵さん」
「まあ、にゃあ。けんど、ファンの方や周囲に心配や迷惑をかけるつもりもないですき」
「そうだねえ、皆に心配をかけたくはないし――…そういう根も葉もない噂を面白おかしく書きたててそれを飯の種にされてると思うとちょっと腹も立つんですけどね」
ふふ、と穏やかに笑いつつ龍馬は肩を竦めて見せる。
不仲説自体には困っていない。
不仲だと思われたとしても、別に気にはしない。
ただそれで周囲に心配や迷惑をかけるのは本意ではないし、そんなデマで勝手に自分たちの名前を使って商売にしている連中がいるというのはなかなかに面白くない。
噂自体には無頓着そうな二人の様子に、司会が首を傾げる。
「それじゃあどうして今回この番組にお二人揃って遊びにきてくれたんですか?」
それもそうだ。
この番組の予告では「岡田以蔵と坂本龍馬が噂の不仲説を徹底否定!?」というような煽り文句が使われている。
噂を否定するためにやってきた、という態なのだ。
それなのに当人たちのコメントがこうなのだから、司会でなくとも首を傾げたくなる。
そんな司会に向かって、龍馬と以蔵はちらりと視線を交わし合った。
悪戯を目論む悪ガキのような、少しばかり挑発するような笑みが二人の口角に乗る。
普段はどちらかというとただただ人の良い物腰の柔らかな好青年といった龍馬と、口数は少ないものの真面目な職人気質であるように見受けられる以蔵のそんな表情が珍しかったのか目を奪われたかのような間が落ちた。
「今回のね、噂の出どころ。ドラマのスタッフの一人が雑誌に告白したって形だったじゃないですか」
「そう、ですね」
「だからね、僕たち以上に怒ったひとたちがいたんです」
「濡れ衣をきせられて?」
「ええ、濡れ衣を着せられて」
司会の言葉を、龍馬は悪戯っぽく復唱する。
雑誌で取り上げられた不仲説。
その大まかな内容はこうだ。
坂本龍馬と岡田以蔵がスタジオで怒鳴り合いを繰り広げているせいで空気は最悪、二人に気を使ってスタッフは生きた心地がしない。
岡田以蔵が坂本龍馬に暴力を振るうことも珍しくもない。
あんな恐ろしい場所に居合わせたくない、などなど。
それはすべて、ドラマの撮影に関わったスタッフがひそやかに雑誌の記者に対して告白したというインタビュー形式で纏められていた。
「僕も以蔵さんも、その点はちょっと気に入らないなって思っていて」
「わしやこいたあについてなんやかんや言うのはかまん。有名税みたいなもんやき。けんど、一生懸命真面目に仕事しちょっただけのスタッフまで巻き込むんは筋違いちや」
「なるほど、それで出演してくれることにしたわけなんですね」
「ええ、まあ」
「あと、監督が力作のVTRもってけってうるさかったき……」
「うるさかった」
ぼそりと以蔵の口から零れた限りなく本音であるらしき言葉に、観客席が笑いに包まれる。
「そう! そうなんですよ、なんとあの噂に怒ったスタッフたちが監督指揮のもと渾身の仲良し動画を編集してくれたそうで!」
渾身の仲良し動画、なるパワーワードにも観客席はきゃあきゃあわあわあと盛り上がるばっかりだ。
その盛り上がりについていけないとばかりに渋面の以蔵を、隣の龍馬がまあまあ、なんて宥めたりもする。
「まさか撮影の合間にあんないろいろ撮られているとは思わなかったよねえ」
「おん……」
ふッと思わず視線を遠のかせる二人をさあさあこちらへ、とゲスト席に案内したならば上映会の準備はばっちりだ。
スタジオの真ん中に設置された巨大な画面に、「監督渾身の仲良し動画」などという怪文章がポップな字体で浮かび上がる。
アニメチックなハートまでが飛び交う仕様だ。
なんとなくノリが面白可愛いペット動画を紹介する番組めいている。
そうして、「ではVTRどうぞ!」という司会の声と同時に一つ目の動画が流れ始めた。
■□■
がやがや、ざわざわ。
撮影現場の一角なのか、映像よりも先にカメラは音を拾い始める。
ざ、ざ、といくつかのノイズが入った後に鮮明になったカメラは、誰かが手にもって撮影しているのかわずかに手ぶれめいて視界が揺れる。
それがまたオフタイムの撮影らしくて、臨場感があった。
カメラがぐるりと回り、床に直接座って車座に座る集団に向かって近づいていく。
どうやらドラマの関係者たちが集まって昼食の弁当を食べているところらしい。
スタッフらしい顔ぶれや、テレビで見かける顔が、皆混じって和やかに談笑をしている。
その中に、坂本龍馬と岡田以蔵もいた。
二人とも動きやすそうなTシャツにジャージの下という軽装姿で、まだ衣装を着ての撮影には入っていない頃だというのが伺い知れる。
そんなラフな格好で地べたに座って弁当を食べている姿は、普段テレビで見かける格好良い俳優というよりも、どこか学園祭などの準備に活気づく男子高校生めいている。
ふと、視線を持ち上げた坂本龍馬がカメラと目線を合わせる。
にこお、とその顔に浮かんだのは懐っこい笑みだ。
ひらひらと手をカメラに向かって手を振る。
貴重な撮影の合間の休憩時間にカメラを持ち込まれたことへの不満などその顔にはない。
素で懐が広いのだろうと思わせる懐っこさだ。
と、画面の外から「坂本くーん」と呼ぶ声が入った。
「あ、監督だ」
と坂本龍馬が小さく呟いて、腰をわずかに浮かせる。
が、おそらく監督の方がその場でいいよと制したのだろう。
背を伸ばし、監督がいるのだろうと思われる方向に顔を向けて、何事か返事を返す。
その溌剌とした横顔をしばらく映していたカメラだったが、何かに気づいたかのように目線がそっとその手元へと下がった。
岡田以蔵だ。
カメラに対しては一度撮られていることに気づいた際にちらりと小さく目礼をしたきり弁当を黙々と食べていたはずの岡田以蔵が、そそそっと坂本龍馬の弁当に、自分の弁当箱から何か野菜のマリネのようなものを移している。
ひょいひょいと危なげのない箸使いが見事だ。
ちらりと一度カメラが視線を戻した先の坂本龍馬は、己の手元で行われている完全犯罪に全く気付く様子もなく画面外の監督との談笑を続けている。
もう一度カメラが岡田以蔵に戻った時には、もうマリネの移動は済んでいた。
撮影者が笑ったのか、小さく視界が揺れる。
そんなカメラに向かってニチャアと悪ガキのように笑った岡田以蔵が、まるで共犯者にするかのようにしぃ、と唇の前で指を立てた。
■□■
「まったく気づいてなかった!」
VTRが終わったと同時に、龍馬が呻く。
隣の以蔵は素知らぬ顔だ。
「ええと、撮影者のスタッフからのコメントも届いてます。えーと。龍馬さん、結構な割合でお弁当を増量されてました」
「いやあなんか見た感じよりもしっかりと量あるんだなあって思ってたよね……」
「わしは天才やき」
眉尻下げて呻く龍馬と、つんと澄ました顔でドヤる以蔵の組み合わせに観客席からはくすくすと笑いが漏れる。
「これ見ると、岡田さんが嫌いなおかずを坂本さんを騙して食べさせているみたいに見えるでしょう? もしかしたらこれだけではやっぱり岡田さんが坂本さんをいじめているように見えるかもしれない……」
「えええ……」
「いやこれ十分仲良しでしょ……」
「では、次の動画です!!」
戸惑う二人を置いてけぼりに、司会の高らかな宣言と同時に次の動画が始まった。
■□■
またしても、昼の弁当風景だ。
がやがや、ざわざわの喧騒が響く撮影所の一角で皆で弁当食べているところであるらしい。
ただ今回は昼食とブレインストーミングを兼ねているのか、円陣のあちらこちらからこれからの撮影方針についての意見が飛び交っている。
これから天気が崩れやすくなるから、その前に野外での撮影を終わらせた方がいい、だとか。いやどうせ天気が崩れるなら急いで撮るよりも、先に中での撮影を終わらせて、天気が回復してから野外撮影に取り組みたい、だとか。
監督やスタッフ、役者も混じって熱気のこもった意見が楽し気に飛び交っている。
そんな中、ふとカメラが岡田以蔵の手元をアップにする。
ほとんどのおかずが綺麗に食べられた後の弁当箱の片隅に、何か緑色の野菜のお浸しらしきものだけがちょこりと残っている。
と、そこで。
「坂本くんはどう思う?」
「僕ですか? 僕はそうですねえ。タイムリミットありで野外撮影に先に取り組んでも良いかな、とは。ほら、その方が追い込まれて良い演技が出来そうだな、とも思うし」
なんて、監督に名指しで問われた坂本龍馬が答える。
すいとさりげなく、当たり前のように隣の岡田以蔵の弁当箱に箸を伸ばし、最後まで残されていたお浸しを自分の弁当箱へと移しながらの発言である。
あまりにも当たり前のように行われたせいか、それともそんな光景はすでに日常化しているのか監督はもちろん周囲の誰も何も言わずにスルーされている。
「岡田くんは?」
「わしは、どっちでもえいです。やるべきことをきちんとやるだけですき」
続いて監督に話を振られた岡田以蔵も答える。
その間、坂本龍馬と岡田以蔵は視線を合わせる気配すらない。
貰って良い?と許可を求めるようなこともなければ、食べるか、と問うようなこともない。まるで当たり前のように坂本龍馬は岡田以蔵の弁当箱に箸を伸ばしたし、岡田以蔵もそれが当たり前であるかのように特別礼を言うようなこともない。
おそらくそれが普段からの日常なのだろうと思わせられるさりげなさかった。
もぐりと岡田以蔵のお弁当箱から自分のところへと移したお浸しを頬張りながら、坂本龍馬が他の人の意見にうんうんと頷いている姿を移して、映像は終わった。
■□■
「えー…撮影者からのコメントです。坂本さん、岡田さんの苦手な食べ物全部把握してるんですか??? 同感です」
全力で司会にまで同感されてしまい、うろ、と照れたように龍馬が視線を彷徨わせる。
こうして第三者目線で見せられてしまうと、いろいろと気恥ずかしくなってしまう。
ちらりと隣を伺えば、以蔵も恥ずかしそうに口元をもにもにとさせている。
「全部、じゃないとは思うけど……以蔵さんの苦手そうなものは大体わかるかな。匂いの強い野菜とか普段食べなれてないものが苦手なんだよねえ。あ、食べたことがないやつなんかはまずは一口でも良いから食べてもらうようにしてるよ。美味しいものを知らないのは残念だから」
フォローのつもりで、フォローになっていないコメントを龍馬がのたまう。
なんだ。
なんなんだ。
お前は岡田以蔵のなんなんだ。
そんな司会の無言の突っ込みは届かない。
「………………」
一方の以蔵はといえば、黙秘を貫くことにしたらしい。
むっつりと口元をへの字にしているものの、黒髪から除く耳殻がほんのりと赤く染まっている。
「というわけで全国の坂本龍馬ファンの方、ご安心ください。岡田さんが苦手なものを無理やり騙して食べさせなくても、このひと、自主的に岡田さんの苦手なおかずを食べてます。では次の動画いってみましょうか!」
■□■
次の動画はどうやら会議室らしい場所をドアの外から覗いているところから始まったようだった。
会議室の中では、衣装合わせが済んだのか和装姿の坂本龍馬と岡田以蔵が二人してパイプ椅子に座って台本を読み込んでいる。
位置としては□の角を挟んで互いに並んで座っているような形だ。
二人ともそんな和装が不思議なほどに馴染んでいる。
馴染みすぎて、逆にそんな和装姿の二人がいかにも現代の会議室といった無機質な部屋にいることの方に違和感を覚え始めてしまうほどだ。
タイムスリップしてきた侍を見ているような気持になる。
先に台本の読み込みに飽きたのは坂本龍馬だった。
机に肘をつき、目の前でもくもくと台本を読み続ける岡田以蔵を眺め始める。
坂本龍馬の視線に気づいているだろうに、岡田以蔵は黙殺している。
時折もにもにと唇が動くのは、セリフを呟いているのだろうか。
「以蔵さん」
「…………」
岡田以蔵は返事をしない。
視線すら持ち上げない。
無視である。
だが、坂本龍馬は諦めない。
「以蔵さんってば」
「…………」
構って欲しがる子どものような声だ。
だが、岡田以蔵はやっぱりそんな声を無視。
「…………」
む、と坂本龍馬が唇を尖らせた。
それからおもむろに足元におかれていたカバンの中から手帳を取り出し、その1ページをびりりりりと破いた。そしてそれをくしゃくしゃと丸めて――ぽこん、と目の前で台本に読みふける岡田以蔵に向かって、投げつけた。
それにはさすがに岡田以蔵の視線が持ち上がる。
ゆらあり。
殺気だった双眸が坂本龍馬を見据える。
「おまん……わしに喧嘩売りゆうがか」
「いやあ、暇じゃき、ちっくと身体動かしとうて」
「そいたらつきおうちゃるわ、覚悟せえ!」
がたんと椅子を蹴り倒すと同時に、嘘みたいに身軽に岡田以蔵の身体が浮く。
体重を感じさせない身軽な動だ。
台本をテーブルに叩きつけるタイミングで地を蹴り、素早く目の前にあった机を飛び越えて坂本龍馬に向かって飛びかかったのだ。
加えて岡田以蔵、なんの迷いもなく抜刀している。
それに対して坂本龍馬も「シッ、」と低い呼気を漏らして椅子を蹴り倒して立ち上がりながらの抜刀で応戦。
ギィンッ、と金属がぶつかりあう鋭い音が場違いな会議室に響きわたる。
机に飛び乗った分高さを得た岡田以蔵の剣劇には体重が乗る分重くなるだろうに、それを坂本龍馬は力づくで薙ぎ払う。
その勢いを殺せずにぐらりと背後に揺らめくようにも見えた岡田以蔵だったが、それは決して押し負けて体勢を崩したわけではなかった。
自ら背後に倒れるように重点を移し、背後に倒れるようなスウェイと同時に足場となっていた机を勢いよく蹴り飛ばして背後へと飛ぶ。
背後のことなど見てもいなかったはずなのに、着地はもう一つの机だ。
一方、蹴りだされた机が坂本龍馬の方へと滑る。
そもそも結構な重量のある机だ。
当たれば怪我をするほどではなくともそれなりの衝撃はあるだろう。
それを坂本龍馬は。
「よッと!」
岡田以蔵が足場にしている机に向かって、蹴り返した。
ただし、蹴った位置が悪かった。
岡田以蔵に蹴り飛ばされて坂本龍馬の方に向かっていた机の上部を蹴り返したもので、上下で真逆の方向に力が加わった長机がぐるんッと派手に横転したのだ。
回転しながら宙に浮いた長椅子が、ガシャァン!と耳障りな騒音を立てて派手にさかさまに床に叩きつけられる。
降伏する獣のように四足を天井に向けてひっくり返った長机を前に、「わあ」と言いたげに目を丸くする坂本龍馬。
もう一つの机の上に着地して、油断なくいつでも再び飛びかかれるような体勢で身構えていた岡田以蔵の目もぽかんと丸くなっている。
「ふは」
先に笑いだしたのはどちらだったのか。
「あっはっはっは、今の見た?」
「おまんどればあの力で蹴り飛ばしたんじゃ、こン馬鹿力」
「いやいや、以蔵さんだって今のは共犯だって。いやあ、すごかったねえ」
そこに、ばたばたばと慌ただしい足音が近づいてくる。
騒音を聞きつけたスタッフが何事かと駆けつけてきたのだろう。
わかりやすくびくりと背を揺らした二人は、あたふたと納刀し、なんとか誤魔化そうとしたのか――ばたん、と息をきらしたスタッフが会議室の扉を開ける背中越しに見える部屋の中では、坂本龍馬と岡田以蔵が何事もなかったかのようにパイプ椅子に座って台本を読み込んでいるところだった。
ただし、坂本龍馬側の長机はひっくり返ったままである。
「ええええ……なんでえ……」
そんな悲鳴みたいなか細いスタッフの声を最後に、映像は終わった。
□■□
「何やってるんですか。ねえ。何やってるんですか」
司会、渾身のツッコミだった。
龍馬の以蔵の二人とはいえば、悪戯のバレた子どものように二人してうろうろと視線を彷徨わせている。
「……こいたあが悪い」
ずびし。
以蔵が隣の龍馬の脇腹を肘で小突く。
確かに先に手を出したのは龍馬である。
「でも先に抜刀したのは以蔵さんだよ」
丸めた紙くずをぶつけるといった龍馬の悪戯に対して、即刀を抜いて飛びかかってきたのは以蔵の方である。
ぼくは応戦しただけだもん、とか可愛こぶってみるわけだが、先ほど画面の中で生き生きと刀を抜いて応戦し、机を蹴り飛ばしてひっくり返すなどという大技を披露していたのはこの男である。
「あの」
「はい」
「はい」
司会の言葉に二人が返事をする。
「お二人は普段からああいうことをしてるんですか……?」
「まあ、わりといつも、だよねえ」
「刀はさすがに抜かんことの方が多いけんどにゃあ」
「ていうか刀持ってる状況があんまりないもんねえ」
「そりゃそうですよね!?」
日ごろから帯刀しているはずがない。
じゃあ普段は一体どんな、とおそるおそる聞いた司会に、龍馬が思い出し笑いめいてふふりと口の端に笑みを浮かべる。
「最近はねえ、お尻を叩きあうの流行ってるよね」
「流行っちょるな」
「なんで???」
司会の疑問が最もすぎた。
「出来心やったんやけんど」
「できごころ」
「おん」
こっくりと以蔵がうなずく。
「こいたあがな、わしがおるんのに気づかんとスマホ弄って間抜け面で立っちょったんで、ちっくと悪戯のつもりで尻をこう」
ぶんと以蔵が、下からスパーンとひっぱたくような素振りをして見せる。
隣の龍馬がへにゃりと眉尻を下げた。
「いや本当あれびっくりしたからね。いきなり後ろからスパァァァンッてやたら良い音させて尻叩かれるんだもん」
「ふひひ」
悪戯っ子のように楽しそうに以蔵が笑う。
それを見やる龍馬の半眼はだいぶ恨めし気だ。
「あん時のこいたあの情けない悲鳴ときたら、しばらく笑いがとまらんでのう」
「でも、僕だってやられっぱなしは悔しいので、以蔵さんにやり返そうと思って」
「……それで尻の叩き合いに?」
はい、と二人がそろった動きで頷く。
まるで小学生男子である。
それが見目良い男二人が、その類稀な運動神経を駆使して行っているのだから司会が頭を抱えたくなっても仕方がないというものだ。
そこでふと。
「そういえば、さっきの映像って誰が撮ってたんですか?」
「わしも気になっちょった」
扉越しに、会議室の外から撮っていたはずなのに、カメラのズーム機能などを駆使してなかなかに迫力ある映像に仕上げられていたのだ。
スタッフがたまたま通りかかって撮っただけ、というわりには技術が感じられる映像だった。
そんな龍馬の問いに、司会は撮影者からのコメントをまだ読み上げてなかったことに気づいたらしかった。
「ああ、撮影者からのコメントです。ええと。アドリブでこれだけ意気のあった殺陣を見せられる二人が仲悪いわけないよねえ。あっはっは、だそうです。以上、監督からでした」
「か、監督やったんか」
「流石、撮るの上手いなあ……」
しみじみと感嘆の声を漏らす二人である。
「では、次が最後の動画となります!」
司会の言葉に、「えええええ!」と抗議じみた声が観客席を揺らす。
もっともっと見たい、という正直な反応である。
それをなだめるように司会は手を上下に揺らしながら、ではどうぞ、とスタッフを促す。
派手なチャンバラの後であり、最後を飾る仲良し動画。
果たしてどんなものなのかと期待が高まる中映し出されたのは――
□■□
薄暗い廊下だった。
場所は撮影所だろう。
廊下のあちこちには撮影で使われたのだと思われる大道具が無造作に立てかけられている。
すでに人のいる時間を過ぎているのか、廊下はぽつぽつと間を置いて明かりが灯る程度になっており、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っている。
撮影者はそんな薄暗く、静かな廊下を歩いているようだった。
そんな廊下にキィと音が響いて、扉が開いた。
扉の向こうからは、煌々と眩しい光が漏れている。
夜も遅い時間だろうに、スタジオでは未だ忙しく撮影が続いているのだということが伺い知れる。
そんなスタジオから出てきたのは、坂本龍馬と岡田以蔵だった。
二人は撮影者に気づくと、ふと目元を和らげて頭を下げる。
「それ、どうしたの?」
「あ、撮影の思い出にと思ってあちこちを撮ってまして」
「ああ、オマケとかになるやつ?」
「はい、監督に頼まれてて」
あるよねえ、エンディングに撮影風景としてスタジオや撮影所の機材なんかを映していくやつ、と納得したように坂本龍馬が呟く。
「お疲れさま、お先に失礼させてもらうね」
「お疲れさまです。お先、失礼します」
二人はスタッフ相手にもしっかりと視線を合わせてお辞儀をする。
特に飾った様子もなく、カメラがあるからというわけでもなく日常的にそうした挨拶が当たり前なのだろうと思わせる所作だった。
お疲れさまでした、とスタッフも頭を下げたのか、一度カメラが上下に揺れて床を映す。
次に目線が持ち上がった時には、すでに二人の後ろ姿が離れ始めたところだった。
「以蔵さん、今日お夕飯どうする?」
「もう夕飯ちいう時間じゃなかろ」
「夜食?」
「弁当食ったのにまた食うんか」
「お腹空いちゃって。以蔵さんは平気なの?」
「……………」
「以蔵さんだってお腹すいてるでしょ」
「こんな時間から食べるとふとうなるぜよ、坂本サン」
にゅっと横から伸ばした岡田以蔵の手が坂本龍馬の脇腹を摘まむ。
余剰な肉を摘まもうと試みる所作に、痛い痛いと小さな悲鳴があがるあたり、実際には脂肪というよりも無理やり皮と肉を摘まんでいるものらしい。
「で、おまんは何が食いたいんじゃ」
「肉かなあ」
「そいじゃあこん前話してた店はどうじゃ」
「ああ、あそこならまだ開いてるかな。それじゃあそこで」
「おんおん」
そんな話をしながら、二人の後ろ姿がどんどん遠ざかっていく。
時折じゃれるように肩をぶつけあったり、その反撃のように岡田以蔵が坂本龍馬に緩い蹴りを入れたりなどしている。
仲睦まじい後ろ姿だ。
それを見えなくなるまで映して、やがて映像は終わった。
□■□
「本ッ当に仲良しなんですね……?」
しみじみと零れた司会の言葉には、すでに疲れと呆れの色が滲んでいた。
さながら、彼氏と喧嘩したの、という女友達に呼ばれて慰めにいったはずがそのあと三時間ほど延々とぶっ通しで惚気を聞かされるという精神的耐久戦を強いられた後、というような面持ちである。
「だからそうなんですってば」
「これだけ仲が良ければ、冒頭で坂本さんが言ってた外野には好きなように言わせといても良いって気持ちになるのもわかるような気がしました……」
あまりにも的外れな非難は、言われた当人にはピンと来ないものだ。
日ごろからこれほど親しくしていれば、不仲説などぶち上げられたところでそりゃあ痛くも痒くもないだろう。
「では、楽しかった仲良し検証コーナーもこのあたりでお別れの時間が近づいてまいりました!」
司会の言葉に、観客席からはやはり残念そうな声があがる。
それに対して仕方ないでしょ、と笑い混じりに言葉を返しながら、司会がゲスト席に座っていた二人を手招いて呼び寄せる。
そして、スタジオの前方真ん中にやってきた二人に向かって、司会はにっこりと笑ってファンサービスを促した。
「せっかくなのでゲストのお二人には、いらしてくださったファンの方々、テレビの向こうのお茶の間のファンの方々に向かってファンサービスをしていただきましょう!」
「えっ」
「ふぁん、さーびすぅ?」
二人が怪訝そうに顔を見合わせる。
そんな二人に向かって、番組の伝統なので、と司会がやって見せるのは両手の指を合わせてハートを作り、ウィンクして見せるというなんともあざといポーズである。
「これをね、お二人にもしていただこうと思いまして!」
「ええええ」
「わ、わしもやるんか。龍馬だけでえいやろ、にゃあ」
「いやいや僕がやるなら以蔵さんもだからね」
死なばもろとも、と言わんばかりに逃げかけた以蔵の腕をがっちりと龍馬が捕まえる。
その意気のあった掛け合いにも、観客席からは楽し気な笑い声が上がる。
しばらく思い悩むような間を挟んだ後、先に行動に出たのは龍馬だった。
覚悟を決めたように深く息を吐き、顔をあげた龍馬は見様見真似で両手の手指を合わせてハートを作る。
多少不格好に歪んだハートが初々しく、また涼しげな顔の整った美丈夫が気恥ずかしそうに目元を染めているというギャップが可愛らしくて観客席からはきゃあきゃあと黄色い悲鳴が派手に上がる。
「えっと、その、これからも、よろしく、ね?」
これでいいの?と言わんばかりに語尾がわずかに持ち上がる疑問形ではあったものの、龍馬はぱちりと観客席に向かってウインクをキメた。
一際高い悲鳴が観客席から溢れ、拍手が沸き起こる。
あまりにも物凄い歓声に、司会が思わず耳をふさぎ、観客席が静かになるまで一時を要したレベルだった。
そしてようやくスタジオにコメントが求められる程度の静けさが戻った頃。
テレテレとしていた龍馬に向かって、地を這う低音が向けられた。
「………おい」
地獄の底から響くような声である。
「な、なあに、以蔵さん」
「こん後にやれち言うんかおまんは!」
「えええ、だって見本があった方が以蔵さんもやりやすいかなと思ってっていひゃいいひゃい!」
それを言うのはこの口か、と以蔵の指が龍馬の頬をぎちぎちとひねり上げる。
そう。
龍馬としては優しさのつもりだったのだ。
以蔵は見たものを真似ることに関しては天才的なセンスを持ち合わせている。
ならば先に自分がやってやれば、後はそれを真似するだけで済む分少しは楽になるんじゃないか、なんて思ったのだ。
その思いやりは見事なまでに空回りしたわけなのだが。
ぐうぐうと呻く以蔵は大変恨めしげである。
「……、龍馬がこじゃんとサービスしたことやき、わしはやらんでもえいのでは」
「いやいやいや岡田さんのファンサも見たいですよねえ!」
司会の振りに、観客席が「見たあい!!」と大声で応じる。
これは以蔵さん逃げられないよ諦めて、の気持ちで龍馬が視線を送れば、ますます剣呑な目つきで睨まれた。
視線だけで人が殺せそうである。
ファンサービスとはおおよそ真逆の人相だ。
「以蔵さん、顔こわい」
「誰のせいじゃ」
口元をへの字にしてしまった以蔵に、龍馬は参ったなと内心呟く。
このままだと番組が終われない。
おそらく以蔵がそのファンサをやるまで司会や観客は粘るだろう。
長引けば長引くほど、ますますやりにくい空気になるのは目に見えている。
こうなったら。
「にゃあ以蔵さん」
「なんじゃ」
「わしに出来たことやき、以蔵さんなら出来ゆうよ」
坂本龍馬の口から飛び出した訛りに、ザワッと会場が息を呑んだ。
先ほどの映像でもあったように、龍馬は以蔵が相手だと気が抜けたように稀に郷里の訛りを口にする。
普段は饒舌に綺麗な標準語で話す男が、幼馴染み相手にだからこそ聞かせる郷里の響きのレアさに、観客席に座る人々の多くが咄嗟に口元を覆った。
叫び出したいものの、その叫びでレアな土佐弁の坂本龍馬の言葉を聞き漏らしては一生後悔する、そんな気持ちで一つになった会場内からはそれでも「うっ」だとか「ひっ」などという押し殺した悲鳴のようなものが小さく響いている。
「以蔵さんの格好えいところ、わしも見たいにゃあ。にゃあ、いかん?」
「ぐう」
にゃあにゃあと甘えるような龍馬のおねだりに、以蔵が唸る。
渋面である。
顰め面である。
が、口元はへの字ながら眉尻は困ったように垂れている。
なんだかんだ昔から、それこそ三生の始まり、土佐に生まれ落ちて以来以蔵は龍馬のそうしたおねだりには弱いのだ。
「いかん、くはないけんど」
「じゃあ見せとおせ」
ずいと前のめりに言われて、以蔵はうぐうぐとたじろぐ。
が、ここまで言われたならば見せてやろうじゃないかという気持ちにもなって、半ばやけっぱちで以蔵はふんすと胸を張った。
龍馬がやれと言ったからやるのだ。
例え評価が散々であったとしても、それは龍馬のせいである。
そう思えば少しは気持ちが楽になるというものだ。
「わしは天才やき、よお見ちょけよ!」
そうして作った指のハートは、見本であったはずの龍馬が作ったものよりもよほど綺麗なハートの形をしている。
それから少し恥ずかしそうに蜜色の視線を揺らしながら、以蔵はそれでも持ち前の負けん気に火をつけて龍馬を睨み付けると、堂々と言った。
「これからもよろしゅう頼むきの!」
キメには、ばちこんとのウインクも忘れない。
それから一拍おいて、以蔵はどうじゃ、と吠えた。
「こんで文句はないろう!」
「え、ええと、その、以蔵さん」
「なんじゃ!!」
「……文句は、その、ないんだけど、ね?」
龍馬の口元はふにふにと緩みきっている。
喜んでいるような、照れているような、笑い出すのを懸命に堪えているような、でもやっぱりどこかゆるゆるふわふわとした顔だ。
そして、目元はぽっぽと真っ赤に染まっている。
なんじゃわしはそがあにファンサの天才だったか、と以蔵が内心ドヤドヤしているところで、非常に言いにくそうに、龍馬がぽしょぽしょと言った。
「今のそれ、その……ぼくじゃなくて、カメラに向かってやらないと意味がないやつ」
「ッ……!!!!!」
あまりの羞恥にカアアアアッと以蔵の目元が真っ赤に染まる。
蜜色の双眸がじわあっと潤む。
「て」
「て?」
「天ッ誅……!!!」
「なんでえ!!!!」
以蔵の華麗なる跳び蹴りが炸裂したのは言うまでもない。
なお、不仲説は消えたが今度はカップル説が爆発的に広まったため、二人はやっぱり頭を抱えた。
