4 以蔵さんと龍馬さんが大暴れしたあげくどさくさ紛れに魔力供給する話

 それはある日のことだった。
 マスターに呼び出された龍馬と以蔵は、レイシフトか、と管制室へと向かう。
 すでに昨日の段階で、明日のレイシフトよろしくね、と話は聞いていたのだ。
 龍馬と以蔵はクラスこそ異なるものの、二人の戦闘スタイルは噛み合うことが多い。
 なので、どちらかがどちらかのサポートとして共に編成されることはそう珍しくもなかったのだ。
 龍馬と顔を合わせると、以蔵は形ばかり程度に厭そうな顔をして見せる。

「何じゃあ。今日はおまんとか」
「よろしくね、以蔵さん」

 け、と以蔵はつまらなさそうに息を吐く。
 が、言うほど嫌がってないのは明白だ。
 本当に厭なら以蔵はそもそもこの場に来すらしていないだろう。
 仕事に私情は持ち込まない――というのはプロの鉄則じみているが、本当のプロはそれが不可能であることもよく知っている。
 だから、そもそも私情を持ち込んでしまいそうな仕事は引き受けないのだ。
 内心そんなことを考えつつ龍馬はちらりと視線をマスターに向けて、おや、と瞬いた。

 
 ―――マスターの顔には死相が浮いていた。
 
 
 とはいえ、正真正銘本物の死相、というわけではない。
 今にも死んでしまいそうなほど憂鬱そうな顔、というのが正解だ。
 昨日レイシフトの編成を伝えにきたときにはまだそんな顔はしていなかったわけなのだが、あの後何かあったのだろうか。
 龍馬と同じくマスターの死相に気付いたらしい以蔵が「なんじゃあ……」と怯んだように小声で呟いている。

「お竜さんはイヤな予感がしてきたぞ」
「奇遇だね、僕もだよ」
「わしもじゃ」

 げんなりと呻きあう。
 三人のそんな様子に、ゆらぁりとマスターの視線が持ち上がる。
 普段は澄んだ真っ直ぐな色合いを浮かべるその双眸が、今はどろりと濁っている。
 やばみしかない。

「マスター、すごい顔してるけどどうしたの」

 そ、と龍馬は声をかけてみる。
 この場には龍馬と以蔵以外にもサーヴァントが集められているものの、皆同じ厭な予感を察知しているのか、聞かなければその嫌なことが自分に降りかかってくることはないのだと信じたがっているかのような様子でマスターから視線をそらし続けている。

「………きょうのれいしふとさきは、じごくです」

 マスターがおどろどろしい声音で口を開いた。
 思わず、その場に集められていたメンバーの顔に神妙な色が浮かぶ。
 地獄。
 地獄といったか、このマスター。
 
「ええと、それはどういう」
「――エネミーが大量発生していまして」
「僕ちょっと用事を思い出した」
「お竜さん、カエル獲りにいかないと」
「わしもちっくと何かしにいかんと」

 顔色を変えたサーヴァントたちが、皆それぞれ適当な理由をつけて逃げようとする。
 それにしても以蔵の言い訳の適当さは酷い。
 そんな英霊たちに、マスターはははは、と乾いた笑いをあげる。

「後回しにするとますます増えます」

 その一言は、死刑宣告にも似ていた。
 散りかけていた英霊たちの足がぴたりと止まる。
 つまり、ここで逃げたとしても。
 後々ますますのっぴきならない状況になってから呼び出される可能性が多い、ということである。
 
「なんだってそんなことになってるのよ、子ジカ」

 嫌そうに眉を寄せながら、槍のサーヴァントであるエリザベートが問う。

「それはね、最近俺たちが新宿を放置していたからです……」

 曰く。
 最近めっきり蛮神の心臓を使う用事がなかったもので、ついつい新宿から足が遠のいていたのが原因、なのだという。
 
 新宿。
 それはかつて悪性隔絶魔境、と呼ばれた特異点である。
 もちろん、そこで起こった出来事はすでに解決済みだ。
 その地で特異点を形成していた聖杯も、マスターの手によってしっかり回収されている。
 
 だが、残念なことに。
 特異点というのは聖杯を回収してしまえばそれですぐに解消される、というものでもないのだ。
 確かに『特異点』としては消滅する。
 聖杯を回収された『特異点』は『特異点』として本来の歴史の流れに影響を与えることはもうない。
 だが、完全に消失するまでには時間がかかる。
 一度かの地を『特異点』として成立させた膨大な魔力は、聖杯が失われた後もその空間を一種の異界としてとどめてしまうのだ。
 歴史の流れからは完全に切り離され、独立した異界。
 その地に残る魔力が消費されれば、やがていずれは消えていく泡のようなものだ。
 その特異点の残滓の世界では、特異点が未だ成立していた頃と変わらぬ日常が仮初とはいえ続いている。
 その地の魔力を吸い上げエネミーが発生し、かつてその地にとどめられていた人々の影のようなものが『特異点』を再現し続ける。
 本来ならば定期的にそうした世界を訪れ、エネミーを狩り、素材として変換された魔力を収穫するのもマスターの仕事だ。
 そうすることで、少しずつ異界の力を削いでいくのだ。
 
 が、マスターによる人理修復が進むにつれ、そういった異界は増えていくばかり。
 正直手が回らない、ということもある。
 欲しい素材が手に入る異界を重点的に訪れる、というようなことが続けばどうなるか。
 収穫されずに実り続けた魔力は、モンスターハウスめいた恐ろしい空間となるのである。

 つまりこの先、龍馬らを待つのは文字通り馬車馬のように働かされる周回アンド周回アンド周回アンド周回という終わりのないレイシフトなのだ。
 これにはさすがに戦闘狂めいた一面を持ち合わせる以蔵のような英霊もげんなりとした顔を見せる。
 何故ならすでに経験済みだからだ。

 斬ればえいんじゃろ! 任せちょけ! なんて元気よく吠えて出かけていった以蔵が、魔力という魔力をすっからかんにされ、げっそりと疲れ切ってしばらくはもうえい……と部屋に閉じこもったのは記憶に新しい。

「こちらから観測した感じ、現在新宿に沸いてるエネミーはライダークラスとアサシンクラス、それとアーチャークラス。で、おそらくこの大量発生の原因となっているのがキャスタークラスのデーモンだと思われてるんだよね」
「なるほど……」

 それならば、この集められたメンバーも納得だ。
 ライダークラスで呼ばれたのは龍馬と、少し離れたところでむっつりと眉間に皺を寄せつつも仁王立ちしているファラオ。
 彼の古代王も確か宝具は単体に甚大な威力を放つ類のものであったはずなので、マスターは龍馬と彼との二人でデーモンを仕留めさせるつもりなのだ。
 他のメンバー、ランサークラスのエリザベート、アルターエゴの殺生院キアラ及び以蔵、キャスタークラスのギルガメッシュ、というメンバーは道中の雑魚を散らすため、だろうか。
 以蔵以外は広範囲の敵を殲滅しうる戦力を揃えているあたりにマスターの本気が伺い知れる。

「それでね、目的はエネミーの殲滅、ではあるんだけど。できればあまり不必要な戦闘はしたくなくて」
「だろうな」

 ギルガメッシュの声に、マスターはうん、と頷く。

「先にボスを叩いて魔力の大半を散らしてから、残りを掃討していこうかと思ってるんだよね。たぶんこれ、キャスタークラスのデーモンが自分を守るためにどんどん雑魚を召喚してるから。だから、皆にはボスのところまである程度敵の眼を誤魔化せる恰好をしてほしくて」
「つまり?」
「新宿に溶け込める格好をね、してほしい」

 マスターの声に、一同は顔を見合わせて。
 そうして、レイシフト前に衣替えと相成ったわけだった。

□■□

 
 
 
 マスターからのドレスコードは、わかりやすかった。
 『結婚式の二次会に出られるぐらい』、である。
 なんでもかつての新宿ではパーティー会場にエネミーが巣食っていたことがあり、そのためにマスターは望まぬ女装まで強いられたのだという。
 それはちょっと見てみたかった、なんて思いつつ、龍馬は己の魔力で編んだ衣装を調整する。
 
 普段は白の海軍服だ。
 同じ色の革靴に、白の手套、頭にも同じ色の中折れ帽を乗せている。
 が、新宿の街中においてはそれは目立ちすぎる。
 なので、少しだけアレンジを加えて海軍服の上を同色の白のジャケットへと変えた。
 深い蒼のシャツに、白のスラックス。
 その上から白のジャケット。
 中折れ帽も忘れずに頭に乗せて置く。
 ただし、指先を覆う白は欠けている。
 普段の恰好とそれほど印象が変わらないが、結婚式の二次会には十分参加できる。
 自分の調整が終われば、次は同郷の幼馴染である。

「以蔵さん、どう? 変えられた?」
「ぐう」

 謎の唸り声がかえってきた。
 おそらく、『結婚式の二次会に出られるぐらい』というドレスコードを掴みかねているのだろう。
 龍馬ら英霊には聖杯から多くの知識を与えられているが、それを上手く使いこなせるか、というのは個人の資質によるところが大きい。
 わかりやすく言うのならば、英霊は頭の中に聖杯につながった検索エンジンがついている、といったところだ。
 何を調べたいか、どう調べれば目的の情報が手に入るか。
 検索慣れしている人間であれば上手く情報を引き出すこともできるだろうが、龍馬の幼馴染である男はそういったことをとんと苦手としている。
 とはいえ、龍馬は彼を彼が言うほど愚かだと思ったことはない。
 彼は、自ら直接学んだ知識の運用は非常に上手い。
 おそらくは実感の問題なのだ。
 本で読んだり、聖杯を通して手に入れた知識、というのは彼にとっては形のないふわふわとしたとらえどころのないそれで、上手く噛み砕いて運用する、ということが難しいのだ。

「僕で良かったら手伝おうか?」
「…………おん」

 渋々と言ったように頷いた以蔵に、龍馬は小さく笑って自分が着ているのと同じようなシャツとスラックスを己の魔力によって編み上げた。
 
「まずは以蔵さん、これ、着てみてくれる? 着てみたら造りもわかるだろうし」
「……ちっくとあっち向いちょれ」

 言われた通りに視線を逸らす。
 しゅる、と響いた衣擦れにも似た音は、以蔵が魔力で編んだ和装を解いた音だろう。
 それからごそごそと服を着る音がする。

「……龍馬の匂いがするき、変な感じじゃ」
「そりゃあ僕の魔力で編んだ服だからね」

 正確には匂いではなく、気配に近い。
 えいぞ、と言われて振り返った先には、中途半端に服を着こんだ以蔵がいる。
 上下の白は、普段なら以蔵が纏わぬ色だけあって新鮮だ。

「やっぱり僕のサイズだと以蔵さんには少し大きいね」
「おまんが無駄にでかいんじゃ」

 ぷいと面白くなさそうに以蔵は唇を尖らせる。
 龍馬と以蔵とでは身長にはそれほど差がない。
 胸板の厚みなどもそう変わらないのだが、以蔵は龍馬に比べると肩幅が一回りほど小柄だ。
 龍馬にサイズに合わせた白のシャツは肩幅と袖の長さが少しばかりだぶついている。
 スラックスの方も裾が少し余っているが、一番の問題は腰、腿周りあたりだろうか。
 刀を振るうだけあって以蔵の上半身はしっかりと筋肉が乗っているのだが、下肢の肉付きは上に比べるとだいぶすっきりとしている。
 必要な筋肉が必要なだけ、というような痩躯だ。

「ベルトのつけ方はわかる?」
「……おん。あっちょるか?」
「あってるあってる」
「にゃあ、龍馬。刀はどうやって差しゆう」
「ああ、それはベルトにホルスターを通してね」
「おん」

 魔力で編んだホルスターを、以蔵のベルトに通してやる。

「で、これだけだと安定しないから、レッグホルスターで固定して」
「面倒いのう」
「はは」

 以蔵の足元に屈み、その太腿に自分が身に着けるのとよく似た革細工を巻いていく。
 こうして手で触れると、己との差異が際立って不思議な気がする。
 日頃並んでいると龍馬とそう体格が変わらないように感じていたのだが――…いや、そうでもないかもしれない。大きく膨らんだ袴の裾から除く以蔵の足首は細く締まっていた。
 
「これで良し、と。どうかな」
「布がきつぅて動きにくくてかなわん」
「慣れるよ。袴よりも布の量自体は少ないから軽いしね」

 以蔵は足に纏わりつくスラックスの布地を指先で引っ張ったりなどしている。

「あとはジャケットか――…もしくはベストかな」
「ジャケットちゆうたら、おまんが着てるようなやつがか?」
「そう。着てみる?」

 白のジャケットを脱いで、以蔵へと渡してやる。
 以蔵はそれを羽織って、あつい、と不満を漏らした。
 日頃着物の上からインパネスコートを着込んでいる男が何を言うのか、などと龍馬は思ってしまうわけなのだが、洋服というのは和服よりも身体の形にフィットするようにできている。
 その辺を着なれない以蔵としては窮屈に感じてしまうのかもしれない、と納得する。

「それならベストかな。こっちならどうかな」

 黒のベストを魔力で編んで、差し出す。
 早速試しに着込んで、以蔵は納得したように頷いた。
 
「……おん。こっちの方がえい」
「じゃあそれで平気かな。あとは以蔵さん、サイズとか色とか、自分で調整するといいよ」
「ほにほに」

 以蔵が、薄く目を閉じる。
 とたんに風のないはずの室内でひゅるりとつむじ風のような音が響いた。
 龍馬の編んだ魔力を、以蔵が上書きしているのだ。
 白と黒のコントラストが風に包まれて、暗く色味が変わる。
 一陣の風が吹き抜けた後、以蔵が纏う洋装はすっかりその色合いを変えていた。
 灰のシャツ、黒のスラックスに黒のベスト。
 ぴったりとサイズを合わせたモノトーンの色合いは以蔵の痩躯を際立たせてよく似合っている。

「以蔵さんは洋装もよく似合うね」
「ほうか?」

 ふんふんと上機嫌な以蔵に、和装時よりも、一回り縮んだように見える――というのは言わないほうがいいだろうな、ということはさすがによくわかっている龍馬だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
□■□
 
 
 
 
 
 
 
 
 作戦はシンプルだ。
 この事態を引き起こした張本人であるデーモンを龍馬とオジマンディアスが叩く。
 そのデーモンまでの道のりは龍馬とオジマンディアスは可能な限り魔力を温存し、その変わり以蔵やギルガメッシュ、キアラやエリザベートが道中の露払いをこなす。
 
 そう。
 作戦は至ってシンプルだった。
 そうそう崩壊なんてしようがないぐらいにシンプルだった。
 だから、それが崩れ去ったのも、やっぱりどうしようもないぐらいシンプルな理由だった。
 
 
 
 
 敵が多すぎた。
 
 
 
 
 
 ただひたすらに、それに尽きる。
 レイシフトで到着したと思ったらすでに周囲をぐるりとエネミーの群れに囲まれていたのである。
 人相の悪いヤクザ、チンピラ、そして重火器を携えた黒ずくめの男たち。
 着地と同時に銃弾やらなにやらが飛び交う乱戦が始まる。
 せっかくの衣替えはなんだったのか、というような派手な出迎えだ。
 そんな最中であっても、怯まず指示を飛ばしたマスターはさすが歴戦の猛者、というべきだろうか。
 
「エリちゃんとお竜さんは銃を持ってるやつから倒して!」
「わかったわ!」
「任されたぞ!」

 こちらの攻撃範囲外から仕掛けてくる敵を一掃すべく、お竜とゴシックドレス姿の少女が飛び出していく。
 今日はお竜もいつもの女学生風制服と違って、龍馬の見立てたドレス姿だ。
 濃紺のロングドレスの裾がお竜の動きに合わせてたなびく様は、美しい魚の尾鰭のようにも見える。
 
「以蔵さんは龍馬さんを守って!」
「何でわしが!」

 忌々しそうな舌打ち交じりに応じつつも、以蔵は龍馬の背後に今にも襲いかからんと迫る木偶人形に気づけば、鋭い踏み込みで一息に距離を詰めた。
 洋装は慣れないが、なるほど、龍馬が先ほど言っていたように、袴よりも身軽だ。
 足にまとわりつく布の重みがない。
 振り回された腕を抜刀した刀で受け、そのまま斬り飛ばす。

「マスターの命令じゃき、おまんのこと護っちゃる! きりきり感謝せえよ!」
「頼りにしてるよ、以蔵さん!」

 背中合わせ、互いの死角をカバーするように大量の敵に身構える。
 敵の属性はアサシンとキャスターが主だ。
 正直、以蔵が有利をとれる相手ではない。
 だがそれでも以蔵がこの場に連れてこられたのには理由がある。
 新宿にはびこるエネミーの大半は人型をしているのだ。
 それであれば、以蔵の人型特攻が刺さる。

 それに――有象無象の雑魚の中、時折強力な魔力反応を示す影がいる。

 かつてこの地を訪れた英霊の姿を模した、影。
 それは影にしか過ぎないものの、英霊モドキとして仮初の宝具まで使って見せる厄介な敵だ。すっくと仁王立ちに立ちふさがり、高らかに笑い声をあげるその影は、今日もマスターが同行させているファラオのものだろう。
 しばらく前まで、マスターはこの地に蛮神の心臓欲しさに通っていたという。
 おそらくはその時の戦いぶりが影としてこの地に刻まれたのだ。

「余の姿を映し取るとはその審美眼、趣味が良いと褒めてやろう!」

 マスターの傍らで古の黄金王が高らかに笑う。
 
「だが所詮は影、余の全てを映し取るには度量が足りぬとみた。未熟な映しなど埒外の醜悪さ、我が許す! 疾くその影を打ち砕くが良い!」
「―――」

 以蔵には、かの高貴な王が何を言っているのか、半分ほどしかわからない。
 だが、やるべきことはわかっている。
 斬れば良いのだ。
 ふつふつ、と血が滾る。
 人の形をした、つよいいきものを斬り捨てる興奮に以蔵の琥珀の眼が爛と燃える。
 獰猛な笑みの形に持ち合がった口角から、細く鋭く、猿叫ともとれる咆哮を上げて影なるファラオの元へと踏み込み、まずは一太刀袈裟に斬り崩す。
 相手が体勢を立てなおすよりも先に刀を逆手に持ち替え、今度は下から上に斬り上げる。
 影ながら、腕に伝わるぞぶぞぶと肉を裂く感触に以蔵はにぃと嗤う。
 血の代わりに飛沫くのは魔力の奔流にも似た黒い粒子だ。

「見事だ、そこの人斬り! そなたには後で褒美をとらせよう!」

 自分を殺されるのを見て褒美を与えようというファラオの神経が以蔵にはやっぱりよくわからないが、以蔵は深くは考えない質だ。くれるものならもらっておこう、ぐらいに考えて、「褒美は弾んでもらうきのう!」と言葉を返す。
 そうして振り返った先、白のジャケットを翻して交戦中の幼馴染が手にした刀でチンピラを斬り捨てるのが目に入った。
 そのまま二の太刀で次の敵へと斬りかかろうとするものの、相手が悪い。
 そこにいるのは、ライダークラスが苦手とするアサシンクラスの木偶だ。
 一方、以蔵も自分に向かって背後から迫る敵意を察知していた。
 追いすがる敵を斬り捨てることなど容易い。
 だが、ちらりと横眼に確認したそいつは、鉄パイプを肩に背負ったチンピラの姿をしていた。
 以蔵が苦手とするキャスタークラスだ。
 鉄パイプを振り回すチンピラがどうしてそのクラスに割り振られているのかなんていうのは、全くもって以蔵には理解できない事柄だ。

「龍馬ァアアアアア!」

 吠える。
 龍馬が、振り返る。
 敵に背を向けるなんていうのは、戦場においてはとことん悪手だ。
 そんなことはきっと龍馬にもわかっていた。
 わかっていて、龍馬は以蔵が呼ぶならば何か理由があると判じて振り返った。
 普段は飄々とした、どこか人の好さの滲んで垂れた目元が何を見たのかきゅときつく細くなる。
 龍馬の黒と、以蔵の琥珀とが交わって、ああ、と龍馬の口から小さく笑い交じりの呼気が抜けたのが以蔵の耳にも届いたような気がした。
 以蔵の足が地を捕らえ、ぐんと身体を運んで一息に龍馬の元へ距離と詰める。
 龍馬もまた、刀から拳銃へと武器を持ち替え、長い腕を撓らせ以蔵に向けて銃を構える。
 そうして――二人の姿が交差して。
 以蔵の刀は龍馬の背を強かに殴りつけようとしていた木偶人形の首を見事にかっとばし、ごぅん、と以蔵の耳元で響いた銃声とともに放たれた弾丸は以蔵の背に追いすがってきていたチンピラの額をこれまた見事に撃ち抜いた。
 
「――おまんのそれ、うるさいんじゃ」

 耳が変になりゆう、と不満を漏らして以蔵は耳を擦る。
 ごめんね以蔵さん、と返される声もいつも通りだ。

「今さ」
「おん?」
「斬られるかと思った」
「斬っちゃろうと思った」
「やっぱり」

 ふくく、と互いに視線を交わして笑い合う。
 こうした戦場で、なんだか楽しくなってしまうのだから仕方がない。
 かつては道を違えて、ともに戦うことは叶わなかった。
 だから、だろうか。
 今こうして共に戦うことが愉しくて仕方がない。

「それにしても、キリがないね」

 龍馬がつぶやく。
 奮戦しているのは龍馬と以蔵だけではない。
 周囲ではそれぞれマスター自慢の英霊たちが腕を振るって敵を掃討している。
 だが、それでも敵が減らない。
 減らされるよりも早く、補充が詰めかけてきているのだ。
 
「マスター、ここは一度引き上げた方が良いんじゃないかい?」
「そうしたいのはやまやまなんだけど霊脈が安定してなくて!」
「はは、こりゃ参った」
「笑うてる場合か、阿呆」

 霊脈が安定していなければ、レイシフトに必要な魔力を吸い上げることができない。
 本来ならこういった特異点の残滓めいた異界の霊脈は安定しているものだ。
 だからこそ、マスターも気軽に素材狩りとして訪れることが出来るのだから。
 けれど、現状のこの悪性隔絶魔境ではそうもいかないらしい。
 よほど魔力を貯め込んでしまっていたのだろう。
 特異点の残滓でしかないはずの異界が、別の異界として成立しかけてしまっている。
 
「お竜さん!」
「なんだリョーマ、呼んだか」

 龍馬の呼び声に合わせて、すッとお竜が姿を現した。

「頼めるかな」
「どうする? ここから逃げるのか?」
「マスターたちを安全なところまで逃がしてほしいんだ」
「……リョーマはどうする気だ」
「僕はここで足止めするよ」

 龍馬の言葉に、わかりやすくお竜の眉間に皺がよる。

「お竜さんは、リョーマを置いていったりはしない」
「うん。でも、頼むよ。ほら」

 龍馬はちらりと、周囲を取り囲む敵へと視線を流す。
 現在、マスターは混戦を避けて雑居ビルの二階ほどの位置に退避している。
 瓦礫の山を登り、マスターに近づこうとする敵をオジマンディアスやキアラが高い位置から狙撃するようにして撃ち落としているわけ、なのだが。
 それを見上げる木偶人形たちに変化が見られ始めていた。
 がきょん、がきょん、と木偶が木偶を破壊する。
 一見同士討ちのように見えるが、そうではないことはすぐにわかった。
 破壊した木偶のパーツを取り込み、めきょめきょと音を立ててその姿が変わり始めたのだ。
 背中から、一対の機械じかけの羽にも似たパーツが出現する。
 そうして自らの形を変えた木偶は、ぶおんと羽音を響かせ空を舞い、

「させませんわ」

 地中から咲き誇るように生じた嫋やかな巨大な手にみちりと喰われ潰えた。
 だが、それは変化の導にはなった。
 周囲で、ばきり、ばきり、ばきょり、と破壊と再生の音が次々と響き始める。

「……ね? 追ってこられたらまずいでしょ」
「だが」
「マスターが無事でいる限り、僕はカルデアに還るだけですむ。ね、お竜さん。頼むよ」

 酷いことを頼んでいる自覚はある。
 それでも、優先すべきはマスターの無事だ。
 マスターさえ無事であれば、龍馬は本当の意味においての死を迎えずに済む。
 たとえこの肉体を保てないほどのダメージを受け、この場において消滅したとしても、龍馬の霊基はカルデアにて魔力を満たされ、再び生じることが出来るのだ。
 
「………わかった。リョーマ、いいか、カエル300万匹の貸しだからな!!」
「わあ」

 それは果たして、返せるだけの借りなのだろうか、と龍馬は口元に笑みを浮かべる。
 なんだかんだ言いつつ、自分のやりたいことに協力してくれる優しい神に対する感謝が尽きることはない。
 
 ァアアアアア、と少女の口からこぼれる音が揺らぐにつれて、その姿が漆黒の長大な蛇とも龍ともつかぬ姿へと形を変えていく。
 とたんにごっそりと魔力を持っていかれる感覚がして、龍馬は小さく顔を顰める。

『しっかりつかまっていろよ』

 お竜がその身にマスターと、他のサーヴァントたちを乗せ、一気に周囲に群がるエネミーたちを蹴散らしながら夜空へと身を躍らせる。
 ネオン輝く都会の空に、黒々とした竜が身を躍らせる姿はなんとも幻想的だ。
 その姿が遠くの空に霞むまで見送って、龍馬はぎりと刀を握りしめた。
 後は、ここで敵の眼を引き付けるべく大暴れしてやるだけである。

「さて、やりますか」

 軽い調子でつぶやいて、龍馬は周囲を見渡して――

「以蔵さん!?」

 思わず素っ頓狂な声が出た。

「何じゃ、幽霊でも見たような顔しよって」
「何じゃ、はこっちのセリフだよ! なんでマスターと一緒に行かなかったんだい!」
「はァ?」

 龍馬の声に、以蔵は何言ってんだこいつ、という顔をした。

「わしはマスターにおまんを守るように頼まれたきに」
「もうそれどころじゃないってわかってる癖に!」
「じゃかあしい」

 もう!と焦る龍馬の声を、以蔵はしらっと聞き流す。
 マスターが以蔵に龍馬を守れと言ったのはボスを倒すためだ。
 だが、現状すでに第一目標はボスの討伐ではなく、ここよりのマスターの生還だ。
 ボス戦のために龍馬を守る必要はすでになくなっている。
 それどころか、龍馬はたった今宝具であるお竜を発動させた。
 つまり、ボス戦においても切り札にはなりえない。
 よくよく頭が悪いと口にする以蔵であるが、戦場においては抜群の勘所を発揮する以蔵がそれに気づいていないわけもない。

「なんで……」

 呆然と呟く龍馬に、以蔵はふん、と鼻で笑った。

「わしは見捨てんきにのう!」

 なんだかその言葉に、龍馬はすごく、泣きたくなった。
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
■□■
 
 
 

 

 それから、どれくらい戦い続けていただろう。
 敵の数は、一向に減らない。
 如何に格下の雑魚が相手といえど、数で押され続ければ次第に疲労がたまる。
 魔力が、尽きる。
 ぜい、はあ、と荒い息をついて以蔵は空を仰ぐ。
 どこかのタイミングで攻撃を避け損ねたのか、髪紐を断たれて落ちた髪が頸筋に張り付くのが鬱陶しい。
 いつの間にか、傍らに幼馴染の男の姿が消えていた。
 消失を見届けたわけではないので、おそらくまだこの地にはいるだろう。
 だが、戦線からは離脱している。

「あ”-、くっそ……!」

 呻く。
 また置いていかれゆう、と泣き言めいた言葉が漏れそうになって、ぎりと奥歯を噛み締める。
 なんなんだ。
 泣きみそ龍馬の癖に、一人で殿しんがりなんぞ務めようとするから手伝ってやろうと思ったのに。
 その本人が以蔵を置いていなくなるなんていうのはアリなのか。
 やっぱりあの男、どさくさに紛れて斬っちゃれば良かった、などと頭の片隅にて管を巻く。
 少しずつ、少しずつ、魔力が枯渇し始めている。
 振るう刀に乗せる魔力を抑えざるを得ないせいか、一撃で仕留める、というわけにもいかなくなってきた。
 反撃を受けて身体のあちこちが痛む。
 何より、身体が重い。
 一人だし、痛いし、苦しいし、なんだかいっつもわしはこうじゃなあ、と嘆きたい気持ちになってきた。
 
 その一方で、龍馬が無事ならまあえいか、とも思う以蔵もいる。
 今回以蔵がマスターに頼まれたのは龍馬の護衛だ。
 だから、以蔵の心情はともかく、最後まで龍馬を守りぬくことができたのならば護衛としては上出来だろう。
 苦手なキャスタークラスやら、有利が取れるわけでもないアサシンクラスの敵を相手に奮闘した方だ。
 これは、褒美を弾んでもらうしかあるまい。
 それに。
 
 きっと、これには何か意味がある。
 きっと、これにも何か意味がある。
 
 龍馬の眼には以蔵には見えない最善が見えていて、そのために動いたに違いないのだ。
 とはいえ駒のように扱われるのは死ぬほど腹が立つので、後で絶対ぶった斬るとは心に誓っているわけなのだが。

「あンのべこのかあ!」

 毒づきながら、刀を振るう。
 それが良くなかったのかもしれない。
 キャスタークラスのチンピラが振り下ろした鉄パイプと、以蔵の刀とがまともにかち合って――ぱきん、と意外なほどに澄んだ音をたてて折れたのは以蔵の刀の方だった。

「ちッ!」

 舌打ちをしつつ背後に飛び退るものの、間に合わない。
 振り下ろされた鉄パイプが半身を霞めて鈍い熱にも似た痛みが走る。
 回復か、刀か。
 どちらに残り少ない魔力を回すべきか。
 痛みを嫌う以蔵は一瞬だけ迷って、回復を先にすることにする。
 脇差はとっくに折れている。
 メインの太刀のみ造りなおして、もはや折られるのは何本目か数えてもいない。
 見え始めた終わりに、胃の腑がじんじんと痛み出す。
 別段ここで死んだとしてもカルデアに還るだけだというのは以蔵にだってわかっている。
 けれど、仮初とはいえ死というのはなんとも怖いのだ。
 肉体が消失する瞬間のあのゾッとするような空虚さは、何度も体験したいと思うようなものではない。

「……、りょぉま」

 ぽつり、と呟く。
 恨んじゃるきの、と続けた言葉とは裏腹に、その声音は随分と縋るように響いた。
 そして――その声に重なるように、重低音が当たりに響いた。

「なん、じゃあ」

 伏せていた視線を持ち上げる。
 何かが、以蔵の元へと雪崩こみかけていたエネミーの群れを蹴散らしながらこちらへと突っ込んでくる。
 鈍い衝撃音とともに、文字通りエネミーを跳ね散らかして以蔵の前に突っ込んできたのは、黒のメタルカラーに煌めく機体に跨った龍馬だった。
 アレだ。
 脳内検索にて、ばいく、という言葉にヒットする。
 ほとんど速度を落とさず突っ込んできた龍馬は、地面につけた片足を軸にギャリりりりりりと何かすごい音をさせてその機体の尻をぶんまわし、またそれで何人かのエネミーをふッ飛ばした。

「以蔵さん、乗りィ!」
「なんじゃあ、それ」

 格好良すぎじゃろ、との呟きは思わず「ふは」と零れた笑い交じりの呼気に溶ける。
 促されるままに飛び乗れば、ぶおんと低い排気音とともにエンジンが唸る。
 獰猛な獣の唸り声にも似た響きだ。
 ちらりと振り返って以蔵がしっかり乗ったかを確認した龍馬は、以蔵の状態にへにゃりと眉尻を下げる。

「すまんにゃあ、ちっくと無理させた」
「こがなもん、どこで盗んできたんじゃ」
「人聞きが悪いなあ……いやあ実際盗んできたんだけど。足がいると思ってさ。しっかり捕まっちょってくれよ!」

 前輪が浮きかねない勢いで、龍馬はエネミーを突っ切るように走り出す。
 生前はとんと縁のなかったバイクを龍馬がいとも易々と操れるのは、聖杯からの知識、というだけでなく、ライダーというクラス故の特性でもあるのだろう。
 夜の街を、二人を乗せたバイクは疾駆する。
 すさまじい速度で多くの敵を背後に置き去りにしていったものの、中にはしつこいものもいる。以蔵は背後から追いすがる気配に気づいて背後を振り仰ぐ。

「あンの羽付か……!」

 さらに謎合体を繰り返したのか、人の顔を持つ木偶人形はがしゃんがしゃんと八つ足で地面を削りながら追ってきている。

「以蔵さん、やれる!?」
「アレもう人型じゃあながぞ……」

 呻く。
 以蔵が有利をとれるのは、ライダークラスの敵か、人型をしているものだけだ。
 木偶人形は最初のうちこそなんとか人型をしていたものの、これはもう人型ですらない。
 
「いやでもほら、顔は人だし!?」

 顔だけである。
 蜘蛛めいた八足でバイクに追いすがるような速度で道路を駆けるバケモノ相手に、人と似た頭部がついているというだけで人型特攻を適用しろとは無茶ぶりも甚だしい。
 が、それでもやるしかないのだ。
 以蔵は腰の刀を抜こうとして、あ、と小さく声をあげる。
 そういえば刀は先ほど折られたきりだ。
 新しい刀を生み出す魔力も惜しい。

「龍馬!」
「何ちや!」
「刀借りるぞ!」
「折らんでね!?」

 悲鳴めいた声で応じる幼馴染の腰から、すらりと得物を引き抜く。
 ――陸奥守吉行。
 腹が立つほど良い刀だ。

「速度、ちっくと落としとぉせ!」

 スピードを、落とす。
 がしゃがしゃがしゃ、と追いすがるバケモノにわざと追いつかせ、並走させる。
 地をかける六つ足はそのままに、前腕一対が持ち上がって以蔵と龍馬を薙ぎ落そうと振るわれる。
 それを、以蔵はすぱんと斬り落とす。
 それから、ひょい、と。
 バイクの背から跳んだ。

「いいい以蔵さん!?!?!?」
「前見ちょけ阿呆!」

 ふわりと身体が風に乗る。
 着地点はバケモノの胴だ。
 自重と、落下の勢いと。
 その全てを乗せて、以蔵はぞっぷと手にした刀を真っ直ぐにバケモノの首の根元に突き立てる。
 ばきゃきゃきゃっ、と木偶の身体を構成する素材が割れる感触。
 その先に、硬いものが切っ先に触れる。
 それでもさらに、押し込む。
 捕まえた蝶の胴にピンを押し込むように、以蔵は蜘蛛めいた木偶の首根っこを地面へと縫い止める。
 しかし獲物を捕まえようと時速100㎞近くで駆けてきた巨体がその程度で止まれるわけもない。縫いとめられた首根っこを支点に、バケモノの下肢が勢いを殺せずに宙に浮く。
 ごきりと首の折れる音を背後に聞きながら、以蔵は盛大な勢いで跳ね上がった胴を蹴って再び前へと跳んだ。

「無茶しゆう……!!」

 呻きながら、龍馬は以蔵の着地点に速度を合わせる。
 どす、と以蔵の着地の衝撃に龍馬の駆る機体の前輪が浮きかけた。
 ぎゃりりり、と蛇行する機体に振り落とされそうになる。

「しゃんとせえ!!!」

 痛いほどに背中にしがみ付く幼馴染に怒鳴られながら、龍馬は力づくでハンドルを抑え込んで何とか制御とバランスを取り戻すことに成功した。
 初乗りでこんな曲芸運転に成功しているのだから、ライダー補正というのは素晴らしい。
 そんな現実逃避じみたことを頭のどこかで思いながら、はあああああ、と吐き出す息と一緒に、魂まで抜けるような心地がした。
 
「げにまっこと心臓に悪い……」
 
 ぼやいて、それからふと、思い出した。

「以蔵さん」
「おん?」
「わしん刀……」
「折っちょらん」

 恨めし気な龍馬の声に、以蔵はしれっと応えた。

■□■

 
 
 
 
 
 
 
 
 追手をまいたのを確認して、二人が身をひそめたのは雑居ビルの一室だった。
 造りはどことなく、帝都の探偵事務所に似ている。
 窓の傍に大きなデスク。
 入口入ってすぐには来客用のソファが並ぶ。
 雑居ビルの事務所、というのはどこも似たような間取りになりやすいものらしい。
 龍馬は窓にかかるブラインドをかしゃりと指で押し下げて外の様子を見やる。
 
「追手はいないみたいだ」
「…………おん」

 以蔵は、といえばすっかり疲れ果てているのか、ぐったりとソファに身を横たえている。
 長い脚がソファからはみ出しているのがご愛敬である。
 
「大丈夫かい?」
「えろうだれた……」

 ぐんにゃりと伸びている。
 その様子に小さく苦笑して、龍馬は代わりに部屋の中を漁り始めた。
 非常用だろうか。
 いくつかの500mlペットボトルに入った水を見つけた。
 
「以蔵さん」
 
 呼びかけて、一本を以蔵へと放る。
 キャッチするかと思いきや、完全に油断しきっていたのか龍馬の耳に届いたのはごん、という鈍い音だった。
 
「え」

 振り返れば、顔面でペットボトルを受けることになったらしい以蔵が殺意のこもった涙目を龍馬に向けているところだったりした。

「殺す」
「ご、ごめんね……!?」

 慌てて駆け寄り、甲斐甲斐しくペットボトルのキャップを切り、飲めるようにしてから渡してやる。
 以蔵はよほど疲れているのか、近寄ってきた龍馬をどつくこともせず素直に水を受け取り、ごっごっご、と喉を鳴らして一息に半分ほど水をあける。
 枯渇しかけた魔力が疲労の原因だが、仮初とはいえ受肉した英霊は人間の真似事が可能だ。
 つまり、水や食事といった肉体を回復させる要素からも、ある程度は魔力を回復させることが出来るのだ。
 喉の渇きを癒したことで、以蔵はようやく一息ついたようだった。
 そんな以蔵を横眼に、他にも何かないかと龍馬は家探しを続けて――あ、と小さく声を上げた。
 
「えいもんがあった」

 見つけたのは、細巻きの煙草が納められたシガレットケースだ。
 かこ、と小さく揺らして以蔵へと見せる。

「おまん、煙草なんぞやったか」
「嗜む程度にはね。お竜さんがあんまり好きじゃないから、滅多にはやらないけど。以蔵さんは?」
「わしは煙管の方が好きじゃ」
「ほうか」

 なんぞと話す合間にも、龍馬は細巻きを咥えるとマッチを擦る。
 しゅ、と音がして、ぽっと薄暗がりに小さな明かりが灯る。
 火を煙草に移して深々と吸い込めば、久方ぶりの煙の味わいに頭がくらりとした。
 疲れた身体に、煙の味わいが染みるようで心地良い酩酊感を与えてくれる。
 吐き出す紫煙が、ふわりと周囲を煙らせた。
 ソファに横たわったままの以蔵の足元に腰を下ろし、視線を流す。

「要らんかえ?」
「――、」

 返事の代わりに、以蔵の唇が「ぁ」と淡く開く。
 物臭極まりないその所作に小さく笑って、龍馬は紙巻の煙草をもう一本シガレットケースから取り出すと、以蔵の唇に差し込んでやった。
 それから、腰を浮かしてソファの背に片腕をついて身体を支えつつ、ゆっくりと覆いかぶさるように顔を寄せる。
 伏せがちの琥珀が、ちらりと龍馬を見上げる。
 長い睫毛が伏せがちに影を落とす顔が妙に艶めかしい。
 ああこれはまるで口づけの距離だな、なんてことを思いつつも、以蔵が何も言わないので龍馬も気にしないことにした。
 近づけた煙草の穂先が重なって、ちりちりと紙の焦げる香が鼻先を擽る。
 やがて火が移ったのを見届けて、龍馬はこれまたゆっくりと身を引いた。
 ふう、と吐き出した互いの紫煙が混ざり、溶けあって広がっていく。
 それをぼんやりと眺めるだけの穏やかで、怠惰なひと時だ。
 
「で」
「で?」

 切り出したのは以蔵の方だった。
 
「この後どうするんじゃ」
「どうしようか」
「おまんは頭がえいきに、何か思いつけ」
「丸投げかい」

 くくく、と喉を鳴らして笑う。

「マスターがレイシフト出来るようになれば、こっちも一緒に帰れるはずなんだけど」
「ってことは未だレイシフトはできん、ちゅうことか」
「だろうね」

 おそらく、今頃カルデアと連絡を取りつつ霊脈を安定させようと四苦八苦しているところだろう。
 このままここで敵をやり過ごすことができれば、龍馬と以蔵もそのうちカルデアに戻ることになるはずだ。
 持久戦かつ籠城戦、といったところだ。
 しばらく休んでいれば、ある程度魔力も回復するだろう。
 それを見計らって、マスターと合流しても良い。
 そんな算段を龍馬が頭の中でつけているところで。

「りょぉま」

 ソファに伸びる以蔵に名を呼ばれて、視線をやる。
 普段は「龍馬」と呼ぶこの幼馴染が、子どもじみた響きで昔のように「りょぉま」と舌足らずに呼ぶ時は大体において何か企んでいるか、余裕がない時の二択だ。
 今はおそらく前者だ。

「何ちや」
「……このまま逃げるのは面白くないと思わんか」
「そう、だねえ」
「にゃあ」
 
 甘えるように呼んで、月色の眼が龍馬を見上げる。

「わしな」
「おん」
「デーモンの首獲りたいち思いゆう」

 ぱちり、と龍馬は双眸を瞬かせる。
 デーモンというのはこの異常事態の原因だ。
 菓子を強請る子どものような響きで、以蔵は何かとんでもないことを言いだしている。

「デーモンの、首?」
「このままやられっぱなしちゅうのも面白くないき」
「以蔵さん」
「おん」
「その負けん気どうにかせんと、痛い目見るがぞ」
「じゃかあしい」

 げし、と緩く肩口を蹴られる。
 それほど力の入ってない蹴りはじゃれるような、軽く肩を押す程度だ。
 そのまま足を戻すのも面倒くさくなったのか、以蔵は蹴った足を龍馬の肩にだらしなくひっかける。
 肩にかかる重みをぱしりと除けることもできたけれども、なんとなくそうはしたくなくて龍馬は肩に以蔵の足をのっけたままに首を捻る。

「死ぬかもしれないよ。っていうかたぶん死ぬよ」

 デーモンの首を獲る、ということは敵の本拠地に突っ込む、ということだ。
 おそらく、敵はうじゃうじゃと待ち受けている。

「逆に言うとそれだけじゃろ」

 あっさりと以蔵は言う。
 
「わしらは死んでも、カルデアに戻るだけじゃ。それなら、あいつらに一泡吹かせたいき」

 痛いのも、苦しいのも嫌いな幼馴染が死んでもいいなんぞとあっさり言うのに、龍馬は小さく笑った。
 本当そういうところである。
 変なところで負けず嫌いで、がむしゃらで。
 幼馴染のそういうところが、龍馬は昔から好きだった。

「えいね。えいよ。以蔵さん。一緒に、やっちゃろう」
「ふは」

 悪戯を企む子どものように視線を交わし合って、龍馬と以蔵は、愉しげに笑いあった。
 
  
  
  
  
  
  
 
 
 
■□■

 
 

 ドゥルンドゥルン、とエンジンを吹かす低い音が無人の立体駐車場に響く。
 ここまではわりと以蔵まかせでやってきた二人である。
 以蔵のスキル、気配遮断にて敵の眼を誤魔化しつつ接近し、以蔵の探索スキルでもってデーモンの位置を特定した。

「おまんはほんに役に立たんのう」

 なんていう冷たい視線からはそっと眼をそらしつつ、なんだかんだバイクを駆って足となっているのは龍馬なので勘弁してほしい。

「本当に行くの?」
「しわい」

 ずっぱりと斬り捨てられて、龍馬は小さくため息をつく。
 昔からこの幼馴染は一度決めたらてことして龍馬の言うことなど聞いてくれないのだ。
 ほれ行かんか、と訴えるように背中にごんごんと頭突きが繰り返される。
 ああ仕方ない。
 こうなったら、やるしかない。
 ふ、と息を吐いて龍馬は意識を切り替える。
 ぐ、と強くバイクのハンドルバーを握り込む。
 それから、ギュオンと音を立てて一気に加速した。
 立体駐車場の端から端まででどれだけ加速できるかで勝負が決まる。
 現界まで加速して、加速して、加速して。
 予め斬り倒しておいた柵の向こうへと全速力で飛び出す。
 お竜の背に乗るのとはまた違った浮遊感。
 びょうびょうと吹きすさぶ風が頬を嬲っていく。
 加速に背を押されて前に進んでいた車体が、やがて重力に捕らわれて勢いをなくし始める。
 だが、十分だ。
 隣のビル、中層回に設けられたガラス張りのパーティー会場にまでなら、十分届く。
 前輪が分厚いガラスにみしりとめり込み、やがて圧に負けたように細かな罅が蜘蛛の巣のように一面に走る。
 それに合わせて、龍馬はさらにエンジンを吹かす。
 ギャリリリリリと軋んだ耳障りな音をたてて高速で回転するタイヤの表面がガラスを引っ掻き――やがてガシャンと派手な音を立てて砕け散った。

「以蔵さん!」
「任せちょき!」

 するりと獰猛な猫科の獣のような身のこなしで以蔵が無人のパーティー会場へと飛び降りる。
 と、同時に白刃の一閃がその場に立ち尽くしていた木偶人形の足を薙ぎ払っていった。
 美しく着飾った人形たちは、思い思いのパーティードレスを身に纏い、まるで華やかなパーティーを楽しむ生きた人間であるかのようなポーズで薄暗い会場内に並べられている。
 そのどれもが、おそらくはアサシンクラスの木偶人形なのだろう。
 とてもそうは見えないなりをしている癖に、生きた人間のふりをしている。
 滑稽で、醜悪な光景を横眼に横倒しに着地したバイクから飛び降りて、龍馬は真っ直ぐに会場の奥に潜むデーモンに向かって駆けた。
 龍馬にとって相性の悪いアサシンクラスの雑魚は、一番最初の作戦通り以蔵が引き受けてくれている。
 背後から聞こえるイキイキとした幼馴染の暴れっぷりに思わず口角が持ち上がった。

「お竜さん!」

 呼ぶ。
 
「呼ぶのが遅いぞリョーマ!」

 ぶわりと背のあたりに生じる異形の気配。
 ぬらりと頬を霞めるのは美しい黒龍の艶やかな鱗を乗せた肌だ。
 しばらく魔力を温存しておいたとはいえ、宝具を放てるのは一度きり。
 切り札を使えるのはこの一度。

「天逆鉾に縫われし、国津の大蛇――」

 龍馬の唱える句に応じるように、背に負う異形の気配がずぐりと大きく膨らむ。

「我成すことは我のみぞ知る、」

 長大な大蛇が身を大きくくねらせ、あぎとを開き。

「――天翔る竜が如く!!」

 吠えるような宣言とともに長大な黒龍が滑るように疾り、デーモンの半身をがぶりと噛み切り、咀嚼し、呑み込んで消えていく。
 残されたのは、デーモンの残骸だ。
 胴の大半が消失し、かろうじて四肢がつながっている、というような。
 ぼろぼろと元の純粋な魔力へと形を変えながら、その身体が崩れ落ちていく。
 よしと内心満足して、龍馬は背後を振り返る。
 以蔵も、その場にいた木偶をかたっぱしから斬り倒し終えていたものらしい。
 怪我を負わされたのか、純粋に魔力を使い果たしたのか、片膝を立ててぺたりと床に座っている。

「以蔵さん!」

 慌ててそちらに駆け寄ろうとして。

「龍馬ァ!」

 視線を擡げた以蔵が、鋭く警戒の声をあげた。

「ッ!」

 振り返る。
 崩れかけたぼろぼろの身体で、それでもデーモンがのたりと片腕を持ち上げたところだった。呪いを撃ち込む指先が、ひたりと龍馬に狙いを定めている。
 ああ、これは駄目だな、と意外なほど冷静に理解した。
 避けられるタイミングではないし、やり過ごせるほどの魔力はもう残ってはいない。
 喰らえば、この肉体を留めておけなくなる。

 ――まァ、いいか。
 
 うん。
 良く頑張った方だと、思う。
 以蔵がやりたがった通り、敵の首魁であるデーモンは討ち取った。
 これはいわゆる最期のいたちっぺというやつで、これ以上の反撃はもう無理だ。
 あのデーモンに出来るのは、龍馬を道連れにすることぐらいだ。
 だから、上出来だ。
 そんなことを考えている耳元で、低く。
 ぞッとするほど低く、柔らかな声音が。

「―――お初に、お目にかかります」

「以蔵さん、いかんちや!」

 思わず制止の声を上げる。
 以蔵には、宝具を撃つだけの魔力など、残ってはいなかった。
 で、あるならばこのための魔力は一体どこから回してきているのか。
 答えは単純で、明白だ。
 まるで祈るよう身を低く構え、頭を垂れた以蔵の身体の端が、光の粒子に分解され始めている。
 己の存在を、肉体を保つための魔力すら宝具を撃つためのそれに変換しているのだ。

「じゃあ、死ね」

 至近距離からの居合めいた斬撃が数度。
 するりと背後に抜けて、逆手に持ち変えた刀がずぐりと崩れかけたデーモンの心の臓を捕らえ、峰に添えられた左の腕がぐぐぐぐと刀を振り上げる。
 ぶしゃり、と黒の血霧めいた魔力を噴出させて、今度こそデーモンは塵と消えた。
 ごとりと、落ちるのはデーモンを構成していた魔力が形を変えた蛮神の心臓だろう。
 だが、そんなことはもう龍馬にはどうでも良かった。
 だらりと抜き身の刀を下げて立つ以蔵の足元は、すでにしゅるしゅると光に分解されつつある。
 だというのに、この龍馬の心臓にとんでもなく負担をかけまくる幼馴染は、酷く満足そうな顔でにんまりと笑っているのだ。
 
「どいてこがなこと」
「おまんはわしが守っちゃるち言うたじゃろ。わしがおったらおまんを死なせることなんぞ――……まあ、えい」

 ふす、と息を吐いて、言いかけた栓もないことを以蔵は呑み込む。
 以蔵は、この人の好い幼馴染が自分が死んだたった数年後に暗殺されたことを知っている。
 だからなんとなく、自分だったらちゃんと守ってやれたんじゃないか、なんて思ってしまっただけなのだ。
 それは、以蔵が首を落とされて死んだのと同じぐらい、もう今となってはどうしようもないことだ。
 泣きそうな顔をしている幼馴染に向かって、以蔵はひらひらと手を振った。

「ちっくと先に戻って酒でも飲んじょるき、おまんはのんびり」
「以蔵さん」

 帰ってこい、と最後まで言うより先に。
 ぐ、と半ば透けかけている腰を強く、抱き寄せられた。
 なんじゃあ、と見上げた先で、人の好いはずの、いつでもにこにこ笑っているはずの幼馴染は、とんでもなくスワった眼をしていた。

 やべえ。
 
 そんな直感に消えかけているはずの以蔵の背筋にぞわぞわと悪寒が走る。
 そうだ。
 昔からそうだ。
 このいくらでも以蔵にやられっぱなしになってくれるような、振り回せば仕方なさそうに笑いつつも振り回されてくれる幼馴染は。
 追い詰めすぎると、とんでもない反撃をしかけてくる。
 よろしくない。
 これは大変、よろしくない。

「お、落ち着けりょぉ」

 ま、とまでは言わせて貰えなかった。
 文字通り噛み付くように唇を塞がれる。
 ぬるりと熱い舌を捩じ込まれた。
 ぶん殴ってやろうとするのに、鯖折りめいた角度で腰を強く抱き寄せられているせいで突っ張る腕にはほとんど力が入らない。
 れ、と上顎の凹凸を擽るようにたどられれば、思わずくふ、と小さな吐息が零れた。
 注がれる唾液には、濃密な魔力が溶け込んでいる。
 この男にしたって、残された魔力なんぞかっそかそのはずなのに。
 その半分をこれでもかとばかりに注がれて、くらくらと眩暈がする。
 ちゅ、と濡れたリップノイズを残して唇が離れたころには、以蔵の身体はしっかりこちら側に構成されなおしてしまっていた。
 
「な、……、何をするんじゃあ!?」
「以蔵さんがわしを置いて逝こうとするからじゃ」

 拗ねた調子で返される。

「カルデアに先に戻るだけじゃ」
「それでもじゃ。わしをこんなところに置いていかんで」
「それに」
「何じゃ」
「抜け駆けはずるいちや」

 がっしり、と以蔵の腰を捕らえる腕は、一人だけこの地獄から一抜けさせてたまるかといういっそ執念じみた思いを感じさせる。
 はあああああ、と以蔵は深々とため息をついた。

「おまんはほんに身勝手でえずい男よな」
「ごめんね、以蔵さん」

 でもつきあって。
 そんな我儘に、もはやため息しか出てこない。
 とてつもない疲労感に、ずるずると以蔵はその場に腰を下ろす。
 断じて、腰が抜けたわけではない。

「これでおまんが先に還るようなことなことになったら……」
「引き留めてくれる?」
「おうよ、覚悟しちょけ」
「ちょっと楽しみになってきたな」
「わやにすんなや!?」

 ぎゃあぎゃあと怒鳴り、ついでに蹴りもいれたりなぞしつつ。
 龍馬と以蔵は、カルデアへのレイシフトが成立するのをのんびり待つのだった。
 
 

 
■□■
 
 
 
 
 

 無事霊脈が安定し、レイシフトでカルデアに逃げ帰ってきた――と思っていたマスターは。
 諸事情から別行動となっていた龍馬と以蔵がどん、と差し出してきたものに眼を丸くしていた。

「マスタァ、土産じゃ!」

 上機嫌極まりない以蔵の隣で、龍馬もにこにことしているので悪いものではないのだろう。
 とりあえず二人も無事でよかった、と安堵の息を吐きつつマスターは差し出されたものを確認して、えっ、と驚きの声を上げる。

「これって……蛮神の心臓!? もしかして二人だけでデーモン斃しちゃったの!?」

 驚く一方で、納得もする。
 なかなか霊脈が安定せず、カルデアとの通信すら不安定だったのがあるタイミングで急に回復したのだ。
 おそらく、龍馬と以蔵がデーモンを斃してくれたことにより、急速に環境が安定したのだろう。
 
「すごい! すごいよ二人とも!!」
「はっはっはっはっは、わしは天才じゃき!!」

 調子良く高笑いをあげた以蔵だが、そのままぐらりと斜めに傾いで倒れかかる。
 それを「おっと」と抱き止めたのは龍馬だ。
 その様子にマスターはさっと顔を青ざめさせる。

「以蔵さん大丈夫!? 怪我は!?」
「あ――……………、…………………………平気じゃ」
「今もろもろ面倒くさくなって平気ってことにしようとしたよね!?」

 お見通しのマスターに、叱られた子どものように以蔵が視線を彷徨わせる。
 そんな姿に龍馬は思わず笑ってしまった。

「僕も以蔵さんも怪我はそれほど酷くないから大丈夫だよ。ただひらすら魔力を使い果たしちゃってね」
「素寒貧じゃあ」

 力なく、龍馬に抱えられた以蔵も呻く。
 カルデアに帰還した同時に、心地よい魔力の波動が霊基に流れ込んではきているのだが、満たされるまではどうにも時間がかかる。
 魔力がある程度回復すれば、肉体の怪我は自動で修復される。
 今二人に必要なのは、ただただ休息だ。

「というわけで、ちょっと休ませてもらってもいいかな。さすがに限界が近くてね」
「もちろん! 二人ともお疲れさまでした! ゆっくり休んでね!」
「ありがとう、マスター。マスターもゆっくり休むと良いよ」

 にこり、と柔らかな笑みで挨拶を告げて。
 龍馬は、極々当たり前のように、何気なくそのまま以蔵の身体をひょいと抱き上げた。
 「!?」という顔をするマスターをよそに、以蔵は以蔵で暴れもせずにくったりとされるがままになっている。

「りょぉま」
「何だい?」
「おまんの部屋、酒はあるがか」
「あー……、ないかも」
「ほいたら自分の部屋に帰るき下ろせや」
「起きたら調達してやるき、おとなしくしちょき」
「おん……」

 なんていう会話が、次第に遠ざかっていく。
 やっぱりあの二人の距離感おかしくないだろうか、とマスターが首を捻りたくなる瞬間であった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ■□■

 
 
 
 
 
 
 龍馬と以蔵が管制室を去ってからしばらくした後。
 今回の異常事態についてを報告していたマスターの元へと、ふよりとお竜が姿を現した。

「マスター」
「あれ、お竜さんどうしたの?」
「端末? だったか? あの写真を撮れる奴を貸してほしいんだが」
「いいよ、何か撮りたいのでもあるの?」
「ふっふっふ、見てのお楽しみだ。お竜さんはスーパーパパラッチになる!」
「……怒られない程度にね」

 なんて一応釘をさしつつ、マスターはお竜へと自分の端末を貸し与える。
 ついでに、写真やら動画の撮り方も一通りレクチャーする。
 ほうほう、と楽し気に声をあげて、お竜はマスターの端末を片手に再びふよりと姿を消す。
 あの人の形をした宝具は、わりと気まぐれだ。
 もしかしたらしばらくはあの端末は戻ってこないかもしれないな、なんてマスターが思い始めた頃、ふよりと視界の端を黒の制服姿がたなびいた。

「お竜さん?」
「見ろ。お竜さんは自分の才能が怖い」
「どれどれ?」

 差し出された端末の、画像フォルダを開く。
 そして、マスターは思わず小さく噴き出してしまった。
 おそらくは龍馬の自室だろう。
 男二人では明らかに狭いと思われるベッドにて、龍馬と以蔵が二人でぐーすかと気持ちよさそうに四肢を投げ出して寝入っている。
 以蔵などは、べろりとシャツがめくれて腹が見えている。
 寝相がよろしくないのか、以蔵の頭は今にもベッドから落ちそうな位置にあり、その片足は龍馬の腹に乗っている。
 龍馬の眉間には薄く皺が寄っているのは間違いなくそのせいだろう。

「ふはは、夏休みの子どもみたいだ」

 大の大人を、しかも英霊を捕まえてなんたる言い草だ、とも思うわけなのだが。
 のどかで、ほほえましくて、平和な寝姿に思わずそんな感想が漏れる。
 幸せな光景だ。

「動画もあるぞ」
「あ、見たい見たい」

 動画ファイルを開いて、マスターはぽちりと再生を押す。
 まず聞こえたのは、すかー……というなんとも気持ちの良さそうな寝息だ。
 次に聞こえてきたのは。

『わしは……けんの、……てんさい、じゃー……』

 ふにゃふにゃと常の覇気も殺気も伴わない柔い以蔵の寝言だ。
 夢の中でまで何かと戦っているものらしい。
 もしくは先ほどのレイシフトが悪夢となって続行しているのか。
 若干申し訳ない気持ちになりつつも、ほのぼのとした光景にマスターの頬が緩む。
 以蔵はもぞぞ、と身じろぎ。
 その拍子にずるりと頭が滑って、ベッドから落ちかける。

「あっ」

 つい声をあげたところで、マスターはそのままちょっと固まった。
 ずるりとベッドから落ちかけた以蔵の襟首を、すんでのところで伸びてきた龍馬の腕がわっしと引っ掴んだのだ。
 そのままその腕は、ずるずると正体なく寝こける以蔵の身体を引き寄せて、懐の中へと仕舞い込む。
 まさもさとした癖のある黒髪に覆われた項に鼻先を埋めるようにしたところで、人の気配に気づいたのか龍馬の瞼がゆっくりと持ち上がった。
 とろりと眠たげな黒が、お竜の構えていたであろう端末を見上げる。
 そんなわけはないのに、端末ごしに目があったような気がしてマスターの心臓が跳ねる。
 龍馬は、のたりと腕を持ち上げると、立てた人差し指をしい、と唇にあてて見せた。
 それからまた、うとうとと瞼が落ちていく。
 すかー、と幸せそうな寝息が重なったところで、動画は終わった。
 

「…………………」
「どうしたマスター、顔が赤いぞ?」
「やっぱりこの二人距離感おかしくない????」
「何言ってるんだマスター、リョーマとクソ雑魚ナメクジはいつもこんな感じだぞ」
「いやいやそれがおかしいんだって。おかしくない???? え? おかしいのは俺なの????」

 なんでこんなカップルの部屋を覗いでしまったかのような背徳感を覚えなければいけないのか。
 やっぱり二人の距離感に頭を抱えるマスターだった。
 いろいろあったが、今日もカルデアは平和だ。

 

 

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