小説

煙管

 刻み煙草をひとつまみ。 指先で軽く丸めて、火皿に詰める。 しゅ、とマッチを擦る。 ちりと燐の燃える香りが鼻をつく。 あまり良い香りとは言えないが、以蔵はこの匂いも嫌いではない。 今から煙管を吸うのだ、という気持ちを高めてくれる。 花火の会…

夏の夜

 はたり、と扇が揺れる。 窓の外には今も白く吹雪が荒れているはずなのに、その男の周囲だけが夏の夜の空気を香らせていた。 水浅葱の着流しを粋に着こなし、帯には紺鉄と海松藍とが半々に熔けている。 表面に白々と波立つような青海波が涼しげだ。 きっ…

薙刀

「ほいじゃあ、やろうか」「おん」 二人はそう言葉を交わして対面にす、と腰を落とす。 日頃は白の海軍服に身を包む龍馬も、今は袴姿だ。 互いに構えるのは木製の薙刀と竹刀。 あくまで模擬戦、本気で命をやりあうつもりはない。 静かにその場に腰を落と…

ヒトガタカタパルトのその後

 以蔵をぶん投げた後は振り返りもせずにすっ飛んできたお竜は、べろんべろんと龍馬の傷を舐めたくって癒やす。 純粋に怪我を癒やすというだけでなく、同時に解呪もしてくれているのか、霊基の軋むような不快感が少しずつ薄れていくのに龍馬はほうと息を吐い…

明けぬ夜の先

 そのひとが家を出るのはいつだって夜だった。 幼い妹が寝付くまでは傍にいてやり、彼女がすややかに寝入った頃に静かに身支度を整えてローマを呼びに来る。「わしは帰れんかもしれんきに」 それが彼の口癖だった。 かつての故郷の闇に沈む装束に身を包み…

南国より幸いを君へ

  カルデアに、夏休みが実装された。 どういうことかと思うだろう。 初めてそれを聞かされた折には、龍馬と以蔵も顔を見合わせたものだ。 お竜だけが暢気にふわふわといつものように龍馬の肩のあたりを漂っていた。 つまりは、こうだ。 ある種のストラ…

蝉時雨

 じいわ、じいわと蝉が啼いている。 うだるような暑さの中を、以蔵はてくてくと歩いていた。 人ならぬ身とはいえ、生前の記憶を反映しているのはどうにも熱気が身に染みて額からはふつふつと汗が浮く。 それでも身に纏う装束を変えなかったのは、それが気…

魔力供給

 ぜい、ぜい、と荒い呼吸が酷く耳障りだった。 以蔵はぐったりと木陰に身を横たえて、呼吸を整える。 古代バビロニアの、魔力と濃い緑の香りが溶け合った大気に鉄錆めいた血の匂いが広がっていく。 獣に喰い破られた腹のあたりがぐっしょりと血に濡れて気…

やりなおしの春が往く

 それは新年があけてからしばらく経ってのことだった。 雀の宿で起きた騒動を解決し、マスターが意気揚々と彷徨海のベースに戻ってきたのが一週間ほど前のこと。 それからは特に新しい特異点が見つかることもなければ、新たな異聞帯に踏み込む支度も整って…

ばいおれんすせっすす 

  それは取引の帰りのことだ。 荒くれものが多く集う港の近くのバーにて商談を終わらせた男、坂本龍馬は雑然とした―――それでいて全体的な雰囲気は酷く調和がとれている――――バーの人混みをかき分けるようにして出口へと向かう。 いかにも肉体労働に…